2025年秋から放送のNHK連続テレビ小説『ばけばけ』。
ヒロインおトキの親友「おサワちゃん」こと野津サワは、ドラマに欠かせない存在になっています。
円井わんさんの魅力的な演技に引き込まれる一方で、
「おサワちゃんに実在のモデルはいるの?」
と気になっている方も多いのではないでしょうか。
野津サワの背景には、
松江が生んだ二人の偉大な女性教育者
「渡部トミ」さんと「山脇房子」さんの存在があることがわかっています。
この記事では、実在モデル渡部トミさん、山脇房子さんの人物像に迫ります。
『ばけばけ』ヒロインの親友・野津サワとは?
では、まず野津サワのご紹介です。
NHK公式サイトより
元下級武士の娘で、トキの幼なじみ。 貧しい家に生まれ、いつか不自由ない生活を夢見る家族の期待を背負い、安定した生活を手に入れるため教師を志す。 トキのことをありのまま受け入れてくれる、唯一無二の親友。
(引用:NHK公式サイト)
円井わん演じる「野津サワ」
『ばけばけ』で野津サワを魅力的に演じられている俳優・円井わんさんは、野津サワについて次のようにお話しされています。
誰もが共感できる部分を持った子で、風変わりなトキのことも真正面から受け止める器の大きさがあります。
(引用『NHKドラマガイド 連続テレビ小説 ばけばけ Part1』)
いつもヒロインを励まし、面倒見が良いサワ。
明るく温かく親しみやすい等身大のキャラクターと、夢に向かって努力する姿は、現代の私たちにも響くものがあります。
『ばけばけ』野津サワ実在モデル「二人の教育者」

そんな野津サワの実在モデルは誰なのか。制作陣のお話をもとに2人ご紹介いたします。
2人くらいの人物を参考に
野津サワの実在モデルについて『ばけばけ』制作統括の橋爪國臣さんと松江歴史館主任学芸員の新庄正典さんが、次のように言及されています。
「明確なモデルがいるわけではないが、参考にしているのは、松江出身の教育者である渡部トミさんと山脇房子さんの2人くらい」
この2人を同一人物として落とし込んだのが「野津サワ」ということですね。
サワと実在モデル|比較表
| サワ(ドラマ) | モデル(実在) | ||
| 名前 | 庄田サワ(?) 野津サワ |
本庄トミ (渡部トミ) |
山脇房子 (小倉フサ) |
| 身分 | 士族の娘 | 士族の娘 (渡部家) |
士族の娘 (小倉家) |
| 出身地 | 松江市 | 松江市雑賀町 | 松江市北田町 |
| 職業 | 教師 | 教師 | 教師 |
| 肩書 | 尋常小学校教師 | 「雑賀小学校」 初の女性教員 |
「山脇学園」 初代校長 |
| 年代 | 小泉セツ(トキモデル)と同級生なら1867年生まれ | サワと同じ時代 | 1867年生まれ |
| 配偶者 | 庄田多吉 | 本庄太一郎 | 山脇玄(はるか) |
| サワとの共通点 | ー | ・士族 ・松江出身 ・松江での教師生活 ・同年代 ・夫のモデル |
・士族の凋落 ・松江出身 ・学年 ・教師 ・猛勉強での自立 |
『ばけばけ』サワ実在モデル①|渡部トミ(本庄トミ)
野津サワの「地元・松江で教壇に立つ」というキャリアの核となるモデルが、渡部トミ(本庄トミ)さんです。
生年は不明ですが、教員免許取得の時期(1888年)、結婚相手などから、サワと同じ時代に生きた女性だと考えられます。
松江・雑賀の士族の娘
渡部家文書|原文書|松江藩|寛文〜慶応|52件56点|「松江藩 渡部家文書目録」|松江藩士家文書。渡部治太夫家。6代目治太夫は御鷹御用掛などをつとめる。藩主からの御判物、列士録(勤功録)控、遺跡相続、砲術士任命ほか。目録作成(松江市史編纂室)
(引用『島根県立図書館所蔵古文書一覧』)
渡部トミさんは、松江市雑賀町(さいかまち)の士族・渡部家に生まれました。
雑賀町は鉄砲隊、下級武士の多く住む町。
私塾も多く、当時から教育熱心な地域として知られ、「雑賀教育」という言葉が生まれるほど文武両道を重んじる気風がありました。
そんな環境で育ったトミさんも、向上心あふれる女性だったと考えられます。
