2025年NHK大河ドラマ『べらぼう』のロケ地やゆかりの地をご紹介します。
『べらぼう』を観た際に気になられた方や観光をされる方の参考になりましたら幸いです。
- 大河『べらぼう』ゆかりの地|吉原エリア
- べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館(Unbound Taiga Drama Museum)
- 江戸新吉原耕書堂(Edo-shin-Yoshiwara Koshodo)
- 吉原神社(Yoshiwara-jinja Shrine)九郎助稲荷
- 五十間道(Gojikken-michi Street)蔦重の商売の原点
- 見返り柳(Mikaeri-yanagi Monument)吉原を振り返る場所
- 吉原大門跡(Yoshiwara-omon Ruins)吉原唯一の出入り口
- 吉原公園(Yoshiwara Park)大文字楼跡
- 正法寺墓苑(Shoboji Temple)蔦屋重三郎のお墓
- 平賀源内の墓(Hiraga Gennai Grave)
- 大河『べらぼう』ゆかりの地|日本橋エリア
- 大河『べらぼう』ゆかりの地|両国エリア
- 大河『べらぼう』ゆかりの地|皇居・江戸城跡エリア
- 大河『べらぼう』ゆかりの地|料金・最寄り駅一覧
大河『べらぼう』ゆかりの地|吉原エリア
ではさっそく『べらぼう』ゆかりの地を紹介していきます!
べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館(Unbound Taiga Drama Museum)
2025年の大河ドラマ館「べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館」は、横浜流星さん演じる蔦屋重三郎ゆかりの地・台東区で開催されます。
こちらは、浅草:浅草寺(せんそうじ)の近くにありますので、東京観光の際にも立ち寄りやすいかと思います。
また、ゆかりの地を巡る無料バスが運行するということです。
べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館 | |
見どころ | ・ドラマのあらすじやキャスト ・登場人物の相関図の紹介 ・衣装や小道具の展示 ・撮影 セットのジオラマ展示 ・体験型映像コンテンツの提供 |
場所 | 台東区民会館 9階ホール |
住所 | 東京都台東区花川戸2-6-5 |
アクセス | ・東武線浅草駅 正面改札から徒歩5分 ・東京メトロ銀座線浅草駅 7番出口から徒歩5分 ・都営浅草線浅草駅 A4出口から徒歩8分 ・つくばエクスプレス線浅草駅 A1番出口から徒歩9分 |
開始日 | 2025年2月1日(土) |
終了日 | 2026年1月12日(月祝) |
開館時間 | 9:00〜17:00 (最終入館16:00) |
休館日 | 毎月第2月曜日 (祝日の場合は翌日) 年末年始等 |
入館料 | 大人800円 小人400円 |
問い合わせ | 台東区役所 文化産業観光部文化振興課 大河ドラマ 活用推進担当 台東区大河ドラマ「べらぼう」活用推進協議会事務局 電話 03-5246-1118 ファックス 03-5246-1515 |
江戸新吉原耕書堂(Edo-shin-Yoshiwara Koshodo)
大河ドラマ「べらぼう」の放送にあわせて、主人公の蔦屋重三郎が新吉原大門前に開業した「耕書堂(こうしょどう)」を模した施設「江戸新吉原耕書堂」も、期間限定でオープンします。
吉原に特化した観光案内や、吉原の成り立ちを説明するパネルや花魁が履いていた高下駄などの展示のほか、雑貨や食品、酒など土産物も販売。
また、夜間にはシャッターに描かれた浮世絵が照らされ、昼間とは違う雰囲気もお楽しみいただけます。
江戸新吉原耕書堂 | |
