こちらのページでは、2024年大河ドラマ『光る君へ』の主人公・まひろ(紫式部)と夫・藤原宣孝のすれ違う結婚生活に迫ります。
20も離れた年下女性・紫式部を妾にした藤原宣孝ですが、結婚生活はどのような感じだったのでしょうか?
お楽しみいただけましたら幸いです。
『光る君へ』まひろ(紫式部)と宣孝|年の差婚
紫式部の夫 藤原宣孝の生まれ年は不明ですが、長男の隆光は天延元年 (973年)生まれで紫式部もこの頃のお前とされていますので、 二人は親子ほど年齢が離れた夫婦だったということになります。
当時は一夫一婦制ではなかったので、宣孝も数多くの婚姻関係を結んでいました 。
もちろん紫式部はそのことを知っています。
別の女性に言いよりながらも紫式部にも求愛する宣孝に対し、次のような歌を送っています。
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みづうみに 友よぶ千鳥
ことならば 八十(やそ)の湊に 声耐えなせそ
(『紫式部集』29番)
意味
近江の湖に友を求めている千鳥よ。
いっそのこと あちこちの港に声を絶やさずかけなさい。
あちこちの人に声をおかけになるがいいわ
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よもの海に 塩焼く海人(あま)の 心から
やくとはかかる なげきをやつむ
(『紫式部集』30番)
意味
あちこちの海辺で藻塩を焼く海人がせっせと投げ木を積むように、
方々の人に言い寄るあなたは自分から好き好んで嘆きを重ねられたのでしょうか
「投げ木」と「嘆き」がかかっていますね。
すると宣孝は手紙の上にを朱色の顔料を振りかけ
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涙の色を見てください!
と返しています。紫式部は
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くれなゐの 涙そいとど うとまるる
うつる心の 色に見ゆれば
(『紫式部集』31番)
意味
あなたの紅の涙だと聞くと 一層 疎ましく思われます。
移りやすい あなたの心が この色ではっきり分かりますので
とやり返していますが、紫式部がクスッと笑っているようにも思えますね。
宣孝に呆れながらも、そんなところに魅力を感じていたのかもしれません。
そんなやり取りを続け、998年に20代後半の紫式部はついに20歳ほど年の離れた宣孝との結婚を決意します。
それは当時の女性の初婚としてはとても遅い年齢でした。(だいたい男性は10代後半、女性は12〜16歳が初婚)
女性の屋敷に男性が婿入りするのが普通だった当時は、父・為時の無職がネックで婿が取れなかったたと思われます。
年齢差については、正妻ではない場合は珍しくなかったようです。
『光る君へ』まひろ(紫式部)と夫・宣孝|夜離れ(セックスレス)
結婚したものの痴話喧嘩は絶えなかったようで、宣孝はこんなことを言ってきます。
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浅い心のお前との仲なんて、切れるなら切れた方がいいよ
それに対して紫式部は
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言い絶えば さこそは絶えめ なにかその
みはらの池を つつみしもせむ
(『紫式部集』34番)
意味
もう手紙も出さないとおっしゃるならそのように絶交するのもいいでしょう。
どうしてあなたのお腹立ちに遠慮なんかいたしましょうか
「原」と「腹」が掛かっていますね。
そんなこんなするうち、30歳前後で娘の「賢子(けんし・かたいこ)」が誕生します。
すると例にもれず夫婦仲に変化が訪れます。
「夜離れ(よがれ)」という現象です。
紫式部は正妻ではなかったので、別居していたのですが、
「夜離れ」とは、字の如く男性が女性のもとに通わなくなることです。
必然的にセックスレスに陥っていたと思われます。
さらに逢瀬がなくなるということは、産まれた娘の顔も見に来ないということですからセックスレス以上の辛さもあるでしょう。
紫式部は次のような歌を送っています。
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忘るるは うき世のつねと 思ふにも
身をやるかたの なきぞわびぬる
(『紫式部集』62番)
意味
人を忘れるということは 浮世の常だと思う につけても、
忘れられた身のやり場がなく、切ない思いで泣いています
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しののめの 空霧りわたり
いつしかと 秋のけしきに 世はなりにけり
(『紫式部集』104番)
意味
夜明けの空は一面霧が立ち込めていて、早くもこの世は「秋」の景色。
わたしも「飽き」られてしまいましたね
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天の川 逢ふ瀬を雲の よそに見て
絶えぬちぎりし 世々にあせずは
(『紫式部集』106番)
意味
天の川の逢瀬を雲の彼方のよそ事と思っています。
今夜会えなくても切れることのない私達の中が末永く変わらないのであればいいのですが
と弱気になったりもしています。
『光る君へ』まひろ(紫式部)と夫・宣孝|突然の別れ
998年に結婚した紫式部ですが、別れは突然やってきます。
1001年2月、藤原道長の呼び出しに病欠で参じることができませんでした。その後4月に亡くなってしまいます。
結婚生活はわずか3年で幕を閉じることになりました。
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見し人の けぶりとなりし 夕べより
名ぞむつましき 塩竃の浦
(『紫式部集』48番)
意味
夫が荼毘の煙となったその夕べから 名前にさえ親しさを感じられる塩竃の浦
『光る君へ』未亡人・まひろ(紫式部)
夫の死を悼む紫式部でしたが、言い寄る男性もいたようです。
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かへりては 思ひしりぬや
岩かどに 浮きて寄りける 岸のあだ波
(『紫式部集』50番)
意味
お帰りになってください。私の堅さがお分かりになったでしょうか。
岩角に浮いて打ち寄せた岸のあだ波のように浮気っぽく 言い寄ってきたあなたは
と断ったのですが、翌年も
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門はもう開きましたか?(喪はもう明けましたか?)
と求婚してきました。
定かではありませんが、この男性は宣孝の息子・藤原隆光という説もあります。
この時も紫式部は申込みを拒み、その後は歌を返していません。
そして、『源氏物語』を書き始めるのでした。