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2025年大河ドラマ「べらぼう」蔦屋重三郎ゆかりの地

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こちらのページでは、2025年NHK大河ドラマである「べらぼう」の主人公・蔦屋重三郎ゆかりの地をご紹介していきます。

蔦屋重三郎は浮世絵の敏腕プロデューサーとして手腕を発揮し、写楽などを世に送り出したことでも有名です。

現在も出版社のことを『版元』と呼びますが、江戸の『版元』といえば『蔦重(つたじゅう)』。本をプロデュースする場所としても機能しています。

売れる絵を見抜く眼識、ウォルトディズニーにも例えられる商才。

そのすべてを兼ね備えたのが蔦屋重三郎でした。

では、蔦屋重三郎の原点、吉原からご紹介いたします。

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吉原(よしわら):蔦屋重三郎の原点

2025年大河ドラマ「べらぼう」の主人公・蔦屋重三郎の原点ともいえる吉原。

天下泰平の江戸時代、100万人都市として栄えた江戸の町では幕府公認の遊郭「吉原」がトレンドの最先端を担う憧れの地、文化の発信地でもありました。

(吉原は葦屋町(現在の日本橋人形町)に誕生し明暦の大火後、浅草寺裏の日本堤へ移転、客層が武士から町民へと変わります)

蔦屋重三郎は遊郭で働く「丸山重助(まるやまじゅうすけ)」の子として寛延3年(1750年)浅草寺裏の吉原で産声を上げ、
幼くして吉原のお茶屋を営む喜多川という家の養子になりました。

『蔦屋』という屋号は、喜多川氏の屋号が『蔦屋』だったからとも、重三郎の本名が「喜多川珂理(きたがわからまる)」だったことで「蔦が絡まる」というダジャレからともいわれています。

五十間通り(ごじっけんみち)

24歳の時、かつて水路だった山谷堀から吉原へ続く道・五十間通りで蔦屋重三郎はまず、貸本屋を営みました。
10年間こちらにいたとされています。

五十間通りは別世界である遊郭が外から見えないようS字に蛇行しているのが特徴です☆

吉原遊郭の入り口(吉原大門前)、現在の東京都台東区千束4丁目11番地付近に店を構えていたとされていますので、五十間道の終わり(南西)付近にあったと思われます。


〒111-0031 東京都台東区千束4丁目35−1

見返り柳(みかえりやなぎ)

吉原で遊んだ男性が後ろ髪引かれて遊郭を振り返った場所見返り柳が有名です。


〒111-0031 東京都台東区千束4丁目10−8
(当時の見返り柳は山谷堀脇の土手にあったそうですが、今はこちらの場所に移転)

吉原大門跡(よしわらおおもんあと)

五十間通りを抜けると見えてくるのが、吉原大門跡です。

遊郭の入り口は、上方風に「おおもん」といいます。
東京で「だいもん」というのは芝増上寺の大門を指しています。

江戸の吉原には「吉原大門」という立派な黒塗りの入り口があったのですが、現在は道の両脇に柱が名残を残しているだけです。


〒111-0031 東京都台東区千束4丁目15 仲之町通り

吉原神社(よしわらじんじゃ)

この近くの七福神めぐりの神社でもある吉原神社ではミニガイドブックや吉原の地図も購入できます。


〒111-0031 東京都台東区千束3丁目20−2

吉原神社公式サイト

 

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通油町(とおりあぶらちょう):耕書堂(こうしょどう)

耕書堂跡

33歳の時、通油町南側中程にあった地本問屋(じほんどいや、地本とは江戸で作る書物のこと)丸屋小兵衛の株を買収して店を「江戸のシリコンバレー」”通油町”に移します。

 

寛政11年(1799)、葛飾北斎が挿絵を描いた狂歌絵本『東遊あずまあそび』の1図より「絵草紙店」で葛飾北斎が描いたのも通油町の耕書堂です。

入り口の看板には山に蔦の葉のロゴマーク。これが蔦重の版元印です。

この地で幅広い出版物を制作・販売する形態へとビジネスを発展させることに成功したのです。

現在の東京都中央区日本橋大伝馬町13あたり

現在は東京メトロ馬喰横山駅近くの東横イン東京日本橋エントランス向かいに「耕書堂跡」という看板が立っています。


〒103-0011 東京都中央区日本橋大伝馬町13

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正法寺墓苑(しょうほうじぼえん):蔦屋重三郎のお墓

正法寺(しょうほうじ)はもともと三ノ輪にあったのですが関東大震災で焼失し東浅草に再建されたインドア墓地です。

狂言師の石川雅望(いしかわまさもち:天明年間に蔦屋重三郎と組み浮世絵を描いた多くの狂歌絵本を編集・出版)による「喜多川柯理墓碣銘」があり、そこにはしっかりと『蔦屋』のマークが入っています。
となりの墓石に刻まれた「幽玄院義山日盛信士」という戒名が蔦屋重三郎です。


〒111-0025 東京都台東区東浅草1丁目1−15

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すみだ北斎美術館(すみだほくさいびじゅつかん)

すみだ北斎美術館は蔦屋重三郎のプロデュースした浮世絵画家のひとり・葛飾北斎の美術館です。

北斎は、本所割下水(現在の墨田区の北斎通り)付近に生まれ、約90回もの引っ越しをしたことでも知られていますが、生涯をほぼ現在の墨田区内で過ごしながら傑作を生みだし続けました。

コレクターであり、研究者でもあったピーター・モースのコレクションや

『隅田川両岸景色図巻』の100余年ぶりの再発見と収蔵により、隅田川の花火の歴史も垣間見れます。

名称 すみだ北斎美術館
営業時間 9:30 〜 17:30(入館は閉館の30分前まで)
地図
住所 〒130-0014 東京都墨田区亀沢2-7-2
アクセス ■都営地下鉄大江戸線「両国駅」A3出口より徒歩5分■JR総武線「両国駅」東口より徒歩9分
■都営バス「都営両国駅前」より徒歩5分
■墨田区内循環バス「すみだ北斎美術館前(津軽家上屋敷跡)停留所」からすぐ
※駐車場はありません
入館料 AURORA(常設展示室)観覧料
一般  400円(団体320円)
高校生、大学生、専門学校生、65歳以上 300円(団体240円)
TEL 03-6658-8936

すみだ北斎美術館公式サイト

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