本庄太一郎・西田千太郎の存在
渡部トミさんが教師となる3年前、とある人物が中等教員の免許検定を受験しています。
それが、渡部トミさんと同じ雑賀町出身の
・西田千太郎(錦織友一モデル)さん
・本庄太一郎(庄田多吉モデル)さん
の2人です。
同じ中学で一学年違いの2人は、中学時代卒業後も切磋琢磨し合う仲間でした。
本庄は明治九年九月、西田とともに、教員伝習校変則中学科に入り、一一年八月、二科に転じ、四か年を経て一五年七月二科の最初の卒業生になっている。卒業後同年八月一九日、松江中学校授業補助(月俸五円)となり、西田とともに教壇にたつ。
(引用『松江北高校百年誌』)
中学を出ると、一緒に教壇に立ち、
1885年(明治18年)ともに上京して文部省検定試験を受験しました。
西田千太郎さんは5科目中4科目で1位という驚異的な成績(英語のみ不合格)を収め、本庄太一郎さんも全科目合格を果たします。
渡部トミさんもこの雑賀町の知的青年グループの一員の影響を受けた可能性が考えられます。
地元初の女性教師に
1888年(明治21年)
トミさんは女性として初めて、現在の松江市立雑賀小学校の教壇に立ちました。
現在「女性の先生」は一般的ですが、当時は「女性が教壇に立つ」こと自体がとても珍しく、先進的。
家柄や男性に負けない教養など、選ばれし者しかなれない職業でした。
サワが家計を支えるために教師を目指す姿とも重なります。
本庄太一郎と結婚
【半分弱の庄田多吉】
錦織と共に検定試験を受けた半分弱の庄田多吉さん。この人物は史実で西田千太郎と受験した本庄太一郎を参考にしたのでしょう。本庄は雑賀町出身で、東京高等師範学校教授や長野県立松本中学校長を歴任し活躍します。のちに本庄は雑賀小学校初の女性教員を妻にします。
(引用:2025年10月24日「松江歴史館」xポスト)
こちらの「雑賀小学校初の女性教員」こそが渡部トミさんです。
渡部トミさんと本庄太一郎さんは、同じ雑賀町出身。
知り合った時期などは不明ですが、本庄太一郎さんが東京帝国大学を卒業し、台湾総督府へ赴任する前後のいずれかの時期に結婚したとされています。
当時の松江において、教育界のトップを走る本庄太一郎さんと女性教員の先駆けであった渡部トミさんの結婚は、新しい時代の象徴的な結びつきだったと考えられます。
その後、トミさんは、若くして教職を辞し、夫の赴任先である台湾や東京へ同行して波乱万丈な夫とともに歩んだのではないかとのことですが、詳細についてはわかっていません。
1885年(明治18年)文部省検定試験受験
1886年(明治19年)東京尋常中学着任
1888年(明治21年)渡部トミさん雑賀小学校着任
1889年(明治22年)東京帝国大学特待生に
1890年(明治23年)小泉八雲さん松江へ
1891年(明治24年)小泉八雲さん熊本へ
1893年(明治26年)京都府尋常中学校校長
1894年(明治27年)小泉八雲さん神戸へ
1896年(明治29年)小泉八雲さん東京帝国大学
1897年(明治30年)西田千太郎さん結核で逝去
1902年(明治35年)千葉で海水浴中に「教科書事件(収賄事件)」容疑で逮捕
1903年(明治36年)無罪に
1907年(明治40年)台湾総督府国語学校長・台湾総督府中学校長
1915年(大正4年) 長野県松本中学校長
1916年(大正5年) 長野県松本中学「本庄太一郎校長排斥事件」→退職
(学生の自治を認めなかったことが理由)
1917年(大正6年) 地元松江で衆議院選挙立候補→落選
1919年(大正8年) 神戸市教育課長
1925年(大正14年)退職
1927年(昭和2年) 東京市内で逝去
(参照:「文検合格者」のライフヒストリー:本荘太一郎の経歴pdf)
長男の本庄三郎さんが、父・本庄太一郎さんの没後、その業績(教育に関する資料など)を整理し、後世に伝える活動をしていた記録が残されています。
『ばけばけ』サワ実在モデル②|山脇房子(小倉フサ)
