2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』
第17話「 小谷落城」
あらすじ
をご紹介しています。
お楽しみいただけると幸いです。
※ネタバレ含みます
第 1回 1月 4日 |二匹の猿
第 2回 1月11日 |願いの鐘
第 3回 1月18日 |決戦前夜
第 4回 1月25日 |桶狭間!
第 5回 2月 1日 |嘘から出た実
第 6回 2月15日 |兄弟の絆
第 7回 2月22日|決死の築城作戦
第 8回 3月 1日|墨俣一夜城
第 9回 3月 8日|竹中半兵衛という男
第10回3月15日|信長上洛
第11回 3月22日 |本圀寺の変
第12回 3月29日|小谷城の再会
第13回 4月 5日|疑惑の花嫁
第14回 4月12日|絶体絶命!
第15回 4月19日 |姉川大合戦
第16回 4月26日|覚悟の比叡山
第17回 5月 3日|小谷落城
第18回 5月10日|羽柴兄弟
第19回 5月17日|過去からの刺客
第20回 5月24日 |本物の平蜘蛛
第21回 5月31日 |風雲!竹田城
大河ドラマ『豊臣兄弟!』第17話 あらすじ

武田信玄
三淵藤英の従者に扮した足利義昭(尾上右近)から織田信長(小栗旬)討伐を促された武田信玄は、渋々出陣することに。
1572年(元亀3年)10月
総勢25,000の兵を率いて遠江(静岡県西部)へ侵攻した武田信玄は、12月には織田軍・徳川家康(松下洸平)と激突(三方ヶ原の戦い)。武田信玄は大勝利を収め、勢いづいた足利義昭も挙兵します。
破竹の勢いで徳川軍を破り、三河で陣を張っていた武田軍に、思わぬことが起こります。
武田信玄が急死したのです。
遺体を発見した武田家重臣・山県昌景は、その死をしばらく伏せることにしました。
室町幕府の終焉
1573年(元亀4年)春
武田軍が引き揚げたという知らせを受け、7月、織田信長は京の二条御所を制圧し、足利義昭の逃げ込んだ槇島城に向かいます。
織田信長は将軍の目を見据えながら言いました。

お命を取るつもりはありません。京を離れていただきます。あとはお好きなようになさいませ。
織田信長の命を受けた明智光秀(要潤)たちは、二条御所を打ち壊します。
ふと庭の藤戸石の前で足を止める明智光秀。
削られて一回り小さくなった石を見て、明智光秀は足利義昭との思い出を断ち切るように刀を振り下ろしました。
8月、将軍が京を追放されたことで、15代続いた室町幕府は終焉。
元号は「天正」に。
朝倉・浅井攻め
織田信長は、ふたたび虎御前山に陣を構え、朝倉・浅井攻めの仕上げにかかります。
朝倉義景は、浅井長政の居城・小谷城背後の田上山に陣を据え、浅井が先に攻撃するのを待っています。そこへ、大獄砦が落ちたという一報が入り、一乗谷への引き揚げる朝倉義景。
織田軍はその背後から襲いかかります。
しんがりを務めるのは斎藤龍興(濱田龍臣)。
流浪の身となった龍興は本圀寺の変の後、朝倉義景のもとに身を寄せていたのです。
一乗谷まで逃げた朝倉義景は、信長に奪われるくらいなら、と城下に火を付けるよう朝倉景鏡に命じたところ、景鏡に斬られます。
景鏡は民を救うため、義景の首級を持ち降伏。
これをもって100年以上続いた越前朝倉氏は滅亡したのでした。
説得する兄弟
朝倉の援軍を失い、小丸に籠城していた浅井久政自害の報せが、織田信長の耳に届きます。
残るは浅井長政の本丸ただ一つ。
和睦交渉に名乗りをあげた小一郎と藤吉郎は、小谷城の主殿に足を踏み入れました。

お市様、浅井様、お迎えに上がりましたぞ。
殿はお2人とお子たち、みんなお連れして参れとおおせです。
ですが、浅井長政は和睦を承知せず、侍の誇りなど捨て、無様でも生き延びるべきだと説得する小一郎の言葉にも応じません。

そなたを守るために朝倉に従い、織田を裏切った。
だが、あの時わしが天下を欲しいと思うたのじゃ。織田を倒し、天下をその手に。今ならそれができると。
だからわしは兄上を裏切った。
そなたを裏切った。すまん。
恥じてはおらん。悔やんではおらんのじゃ。
あの金ヶ崎からこれまでわしはずっと胸が高鳴っておった。
織田信長と戦い、あと一歩というところまで追い詰めたことをわしは誇りにしておる。
だからもうわしはそなたと生きてはいけん。このままここで終わらせてくれ。
兄弟との相撲勝負に勝った長政は、市にお守りの小袋を3つ差し出して思いを伝え、小一郎と藤吉郎を見つめます。

最後に会えたのがそなたたちでよかった…さあもう行かれよ。しばし1人にさせてくれ。
市(宮﨑あおい)は言葉をつまらせ背を向け、立ち去りました。
小一郎と藤吉郎が市の後を追います。
浅井長政の最期
突然、物語を話し出す小一郎。
湖の水を全て飲み干し、溺れていた娘を助けた大男が、愛しい娘を抱きしめようとするも腫れ上がった腹が邪魔になってしまいます。
大男が自ら針を腹に刺すと、腹から水が吹き出し、大男は空で月となり、娘を優しく見守りました。月の満ち欠けは大男の腹なのかもしれません。
それは以前、信長に連れ出されて小谷城を訪れた時、兄弟2人が市に聞かせた物語の続きでした。

私はいつも思うておった。
兄上が太陽なら殿は月のようじゃと。
市は「すぐに戻る」と言って刀を手にして行ってしまいます。
本丸。
1人残された浅井長政が、脇差を取り、目を閉じます。
戻ってきた市。
市は涙を流しながら

いつまでもお慕いしています。御免。
と朦朧としている長政に近づき介錯。
市の顔を染める血潮。
1564年(永禄7年)〜1573年(天正元年)
浅井長政嫡男(生母不明)
茶々(淀殿)より1歳上だったと言われています。
万福丸は、浅井家の小姓出身である家臣・木村喜内之介に預けられ、小谷城が落ちる直前の8月28日夜に脱出。その後、越前国の敦賀で密かに匿われていました。
一方、織田信長は、無事に帰還した妹の市を呼び寄せると、
「長政の息子が行方不明だが、近い親類として心配だ」
と言葉巧みに居場所を聞き出します。そして市に命じて、喜内之介へ「戻ってくるように」という手紙を送らせました。
喜内之介は警戒して「万福丸はすでに殺して捨てた」と嘘の返答をしますが、市から重ねて「信長様が手厚く保護すると言っている」という手紙が届いたため、喜内之介は「もはや逃げ切れない」と覚悟を決め、9月3日に万福丸を連れて近江国の木之本へと向かいました。
そこで待ち構えていた羽柴秀吉に万福丸を引き渡しましたが、報告を受けた信長は一転して「串刺しにして晒せ」と非情な命を下します。
万福丸の最期はあまりに無惨なものでしたが、この一件によって「他にも男子がいる」と疑う者がいなくなったため、結果として赤ちゃんだった次男は難を逃れることができたといいます。
『浅井三代記』『信長公記』