見どころ | ・吉原に特化した観光案内 ・土産品の販売など ・シャッターに描かれた浮世絵のライトアップ(夜間) |
場所 | 吉原会館 |
住所 | 〒111-0031 東京都台東区千束4-24-12 |
アクセス | ・東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」1b出口から徒歩約13分 ・要伝寺から徒歩25~30分 ・要伝寺から車(タクシー等)7~10分 ・要伝寺から地下鉄(東京メトロ日比谷線入谷駅→三ノ輪駅)経由徒歩20~25分 ・要伝寺から都バス草41または上26(下谷2丁目→西浅草3丁目)経由徒歩20分~25分 |
開始日 | 2025年1月18日(土) |
終了日 | 2026年1月中旬頃 |
開館時間 | 10:00〜17:00 (最終入館16:00) |
休館日 | 毎月第2月曜日 (祝日の場合は翌日) 年末年始等 |
入館料 | 記載なし |
問い合わせ | 台東区役所 文化産業観光部文化振興課 大河ドラマ 活用推進担当 電話:03-5246-1111(代表) |
吉原神社(Yoshiwara-jinja Shrine)九郎助稲荷
2025年大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の中で綾瀬はるかさんの語りという形で登場するのが、この吉原神社の神様・九郎助稲荷(くろすけいなり)です。
廓内の四隅にあった、「九郎助稲荷」、「開運稲荷」、「榎本稲荷」、「明石稲荷」の4社のうち、一番人気だったのが九郎助稲荷でした。
明治14年(1881年)に、他の3社などとともに合祀され、吉原神社が生まれました。
当初は吉原大門の外に社殿が建てられたのですが、関東大震災後に中の町通り突き当たりへ移転してきたということ。
七福神めぐりの神社でもある吉原神社では、ミニガイドブックや吉原の地図も購入できます。
まずは、こちらで吉原の地図を入手してから観光すると便利です☆
<Yoshiwara-jinja-Shrine>
〒111-0031 東京都台東区千束3丁目20−2
五十間道(Gojikken-michi Street)蔦重の商売の原点
24歳の蔦屋重三郎は、かつて水路だった山谷堀から吉原へ続く道・五十間道で、まず貸本屋を営みました。
その後、10年間こちらにいたとされています。
五十間道は、別世界である遊郭が外から見えないようS字に蛇行しているのが特徴です☆
蔦重の貸本屋は、吉原遊郭の入り口(吉原大門前)、現在の東京都台東区千束4丁目11番地とされていますので、五十間道の終わり(南西)付近にあったと思われます。
<Gojikken-michi Street>
〒111-0031 東京都台東区千束4丁目35−1
見返り柳(Mikaeri-yanagi Monument)吉原を振り返る場所
「吉原大門」の交差点。
吉原で遊んだ男性が後ろ髪引かれて遊郭を振り返った場所見返り柳が有名です。
火災や震災で焼けたり枯れたりするたびに植え替えられて現在は6本目。
樋口一葉の『たけくらべ』の冒頭部分にも登場し
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く(引用:青空文庫)
とあります。
<Mikaeri-yanagi Monument>
〒111-0031 東京都台東区千束4丁目10−8
(当時の見返り柳は山谷堀脇の土手にあったそうですが、現在のものはこちらに移転)
吉原大門跡(Yoshiwara-omon Ruins)吉原唯一の出入り口
五十間通りを抜けると見えてくるのが、吉原大門跡です。
遊郭の入り口は、上方風に「おおもん」と呼びます。
(東京で「だいもん」というのは芝増上寺の大門を指します。)
江戸の吉原には「吉原大門」という立派な黒塗りの入り口があったのですが、現在は道の両脇に柱が名残を残しているだけです。