『ばけばけ』のサワが持つ「貧しさに負けない向上心」や「新しい時代への好奇心」。そのモデルの一人とされるのが、今も東京・赤坂にある「山脇学園」の創設者・山脇房子(小倉フサ)さんです。
山脇房子さんの人柄や教育への情熱を物語るエピソードについて、ご紹介いたします。
松江・北田町の士族の娘
山脇房子(小倉フサ)
1867年(慶応3年)〜1935年(昭和10年)11月19日
1867年(慶応3年)6月4日
山脇房子(旧姓:小倉フサ)さんは、松江市北田町の士族・小倉家に生まれました。
『ばけばけ』ヒロイン・トキのモデル小泉セツさん(1868年2月生まれ)と同学年です。
幼少時は何⼀つ不⾃由なく育てられましたが、武⼠階級の凋落により次第に暮らし向きが悪くなっていきました。それを嘆いたとき、⽗親が「これからの時代は、⼥でも学問さえあればいくらでも偉い⼈間になって活躍できる」と諭しました。
これに発奮した房⼦先⽣は猛勉強に励み、松江の⼥⼦師範学校を卒業した後、単⾝上京して英語を独学で⾝につけ、⼀流の⼥流学者と評価されるようになりました。
(引用:山脇学園公式サイト)
父・小倉忠さんの言葉に大きな影響を受け、
1883年(明治16年)16歳で松江女子師範学校を卒業した山脇房子さん(当時小倉フサさん)は、小学校教員免許を取得し、仙台のアメリカ人宣教師のもとで英語を学びます。
27歳|結婚〜夫・山脇玄との出会い
1894年(明治27年)27歳
房子さんは山脇玄(やまわきはるか)さんと結婚します。
玄さんはドイツ留学を経て明治憲法の起草にも携わった超エリート官僚ですが、同時に「女性参政権」の必要性を訴えるなど、女子教育の充実に生涯を捧げた人物でもありました。
この「志を同じくする夫」との出会いが、房子さんの運命を大きく動かしていきます。
36歳|山脇学園の創設
1903年(明治36年)36歳
夫婦で「女子実務学校(現・山脇学園)」を創設。
1908年(明治39年)39歳
校長に就任した房子さんが目指したのは、単なる良妻賢母の育成ではありません。
欧⽶⼈との交流を通して、⻄洋⼈⼥性の⾼い教養と品格のある⽴ち居振る舞いに接し、「⻄洋⼈⼥性に負けない⾼い教養とマナーを⾝につけた⽇本⼥性の育成」を⽬標として實脩⼥学校の初代校⻑を務めました。
(引用:山脇学園公式サイト)
房子さんの教育方針を語る上で欠かせないのが、「黄金の釘を打て」という言葉です。
これは、
「若いうちに一生の土台となる確かな教養や品性を身につけなさい」
という教え。この言葉は今もなお、在校生たちの指針となっているそうです。
52歳|”教材”としての制服の導入
「西洋人に負けない高い教養と品格を持つ日本女性」の育成のために房子さんが実行したのが、英語や音楽などの科目の採用であり、1919年(大正8年)52歳の時に導入した「洋装制服」です。
日本で初めて洋装の制服が登場したのは1919年。山脇学園(東京都港区)の初代校長の山脇房子氏が自らデザインしたワンピース型のもの。着ることで欧米レベルの教養とマナーを身につけるという、いわば教材としての役割を持っていた。1947年に学校教育法が公布され、現在の小中学校9年間制となったことで、制服は全国に普及していく。
(引用:財経新聞「ガングロJKはどこへ消えた?「ニッポン制服百年史」に見る女子カルチャーの変遷」)
房子さん自らがデザインしたといわれるワンピース型の制服は、着物よりも衛生的で活動的なだけでなく、「国際的なマナーを身につけるための教材」でもありました。
理念と行動
また、房子さんは言行一致。
自らの理念を自らの行動で示す人物でした。
富士登山「自ら進んで行動し、心身を鍛える」
女性の登山が珍しかった明治時代に、心身を鍛えるべく自ら富士山に登頂。これは房子さんが掲げた「自ら進んで行動し、心身を鍛える」という教育姿勢を象徴するものとして語り継がれています。
国際救済活動「広い視野を持って世界に貢献すること」
第一次世界大戦中、津田梅子さんらと共にベルギー難民の支援活動に奔走されました。女性の社会的自立を説くだけでなく、生徒たちに「広い視野を持って世界に貢献すること」の大切さを背中で示します。
