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【ネタバレ】2024大河ドラマ第1話あらすじと『光る君へ紀行』

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こちらのページでは、

2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』第1話「約束の月」のあらすじと番組後の『光る君へ紀行』で紹介された場所など

をご紹介しています。

今後、順次あらすじを公開していきますので、お楽しみください!

※ネタバレ含みます

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大河ドラマ『光る君へ』バックボーン

平安京(現在の京都市)を都として、天皇や貴族が政治を行っていた今から1000年あまり前の平安時代。

特に、紫式部の生きた時代は、藤原氏が実権をにぎり、日本風の文化が花開いた時代でした。

権力を握る藤原氏は、娘を天皇の后に、その子供を次の天皇に、自分は天皇を助ける摂政や関白につくことで政治を動かしていました。これが〝摂関政治〟です。

一方、宮廷にはたくさんの女性たちも暮らしていました。
天皇の后や、身分の高い人たちの身の回りのお世話をする女性たちです。
天皇の后は教養も重要視され、紫式部のような才能ある女性たちが教育係として選ばれていきます。

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大河ドラマ『光る君へ』第1話「約束の月」|あらすじ

安倍晴明の予言

京都・晴明神社(出典:晴明神社公式サイト)

977年の暮れ。
北斗七星が異様に強く輝く夜、陰陽師・安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)が予言します。

安倍晴明

今夜から都で良くないことが始まる…!

安倍晴明

雨が降る!!

その予言が的中し、直後激しい雨が降り出します。

まひろ一家

主人公・まひろの家では突然の雨に大わらわ。
下級貴族のまひろの家はみずぼらしく、8歳のまひろ(落井実結子)は 雨漏りで母・ちやは(国仲涼子)の琵琶が濡れないかと心配しています。

夜が明けると父・藤原為時(ためとき・岸谷五朗)はいつものように まひろと弟・太郎に漢籍(中国の書物)を音読して聞かせます。

為時は学識はあるけれど世渡り下手。
職も持てず、壊れた屋根を直すことができません。

母・ちやは

大丈夫 !年が明けたら 父上の新しいお役目が決まるのよ♪

という母の前向きな明るさのお陰で、貧しくても楽しく暮らしている様子です。

三郎一家

一方、大納言である藤原兼家(かねいえ・段田安則)の屋敷では、嫡男の道隆(みちたか・井浦新)一家をはじめ家族が揃い、 豪華な夕げが始まろうとしています。

ドラマで登場する藤原兄弟は4人。
道隆・道兼・詮子・三郎(藤原道長の幼名)という順番と設定されています。

娘の藤原詮子(あきこ・吉田羊)の円融天皇(坂東巳之助)への入内が決まり祝の宴です。

本妻以外の女性が産んだ生んだ男子を合わせると兼家にとっては五男だった三郎は、のんびりとした性格のようです。

食事の後、

帝がどんなお顔か心配で眠れないわ

と心配する姉に

床入れしてだんだん好きになるんじゃないの笑

などと 答えています。

詮子にとって何でも言い合える弟との会話は楽しいもの。
ただ、それが気に入らないのか 乱暴者の次男・道兼(玉置玲央)は三郎を突然 蹴飛ばします。

穏やかな三郎は憤る姉に

慣れてる

と言い明るく振る舞います。

まひろの父・為時の就活

同じ頃、まひろの父・為時は兼家の屋敷を訪ねていました。

親戚であり友人である藤原宣孝(佐々木蔵之介)に助言され、兼家に官職を推薦してもらうためでしたが、会うことは叶わず文を家臣に渡します。
信心深い母・ちやはは仏さまに為時の官職を祈っています。

正月、宮中(清涼殿)では貴族の人事を決める「除目」が行われ、まひろの父・為時の文も取り上げられるものの

「学識の乏しい者が重要な位に就いている」

などという文面が帝の怒りをかい、職は与えられません。

三郎の姉・詮子の入内の影響

まひろの家はますます困窮を極め、母・ちやはが自分の着物を仕立て直して売ったお金で生活する毎日が続きます。

春には関白・藤原頼忠(橋爪淳)の娘・遵子(中村静香)が円融天皇(坂東巳之助)に入内し、続いて秋には藤原詮子がそれぞれ入内します。
と同時に、詮子の父・兼家は右大臣に出世します。

ところが詮子が入内した夜、安倍晴明の館が落雷で炎上し、
「詮子の入内が不吉だ」と噂が広まります。

その噂を話す道隆 に

慶事の折の雨風は吉兆 と噂を流せ!
世の流れは己で作るのだ!

とハッパをかける父・兼家。

一方、次男・道兼の乱暴は収まらず、急に怒り出し三郎は足に傷を負います。

母の時姫(三石琴乃)は心配するが 、兼家は

嫡男の道隆が汚れなき者であるために泥をかぶる者も必要で、次男の道兼は役に立つ

と口にします。

まひろと三郎の出会い

まひろと三郎の出会いのシーンは鬼怒川河川敷で撮影が行われました

飼っていた小鳥を逃がし探していたまひろは、散楽というアクロバティックな辻芸を見た三郎に、川辺で声をかけられます。

落ち込むまひろを笑わせようと足で砂に名前を書いて見せる三郎。

名前より漢文を書いて♪

と、砂に漢文を書いて見せるまひろ。

女なのにどうして漢文が書けるの?