<Yoshiwara-omon Ruins>
〒111-0031 東京都台東区千束4丁目15 仲之町通り
吉原公園(Yoshiwara Park)大文字楼跡
吉原公園は、かつて吉原遊廓にあった大見世の一つである大文字屋「大文字楼」があった場所です。
大文字楼は「お歯黒どぶ」に面していました。
「お歯黒どぶ」は女郎たちの逃亡を阻み、無銭飲食の客を逃さないために吉原を囲むよう掘られた堀で、幅は9メートルほど。色が真っ黒だったということです。
大文字楼内には、お歯黒どぶにかかる上がったままの「跳ね橋」があり、
火事や災害の時には、内側から橋をおろして女郎や客を脱出させていました。
かつての大人の遊び場は、現在では子どもの遊び場(公園)となっています☆
<Yoshiwara Park>
〒111-0031 東京都台東区千束4丁目40−6
正法寺墓苑(Shoboji Temple)蔦屋重三郎のお墓
正法寺(しょうほうじ)はもともと三ノ輪にあったのですが関東大震災で焼失し東浅草に再建されました。
狂言師の石川雅望(いしかわまさもち:天明年間に蔦屋重三郎と組み浮世絵を描いた多くの狂歌絵本を編集・出版)による「喜多川柯理墓碣銘」があり、そこにはしっかりと『蔦屋』のマークが入っています。
となりの墓石に刻まれた「幽玄院義山日盛信士」という戒名が蔦屋重三郎です。
<Shoboji Temple>
〒111-0025 東京都台東区東浅草1丁目1−15
平賀源内の墓(Hiraga Gennai Grave)
大河ドラマ『べらぼう』の前半で大きな存在感を示す平賀源内。
そのお墓が吉原エリアの東北、隅田川に架かる白髭橋の近くにあります。
殺人事件を起こし、伝馬町牢屋敷で獄中死した平賀源内は、総泉寺に葬られ、その後、寺院は移転しましたが、お墓はこちらに残されました。
故郷・高松藩主の松平頼長が作った築地塀も残り、顕彰碑とともに参拝できます。
<Hiraga Gennai Grave>
11-0023 東京都台東区橋場2丁目22−2
橋場二丁目バス停からすぐ
大河『べらぼう』ゆかりの地|日本橋エリア
日本橋は蔦屋重三郎が拠点を置いて商売を大きくしていった場所です。
耕書堂跡(Koshodo Ruins)蔦重の本拠地
蔦屋重三郎は、33歳の時、通油町南側中程にあった地本問屋(じほんどいや、地本とは江戸で作る書物のこと)丸屋小兵衛の株を買収し、耕書堂を「江戸のシリコンバレー」”通油町(とおりあぶらちょう)”に移します。
当時、通油町には鶴屋喜右衛門といった一流どころの本屋が出店していました。
こちらの絵は、1799年(寛政11年)、葛飾北斎が挿絵を描いた狂歌絵本『東遊あずまあそび』。
描かれているのは、通油町の耕書堂です。
右下部、入り口の看板には山に蔦の葉のロゴマーク。これが蔦重の版元印です。
蔦重は、ここで数々の戯作者や絵師の作品を刊行し、ビジネスを発展させることに成功したのです。
現在は東京メトロ馬喰横山駅近くの東横イン東京日本橋エントランス向かいに「耕書堂跡」という看板が立っています。
<Koshodo Ruins>
〒103-0011 東京都中央区日本橋大伝馬町13
十思公園(Jisshi Park)伝馬町牢屋敷
十思公園の「時の鐘」
十思公園は、江戸時代に「伝馬町牢屋敷」があった場所です。
人を殺めてしまった平賀源内が獄死したことや吉田松陰が処刑されたことでも知られています。
『べらぼう』では鱗形屋や鳥山検校も入牢しています。
公園には江戸時代に時刻を知らせていた「石町 時の鐘(こくちょうときのかね)」が設置され、道を隔てた大安楽寺には「江戸伝馬町処刑場跡」の石碑があります。
隣接する「十思スクエア別館」には牢屋敷の模型が展示され、当時の牢の様子を知ることができます。
十思スクエアは、アールの入り口、アーチ窓、半円形の柱などが美しい東京都の歴史的建造物です。
<Jisshi Park>
