2024年前期のNHK朝の連続ドラマ小説では
『虎に翼』トラつばが放映されます。
伊藤沙莉(いとうさいり)さんが演じる大正・昭和を生き抜いたヒロイン寅子(ともこ)の自立した人生と法廷ストーリーが展開されていきます。
こちらでは、見逃した方や、見る時間がない方、あらすじだけ知りたい方に向けて、
ネタバレを含むあらすじをご紹介しています。
『虎に翼』第3週放送日
第3週
「女は三界に家なし?」
は4月15日〜4月19日放送!
ではさっそくあらすじを紹介していきます!
朝ドラ『虎に翼』第3週ネタバレあらすじ 「女は三界に家なし?」 11話
2024年前期のNHK朝ドラ『虎に翼』4月15日放映の11話あらすじです!
明律祭に向けて
1933年( 昭和8年 )秋 。
寅子(伊藤沙莉)が明律大学 女子部の2年生になり、半年が経ちました。
60人いた同期生は20人にまで減り、クラスも3つから1つになっています。
3年に進級したのは、久保田聡子(小林涼子)と中山千春(安藤輪子)の二人だけ 。
新入生も前年より少なく、女子部は存続が危ぶまれるような状況です。
猪爪家では、雄三(仲野太賀)がまた高等試験(司法試験)に落ち、
生理痛が重く、4日学校を休んでいる寅子。
はる(石田ゆり子)は、寅子が法律家になるのを諦め結婚することを期待しています。
そんな中 、明律祭で女子部の2年と3年が合同で 法廷劇をやることが決まりました。
寅子たちは、女子部存続のための宣伝にもなると考え、真剣に取り組み始めます。
脚本は、学長が実際の判例から考えた筋書きをもとに、桜川涼子(桜井ユキ)がしたためたものでした。
ーそれはこんなあらすじでした。
毒饅頭事件
『毒饅頭殺人事件
7歳年下の医学生だった乙蔵と恋に落ちた女給の甲子。
彼女は「いつか結婚しよう」と約束した乙蔵に資金援助を続けたが、医師になった乙蔵に「結婚はできない」と捨てられてしまう。
甲子は 防虫剤入りの毒饅頭を作り乙蔵一家殺害を試みるも、
結果的に乙蔵の祖父が死に、甲子は殺人と殺人未遂の罪で懲役8年を言い渡されたー』
嫁はつらいよ
ある日の放課後、法廷劇の衣装作りのため、 大庭梅子(平岩紙)、崔香淑(ハ・ヨンス)、 涼子が寅子の家にやってきました 。
そこで 香淑がお茶を運んできた花江(森田望智)を”女中さん”と言ってしまいます。
寅子が義理の姉だと訂正すると、香淑は慌てて謝ります。
すると
いいんです。私なんて女中 みたいなものですから
と、部屋を出ていく花江。
後を追った寅子が花江を気遣いますが 、花江 は
トラちゃんにはお嫁に来た人の気持ちなんて分からないわよ
と言葉を濁します。
それをはる(石田ゆり子)に聞かれてしまいます。
朝ドラ『虎に翼』第3週ネタバレあらすじ 「女は三界に家なし?」 12話
4月16日放映の12話あらすじです!
涼子様
猪爪家で機嫌の悪い花江と寅子達が衣装を作っていると、そこへ涼子の家から使いが来ます。
涼子は帰宅すると
桜川家男爵家の娘として生まれた役目を果たしなさい
と母に言われます。
桜川家男爵家は男子が生まれず婿を取っていました。
みんな本気
ある日、完成した脚本を読んでいた山田よね(土居志央梨)が、書き直すように 言い出します。
劇の最後に
「弁護士にご相談を!」
「損害賠償を請求できます!」
というセリフがあるのですが、実際には甲子が訴訟を起こしても勝てる見込みなどないからです。
これは先生方に選んでもらった筋書きで…
と涼子が言うと
結局男のいいなりか?!
さらによねは、女子部のみんなが法律を学んでいる動機を
どうせ結婚を逃れるための時間稼ぎや主婦の暇つぶしにすぎない
と吐き捨てました。
私はあんたらと違って本気なんだ
本気で弁護士になって世の中を変えたいんだよ
寅子は、自分も法律を学ぶきっかけが 結婚から逃れるためだったことを認めて言いました。
でも 動機はどうあれ 今ここに残ったみんなは一生懸命勉強して次に進む道を探してる
それだってよねさんと同じ本気ってことじゃないかしら?