と尋ねる三郎に、まひろは

わたし”帝のおとしだね”だから!

と空想の話をします。

その小さなウソを2回目に会った時に謝るまひろですが、三郎は怒ることなく「また会おう」と誘ってくれます。

まひろの父・為時の就職

宮中で帝の寵愛 を巡る争いが続くなか、まひろの父・為時は三郎の父・兼家に呼び出され、変わり者の東宮・師貞親王(もろさだしんのう・伊藤駿太)の漢文の指南役になるよう言われます。
本当の目的は東宮の様子を兼家に知らせるスパイだと知るものの生活のため、承諾。

まひろの母・ちやは

大安の日、まひろの母・ちやはは為時の仕事が決まったお礼参りに行く とまひろに告げます。
その日は 三郎と会う約束の日だったため、焦るまひろ。
お参りを済ませて走るまひろに三郎の次兄・道兼の馬が驚き、落馬してしまいます。
道兼は激昂。
まひろの母・ちやはを刀で一突き…。

右大臣・兼家の次男である道兼。
敵に回すことはできないと考えたまひろの父・為時は

病気で亡くなったことにせよ

と命じます。
悲しさと悔しさで号泣する姉弟。

後に ベストセラー小説を書き紫式部とよばれるまひろと、 藤原の道長として歴史上に名を刻む三郎。

ふたりの運命が動き出します。

 第2話のあらすじ

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大河ドラマ『光る君へ』第1話|『光る君へ紀行』

平安神宮

第一回目の「光る君へ紀行」ではクランクインの場所”平安神宮”が紹介されました。

平安神宮は、平安遷都1100年を記念して1895年(明治28年)に創建されました。市街地が幕末の戦乱で荒廃した上、首都が東京に遷ったことにたいへんなショックを受けた京都の人々。そこで古き良き京都の復興と平安の祈りを込めて創建されたのです。

日本三大大鳥居の一つである大鳥居、境内の入り口にある応天門、本殿南側の大極殿(だいごくでん)、東西の蒼龍楼と白虎楼は必見です。

(蒼龍楼と白虎楼は、第一話で道長(柄本佑)が弓矢の鍛錬を始めるシーンで登場していました)

美しい日本庭園は「細雪」の作者、谷崎潤一郎をはじめ多くの著名人が愛でた桜の名所としても有名です。6月上旬の無料開放日には花菖蒲も見頃を迎えます。

また、歴史的には、臥竜橋(がりゅうきょう)という飛び石の橋(中神苑)が見どころで、
実は、豊臣秀吉が京都の鴨川にかけた三条大橋・五条大橋の橋脚を輪切りにしたものを並べて作られています。歴史的事件と関わる橋が使われているとは感慨深いですね。

周辺には美術館も立ち並び、文化的な雰囲気が漂う人気スポットです。

 

名称 平安神宮   (HEIANJINGU SHRINE)
営業時間 8:30~17:30
地図
住所 〒606-8341 京都府京都市左京区岡崎西天王町97
アクセス ■名神高速道路「京都東IC」より約20分
(三条通りを西へ進み、「神宮道」交差点を北へ右折)
■地下鉄東西線「東山駅」徒歩10分
■京阪鴨東線「三条駅」「神宮丸太町駅」より徒歩15分
■JR「京都駅」より約30分
(市バス5系統・100系統・110系統)
■阪急「河原町駅」より約20分
(市バス5系統・46系統・32系統)
入場料 大人600円、小人300円(6月上旬、9月19日無料開放)
TEL 075-761-0221

平安神宮公式サイト

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大河ドラマ『光る君へ』第1話|舞台

東三条殿(東三条院):藤原兼家の邸宅

第1話の序盤に登場した「東三条殿」は藤原兼家の邸宅であり、道長も暮らしていました。

兼家の妾・藤原寧子(財前直見)の『蜻蛉日記(かげろうにっき)』では、安和2年(969年)閏五月の段に
「新しきところ作るとて通ふたよりに」立ち寄ってくる等とあり、
翌年初頭の段には「めでたく作りかかやかしつるところに、明日なむ、今宵なむとののしる」
と、兼家が東三条殿を手に入れ改築した旨の記載があります。

そのため、藤原兼家を「東三条殿」と呼び、
またその娘・藤原詮子は出家後に「東三条院」の院号を与えられて、初の女院となりました。
後院や里内裏としても用いられ、保元の乱の舞台にも。
11世紀後半からの摂関家の象徴的邸宅、寝殿造の代表例として、建築史の研究対象という意味でも重要視されています。

1166年憲仁親王(後の高倉天皇)の立太子の儀が行なわれ、そのまま御所となったものの、同年12月末、憲仁親王の着袴の儀が行なわれた2日後に火災で焼失。
以後は再建されずに荒廃し、「東三条の森」となりました。

現在の「東三条院址」には駒札があるだけです。

【住所】〒604-0035 京都府京都市中京区上松屋町

 

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