芝居町跡(Shibai-machi Ruins)芝居の町
人形町の芝居町は、蔦重がよく観に行っていた芝居小屋があった町です。
当時は、役者やスタッフたちの居住が芝居町に限定されており、芝居関係者がひしめき合って暮らしていました。
堺町の「中村座」、葺屋町の「市村座」、人形劇の「結城座」などがあり、大いににぎわっていたようです。
天保の改革で猿若町(浅草6丁目)に移され、今では人形町通りスターバックス前の植え込みに「堺町・葺屋町芝居町跡」と書かれた立て札があるだけです。
<Shibai-machi Ruins>
〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町3丁目6−7 人形町共同ビル 1F
大河『べらぼう』ゆかりの地|両国エリア
両国は、蔦屋重三郎のプロデュースした浮世絵画家のひとり・勝川春朗=葛飾北斎ゆかりの地です。
蔦重の死後に北斎という名を名乗り、『富嶽三十六景』などを描きました。
また、鬼平として知られる長谷川平蔵の住居もありました。
すみだ北斎美術館(The Sumida Hokusai Museum)北斎コレクション
すみだ北斎美術館は、葛飾北斎の美術館です。
北斎は、本所割下水(現在の墨田区の北斎通り)付近に生まれ、約90回もの引っ越しをしたことでも知られていますが、生涯をほぼ現在の墨田区内で過ごしながら傑作を生みだし続けました。
コレクターであり、研究者でもあったピーター・モースのコレクションや
『隅田川両岸景色図巻』の100余年ぶりの再発見と収蔵により、隅田川の花火の歴史も垣間見ることができます。
名称 | すみだ北斎美術館 |
---|---|
営業時間 | 9:30 〜 17:30(入館は閉館の30分前まで) |
地図 | |
住所 | 〒130-0014 東京都墨田区亀沢2-7-2 |
アクセス | ■都営地下鉄大江戸線「両国駅」A3出口より徒歩5分
■JR総武線「両国駅」東口より徒歩9分 |
入館料 | AURORA(常設展示室)観覧料 一般 400円(団体320円) 高校生、大学生、専門学校生、65歳以上 300円(団体240円) |
TEL | 03-6658-8936 |
葛飾北斎の銅像(Katsushika Hokusai Bronze Statue)撮影スポット
2024年、「ひがしん北斎ギャラリー」のリニューアルに伴い、東京東信用金庫両国本部の北側に葛飾北斎の銅像が設置されました。
この近くには、晩年の北斎が娘と住んだ家があったことがわかっています。
北斎は90回以上も引っ越しを繰り返していましたが、その場所が特定されているレアなケースだそうです。
銅像は、ベンチに座って肩を組むなどできる気軽な撮影スポットとなっています。
すぐ近くの緑町公園に「葛飾北斎生誕の地」の立て札や「すみだ北斎美術館」があります☆
<Katsushika Hokusai Bronze Statue>
〒130-0026 東京都墨田区両国4丁目35−9
東京東信用金庫両国本部
大河『べらぼう』ゆかりの地|皇居・江戸城跡エリア
天皇ご一家や皇族方のお住まいとなっている現在の皇居は、幕末まで徳川将軍家が居城としていた江戸城跡の中にあります。
江戸城は、徳川家康、秀忠、家光の将軍三代が、約30年かけて造り上げたお城で、内郭(内堀内)には、本丸、二の丸、三の丸、西の丸のほか、西寄りの部分には「吹上」と呼ばれる庭園があります。
江戸城天守台(Edojo-tenshudai Ruins)江戸城の天守閣跡
江戸城天守台は、明暦の大火で3代目の天守閣が消失した後、4大将軍徳川家綱の補佐役・保科正之が
「被災した人たちの救済と江戸の町の復興を優先させるべき」
と主張したため、再建が延期されたまま、高さ11mの石垣の台座(天守台)だけが残る今の状態となります。
江戸城の天守閣は、50年間だけ存在していました。