本気なんて目に見えないことで、どっちが上とか下とか…それこそくだらないことじゃないかしら
よねは1人で出て行ってしまいます。
明律祭は大騒ぎ
明律祭当日、結局よねも参加しての法廷劇が始まりました。
甲子役の寅子は女子部 存続のために全力で演技に取り組んでいたのですが、女子部を見下している男子学生たちから次々とヤジが飛びます。
見かねたよねが声を上げようとしたとき
寅子が
退廷なさい!
ここは法廷ですよ
慎みなさい!
と鋭く注意します。
すると小橋(名村辰)がさらに追い打ち。
どうせ誰も弁護士なんてなれねえよ
おい!!!!
よねは思わず声を荒げ
寅子も
撤回しなさい!
今の私達にその言葉を投げることがどれだけ残酷かわからないの?
と叫びます。
よねは舞台を降り、小橋に詰め寄ります。
お前の顔、覚えたからな
と凄むよねを、突き飛ばす小橋。
朝ドラ『虎に翼』第3週ネタバレあらすじ 「女は三界に家なし?」 13話
4月17日放映の13話あらすじです!
乱闘!股間を蹴り上げる”よね”
ちょっとーーーー!!
小橋に襲いかかる寅子。
寅子の爪が間に入った優三にクリーンヒット。
よねは小橋の股間を蹴り上げます。
女子部と男子学生の乱闘により劇は中止となり、新聞にも取り上げられます。
翌日、よねは大学に来ていたものの、前日の乱闘で男子学生の股間を蹴り上げ、 足を怪我していました。
激痛に耐えかねたよねは、仕方なく寅子と香淑に抱きかかえられて帰宅することになり、梅子、 涼子、そして涼子のお付きの玉(羽瀬川なぎ)も 同行。
よねは、上野の繁華街の 「燈台」というカフェの2階を間借りし、放課後はカフェでボーイとして働いていました。
カフェのマスターの増野はよねがどうして働き始めるようになったのかを話そうをします。
それを制した寅子。
よねさんがいないところでよねさんじゃない人から話を聞くのは違うと思うんです
そこでよねは寅子たちに、なぜカフェで働くことになったかを話し始めます。
よねの生い立ち
よねは貧しい農家の5人兄弟の3番目でした。
父親は 飲んだくれで、姉の夏は15で売られて東京で女郎になっていました。
よねも売られそうになり
女、やめる!
だからここにいたい
と短髪にして抵抗しますが受け入れられず、逃げ出したのでした。
東京に来たよねは、姉を頼り増野を紹介してもらいボーイとして働き始めました。
さらに 数年後 、姉の置屋が稼いだお金をごまかしていたことが発覚。
本来なら泣き寝入りの案件でしたが、よねに力を貸すと近づいてきたいかがわしい弁護士の緒方は 置屋を「訴えるぞ」と脅して大金を取り返し、その一部を 報酬として持ち去りました。
置屋を追い出された姉は男を作って消えてしまいましたが、よねの手元には お金が残り、そんな時、明律大学女子部の情報を新聞で目にしたのでした。
私は欲しい。
今の私のまま、なめ腐ったやつらを叩きのめすことができる力が。
だから必死に勉強して女子部に入ったんだ
姉ちゃんの金を使ってな…
私とあんたらは違う。
だからもう関わるな
話を聞いた寅子たちは、自分たちが恵まれていること、そんな自分たちを見てよねが苛立つ気持ちが分かり、言葉を失います。
朝ドラ『虎に翼』第3週ネタバレあらすじ 「女は三界に家なし?」 14話
4月18日放映の14話あらすじです。
掛ける言葉
よねの告白に、寅子は何か声をかけたいと思いますが
よねさんにこんな顔をさせたまま帰ることはできない。
でも、どんな言葉をかけたらいいのかわからない
なにを言ってもなんだか偉そうになってしまう気がする…
と、どんななぐさめの言葉もなんだか違うような気がしています。
あんたらと違って一日も大学を休んだことがない
というよねに
お月のもの(生理)のときはどうしてるの?
お腹や頭は痛くならないの?
別に…
いいなああ!