68歳|逝去
1935年(昭和10年)、68歳でこの世を去った房子さん。
彼女が蒔いた「女性の自立と品格」という種は、100年以上の時を超えて今も花を咲かせ続けています。
山脇学園では現在も、命日には墓参りが行われ、多くの生徒たちが「房子先生」の遺志を胸に学んでいるそうです。
松江の地で育まれた不屈の精神と、世界を見据えた高い志。
今後のサワにどのように反映してくるのでしょうか。
「渡部トミ」「山脇房子」をモデルとした野津サワの存在
朝ドラ『ばけばけ』において、渡部トミさんと山脇房子さんという二人の教育者を参考ししたサワの存在について、改めて考えてみました。
松江出身の女性たちが切り拓いた「自立」の道
ヒロイン・トキのモデルである小泉セツさんと、サワのモデルとなったトミさん、房子さんは、ほぼ同時代を松江で過ごした「同郷の女性たち」です。
彼女たちには共通して
「士族の家柄でありながら、明治維新による社会の変化で困窮した」
という厳しいバックグラウンドがありました。
しかし、その後の人生の切り拓き方は三者三様です。
①小泉セツさん(トキモデル)
小泉八雲の妻として、彼の執筆活動を献身的に支え、日本文化を世界へ伝える「異文化の架け橋」となった。
②渡部トミさん
地元の学校で「初の女性教員」となり、地域社会の教育現場を支えたのち、夫や家族を支えた。
③山脇房子さん
松江を出て、東京で自ら学校を創設。国際的な教養を持つ新しい日本人女性の育成に人生を捧げた。
サワというキャラクターにトミさん、房子さん二人の要素を投影することで、ヒロインとは違う女性の生き方が、鮮明に描き出されています。
サワの存在
明治以前、女性の自立手段は極めて限られていました。幼いサワが「安定した生活のために教師になる」と夢見た背景には、単なる個人の夢を超えた、当時の切実な社会情勢が反映されています。
苦難を乗り越え幸せを手にする親友を傍らで見ながら、自らも時代の波を乗り越えようともがくサワ。
令和の今もなお、多くの女性がライフステージの変化によるキャリアの悩みを持ち、社会に残る見えない壁を前に正解を求めています。
等身大のサワの懸命な生き様は、そんな私たちに寄り添い、生き抜く勇気を与えてくれます。
伝統的な美徳を大切にするトキと、職業婦人の道を突き進むサワ。
手法は違えど、自分の足で人生を歩もうとする二人の絆の物語は、これからも続きます。
【参考文献・参考サイト】
・NHK公式サイト
https://www.nhk.jp/g/ts/662ZX5J3WG/blog/bl/p63MOdwNjk/bp/pnyMroAvAn/(2025.1.8閲覧)
・『NHKドラマガイド 連続テレビ小説 ばけばけ Part1』NHK出版
ISBN:978-4-14-923614-8(雑誌コード:69236-14)
・「文検合格者」のライフヒストリー:本荘太一郎の経歴pdf
https://da.lib.kobe-u.ac.jp/da/kernel/81008682/81008682.pdf(2025.1.17閲覧)
・島根県立図書館所蔵古文書一覧pdf
https://www.library.pref.shimane.lg.jp/local-materials/7832edafbc15091bbcbfc03daf1558c4.pdf(2025.1.12閲覧)
・「松江歴史館」x
・山脇学園公式サイト
https://www.yamawaki.ed.jp/(2025.1.7閲覧)
・財経新聞「ガングロJKはどこへ消えた?「ニッポン制服百年史」に見る女子カルチャーの変遷」
https://www.zaikei.co.jp/article/20190610/515045.html(2025.1.7閲覧)
・@DIME「堀口茉純さんが語る母校・山脇学園で深めた歴史を学ぶ楽しさとハート型のバッジが好きだったワンピース制服の魅力」https://dime.jp/genre/1956636/2/(2025.1.7閲覧)