現在の天守台は展望台となっており、スロープで上がることができます。
そのスロープの途中には江戸城本丸御殿の立て札があり、眼下には大芝生。
天守台がある東御苑の散策は無料です。9:00〜16:30(月金定休)
入り口は大手門、平川門、北桔橋(きたはねばし)門の3箇所で、自由に出入りできます。
大手門から入り3つの城門(大手三の門、中の門、御書院門)を抜けて本丸へ向かい、富士見櫓、富士見多聞、天守台を見てから汐見坂経由で平川門へと抜けるコースで約2時間ということです。
<Edojo-tenshudai Ruins>
東京メトロ大手町駅・竹橋駅
大奥跡(Ooku Ruins)江戸のハーレム(後宮)
将軍の正室「御台所(みだいどころ)」など多くの女性たちが暮らした大奥。
本丸御殿は東南側から順に、
将軍が公式行事をする「表」
将軍が日常生活や政務を送る 「中奥」
将軍以外の男子禁制の「大奥」があり、
中奥と大奥は、将軍だけが通れる「お鈴廊下」で結ばれていました。
現在は皇居東御苑の植え込みに「大奥跡」の立て札が立っています。
その先には大芝生(本丸御殿が建っていたところ)が広がり、かつて大奥があった光景を想像することができます。
<Ooku Ruins>
〒100-0001 東京都千代田区千代田1
一橋徳川家屋敷跡(Hitotsubashi-Tokugawa Residence Ruins)御三卿・一橋家
御三卿の一つである 一橋家の屋敷があった場所です。
一橋家は 8代将軍徳川吉宗の子である徳川宗尹が、一橋門内に屋敷を与えられて創設しました。
将軍家に世継ぎがなく御三家にも該当者がいない場合に将軍を立てることができる家柄で、第11代将軍家斉と第15代将軍慶喜を輩出しています。
現在は丸紅本社ビルの西側の植え込みに石柱と立て札があるだけですが、その敷地は広大で、大手町合同庁舎付近までありました。
屋敷跡の北側を流れる日本橋川に「一ツ橋」という橋が架かっており、橋の北詰に「一ツ橋門跡」の立て札が、南詰に門の石垣跡が少し残っています。
<Hitotsubashi-Tokugawa Residence Ruins>
〒100-0004 東京都千代田区大手町1丁目4
田安門(Tayasu-mon Gate)御三卿・田安家
田安門は、北の丸公園内にある旧江戸城の門であり、現存する江戸城最古の建造物。重要文化財に指定されています。
北の丸といわれる門の内側には、代官屋敷や大奥に仕えた女性の暮らす場所でした。
千姫、春日局(かすがのつぼね)などの屋敷もありました。
8代将軍徳川吉宗の子である宗武が門のなかに一家を創立し、御三卿の一つ「田安家」を作ったことでも知られています。
宗武の実子である松平定信(田安賢丸)もこの屋敷で生まれ育ちました。
現在、田安門の内側・北の丸公園には日本武道館が建っています。
また、田安門の外側には桜で有名な千鳥ヶ淵のほか、築土神社や靖国神社があります。
<Tayasu-mon Gate>
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園2−5
清水門(Shimizu-mon Gate)御三卿・清水家
清水門は、田安門と同じく、北の丸公園にある旧江戸城の門です。
9代将軍家重の次男・重好が創設した御三卿「清水家」。
北の丸公園の西側 一帯を田安家、東側一帯を清水家がそれぞれ 所有していました。
清水門の内側には、江戸時代からそのままになっている「雁木坂(がんぎざか)」があります。
歩きにくい仕掛けは、城が攻め込まれた時に備えられているとのこと。
(池波正太郎著の『鬼平犯科帳』では主人公・長谷川平蔵の屋敷が清水門の外という設定でしたが、実際は両国エリアにありました。)
<Shimizu-mon Gate>
〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1−1