真実はひとつ
寅子の提案で、法廷劇を自分たちで再検証することになり 、猪爪家に集まりました。
寅子たちは、はる(石田ゆり子)と花江(森田望智)にも手伝ってもらい 、毒まんじゅうを 実際に作ってみたのです。
思った以上に手間がかかります。
大庭梅子(平岩紙)は言います。
わざわざ手間なものをせっせと作り続けていた
それに男ってバカなのよ
別れた女はいつもでも自分を好きだと思っている
「自分の好物を玄関に置いてくれた
ういやつめ、ふふふ、ぱくり」ってね
ですが実際には 、致死量となる防虫剤は相当な量で、”防虫剤入り毒まんじゅう”で人を殺すのは無理がある、という結論に至りました。
よねは言いました。
毒まんじゅう事件は甲子が無知だったゆえの結果だ
無知だから乙蔵は殺せず、背負う罪は重い…
惨めで愚かな行動に出てしまった
それだけだ
寅子は思わず反論し、力強く言いました
あなたの言う愚かな女性のために何ができるのか考えて考え抜いて寄り添えなきゃ、
あなたがなりたい”世の中を変える 弁護士”にはなれないと思う
法という盾を持ちつつある私達だからこそ甲子さんに寄り添って考えたい
その言葉はよねの心に響きます 。
すると涼子(桜井ユキ)が突然意外な真実を明かすのでした。
実は、この日のために元となった実際の判例を調べ直してみましたの
そうしたら学長が法廷劇用に内容を改めていたことが分かりました
実は甲子は事件を起こす前に婚姻予約不履行を理由に損害賠償を求める民事訴訟を起こしており、乙蔵は敗訴し、公庫に7000円を支払っていました。
また、甲子の職業は女給ではなく医師で、毒は 防虫剤ではなくチフス菌だったのです。
学長は甲子に同情を集めるために話を変え、「かわいそうな無知な女を弁護する優しき女子部」を喧伝しようとしていたのです。
朝ドラ『虎に翼』第3週ネタバレあらすじ 「女は三界に家なし?」 15話
4月19日放映の15話です。
弱音を吐こう
涼子様は謝ります。
言い出せなくてごめんなさい
どうしても作ってみたかったのお饅頭を
わたくしを特別扱いなさらない皆様と
憤慨するよねが
無駄な時間を過ごしただけ
そう言って帰ろうとすると突然、 はるが
それは違います
と言って 語り出します。
先生方が無意識に「女をナメている」ことがわかったのも
今日があったからでしょ
少なくとも私は娘が あなたたちと学べて良かったと思いました 。
この先 寅子の将来がどうなるにせよ、同じ志を持つ仲間を得られたんだと思いました
すると花江も涙を流しながら訴えます。
皆さんが話をしているのを聞いていると、私はこの輪に入れないと思うの
私は皆さんの言う ”戦わない女”側 なんだなって…
それが辛くて
トラちゃんはもう親友って思ってないのよ
わたしのこと「兄の嫁」って紹介したし…泣
よねは、誰もが辛さを抱えているのを認めつつ、
弱音を吐くのは甘えているからだ
と花江を咎めます。
寅子は言います
はて…?
みんな辛いなら、私はむしろ弱音吐いていくべきだと思う
解決はできない
でも受け入れることはできるでしょ?
寅子の言葉に、
自分の努力が評価されず、全て「華族だから」で片付けられてしまう 涼子 、
姑の小言にうんざりしている梅子、
外国人だから辛い目に遭う香淑、
どんなに頑張ってもはるに褒めてもらえない花江は、
次々と不安と弱音を吐きあいました。
と、突然帰宅した兄の直道(上川周作)が口を挟んできました。
俺は花江ちゃんの味方
花江ちゃんが一番。
だからこの家出ようかな?
はるも
2人の幸せが一番よ
と同意します。
思っていることは口に出していかないとね!