佐野善左衛門宅跡(Sano Zenzaemon Residence Ruins)意知殺し
江戸城内で田沼意次の息子・意知を斬りつけた旗本の佐野政言(佐野善左衛門)の屋敷があった場所です。
1784年(天明4年) 佐野政言は城内で若年寄の田沼意知を斬り、それが元で絶命させたため、切腹は命じられ、お家断絶に処されます。
ですが田沼政治に鬱憤が溜まっていた人々は「世直し大明神」と称賛し、逆に意次が失脚していきます。
この事件を題材にした黄表紙『黒白水鏡(こくびゃくみずかがみ)』は幕府の怒りを買い、本は絶版、作者の石部琴好と山東京伝は罰を受けました。
現在は大妻女子大学の門前の歩道に屋敷跡を示す立て札が立っています。
<Sano Zenzaemon Residence Ruins>
〒102-0075 東京都千代田区三番町12−1
大河『べらぼう』ゆかりの地|料金・最寄り駅一覧
エリア | 名称 | 形態 | 料金 | 最寄り駅 |
吉原 | べらぼう 江戸たいとう 大河ドラマ館 | 屋内展示 | 大人800円 小人400円 |
東武線「浅草駅」 徒歩5分 |
吉原 | 江戸新吉原耕書堂 | 観光案内 土産物屋 |
記載なし | 東京メトロ日比谷線 「三ノ輪駅」徒歩13分 |
吉原 | 吉原神社 | 神社 | 無料 | 東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」徒歩15分 |
吉原 | 五十間道 | 道路 | 無料 | 東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」徒歩10分 |
吉原 | 見返り柳 | 柳、石碑 | 無料 | 東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」徒歩12分 |
吉原 | 吉原大門跡 | 柱 | 無料 | 東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」徒歩10分 |
吉原 | 吉原公園 | 公園 | 無料 | 東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」徒歩10分 |
吉原 | 正法寺墓苑 | 墓 | 無料 | 都営銀座線「浅草駅」徒歩15分 |
吉原 | 平賀源内の墓 | 墓、顕彰碑 | 無料 | 東京メトロ日比谷線 「南千住駅」徒歩12分 |
日本橋 | 耕書堂跡 | 看板 | 無料 | 東京メトロ日比谷線 「小伝馬町駅」 |
日本橋 | 十思公園 十思スクエア別館 |
公園、展示 | 無料 | 東京メトロ日比谷線 「小伝馬町駅」徒歩2分 |
日本橋 | 芝居町跡 | 立て札 | 無料 | 東京メトロ日比谷線・都営地下鉄浅草線「人形町駅」徒歩2分 |
両国 | すみだ北斎美術館 | 美術館 | 一般400円 高校大学専門65歳以上300円 |
都営地下鉄大江戸線 「両国駅」徒歩5分 |
両国 | 葛飾北斎の銅像 | 銅像 | 無料 | 都営地下鉄大江戸線「両国駅」徒歩6分 |
皇居江戸城跡 | 江戸城天守台 | 展望台 | 無料 | 「東京駅」徒歩5分 |
皇居江戸城跡 | 大奥跡 | 立て札と広場 | 無料 | 東京メトロ東西線・都営三田線「大手町駅」徒歩6分 |
皇居江戸城跡 | 一橋徳川家屋敷跡 | 石柱、立て札 | 無料 | 東京メトロ東西線「竹橋駅」徒歩2分 |
皇居江戸城跡 | 田安門 | 門 | 無料 | 東京メトロ東西線・半蔵門線/都営新宿線「九段下駅」徒歩6分 |
皇居江戸城跡 | 清水門 | 門 | 無料 | 東京メトロ東西線・半蔵門線/都営新宿線「九段下駅」徒歩6分 |
皇居江戸城跡 | 佐野善左衛門宅跡 | 立て札 | 無料 | 東京メトロ東西線・半蔵門線/都営新宿線「九段下駅」徒歩10分 |