なぜか直道が話をまとめ、結果的に良い雰囲気に。
毒舌寅子
帰りがけ、寅子は弱音を吐かなかったよねに話しかけます。
よねさんはそのまま嫌な感じでいいから。
思ったの。
怒り続けることも弱音を吐くのと同じくらい大事だって。
だから私たちの前では好きなだけ嫌な感じでいて
よねは困惑していましたが、わずかに寅子に心を開き始めていました。
こうして1年半後の1935年
寅子たちは無事女子部を卒業し、明律大学法学部に進学することになりました。
法廷劇の記事が乙女たちの心をつかみ、後輩もできました。
こうして女子部は存続することになりました。
いよいよ法学部本科に進学です。
朝ドラ『虎に翼(トラつば)』タイトルの意味
「虎に翼」というのは元々中国の法家・韓非子の言葉で
”ただでさえ強いものにさらに強い力が加わる”
つまり「鬼に金棒」と同意ですが、語感がいいですね。
強さと自由を感じます。
これは主人公のモデルとなった三淵嘉子さんが寅年生まれで
”トラママ”🐯
と呼ばれていたことに由来しています。
主人公の名前は寅子(ともこ)で、あだ名は“トラコ”です。
法律という翼を得て力強く羽ばたいていく寅子が、その強大な力にとまどい時には悩みながら、弱き人々のために自らの翼を正しく使えるよう、一歩ずつ成長していく姿をイメージしています。(引用:NHK公式ホームページ)
朝ドラ『虎に翼(トラつば)』モデル 三淵 嘉子(みぶち よしこ)とは
三淵嘉子さんのプロフィールを簡単にご紹介すると
1914年〈大正3年〉11月13日 – 1984年〈昭和59年〉5月28日
日本初の女性弁護士の1人であり、初の女性判事及び家庭裁判所長を務める。
朝ドラ『虎に翼(トラつば)』モデル 三淵 嘉子(みぶち よしこ)年表
どのような人生を歩まれた方だったのか年表を作成してみました。
1914年(0歳) | シンガポール | 台湾銀行に勤務する父と専業主婦の母のもと、シンガポールで生まれます。 5人兄弟の長女でした。 旧姓は武藤。シンガポールの漢字表記に用いられた「嘉」から「嘉子」と名付けられました。 (現在でもシンガポールに住む4分の3が華人であり、シンガポールにおいて漢字の使用は盛んに行われています) |
1916年(2歳) | 丸亀 | 母の実家である香川県丸亀市に住みます |
1920年(6歳) | 東京 | 父親の転勤に伴い渋谷区で暮らすことになり、東京府青山師範学校附属小学校に入学 |
1927年(13歳) | 東京 | 東京女子高等師範学校附属高等女学校、現在のお茶の水女子大学付属に入学 |
1932年(18歳) | 東京 | 明治大学専門部女子部法科に入学 |
1935年(21歳) | 東京 | 明治大学法学部に編入 |
1938年(24歳) | 東京 | 同校同学部を卒業し、同年の高等文官試験司法科試験に合格 |
1940年(26歳) | 東京 | 第二東京弁護士会に弁護士登録して 弁護士として活動を始めます。 明治大学同窓生の中田正子さん、久米愛さんと共に日本初の女性弁護士の誕生です。 |
1941年(27歳) | 東京 | 明治大学卒の和田芳夫さんと結婚 |
戦時中・戦後 | 福島へ疎開 | 疎開中に最初の夫である和田芳夫が戦地で発病し亡くなり、戦後、両親も相次いで亡くなってしまいます。
そのため弟や子供を養うこととなります。 |
1947年(33歳) | 裁判官採用願いを司法省に提出。司法省民事部勤務
「男女平等が宣言された以上、女性を裁判官に採用しないはずはない」と考えた三淵嘉子さん。 すぐには裁判官になれませんでしたが、司法省民事局局付を経て最高裁判所発足に伴い最高裁民事局局付、家庭局創設に伴い初代の家庭局局付に就任し、新しい民法や家庭審判法といった法整備を手伝うとともに、家庭裁判所の創設にも尽力し、女性の権利を仕組みづくりに参加しています。 |
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1949年(35歳) | 東京 | 東京地裁民事部の判事補(地方裁判所や家庭裁判所に配置される裁判官)として日本初の女性裁判官に就任。 |
1952年(38歳 | 名古屋 | 名古屋地方裁判所で日本初の女性判事に就任 転勤も経験してキャリアを積んでいきます。 |
東京 | 東京地方裁判所 | |
1956年(42歳) | 裁判官の三淵乾太郎さん(初代最高裁長官だった三淵忠彦さんの子)と再婚 | |
1972年(58歳) | 新潟 | 新潟家庭裁判所で日本初の女性家庭裁判所長に就任
主に少年事件を担当されます |
1973年(59歳) | 浦和 | 浦和家庭裁判所長に就任 |
1978年(64歳) | 横浜 | 横浜家庭裁判所長に就任 |
1979年(65歳) | 東京 | 裁判官を退官し、弁護士に戻ります。
16年もの間、家庭裁判所に関わった三淵嘉子さんは 家庭裁判所の「育ての母」と呼ばれることもあります。 |
1984年(69歳) | 1984年5月28日午後8時15分 骨癌のため69歳で亡くなられました。 |