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【ネタバレ】朝ドラ『虎に翼』あらすじ第2週(6〜10話)

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2024年前期のNHK朝の連続ドラマ小説では
『虎に翼』トラつば放映されます。

伊藤沙莉(いとうさいり)さんが演じる大正・昭和を生き抜いたヒロイン寅子(ともこ)の自立した人生と法廷ストーリーが展開されていきます。

こちらでは、見逃した方や、見る時間がない方、あらすじだけ知りたい方に向けて、
ネタバレを含むあらすじをご紹介しています。

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『虎に翼』放送日

第2週

「女三人寄ればかしましい?」

4月8日〜4月12日放送!

 

 

 

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『虎に翼』第2週ネタバレあらすじ 「女三人寄ればかしましい?」 第6話

2024年前期のNHK朝ドラ『虎に翼』第2週のネタバレあらすじをお伝えしていきます。
まずは第5話から。

入学

1932年 昭和7年 春 。

寅子(伊藤沙莉)は晴れて明律大学 女子部に入学することになりました。
優三(仲野太賀)は高等試験に落ち、司法浪人生活2年目に突入。
花江(森田望智)は猪爪家に入り、デレデレの直道(上川周作)と二人 幸せな結婚生活を送っています。

入学式 当日 、式場には60人の新入生が集まっていました。
学長の挨拶に続き 新入生代表として登壇したのは、男爵家の令嬢で女子の憧れの的である 桜川涼子(桜井ユキ)でした。

年齢も生い立ちも違う私たちですが 、志は皆同じでございます

華やかな 涼子の姿と英語交じりの熱いスピーチに胸を躍らせる寅子。

式の後、穂高重親(小林薫)と再会した寅子は、以前 「竹もと」ではるが 啖呵を切った相手・桂場(松山ケンイチ)が、普段は 東京地裁で 判事をしていると知ります。
寅子が夜学であった時は、臨時で講義をしていた時だったのです。
桂場に顔を合わせづらかった寅子はひと安心。

その後、寅子は帝都新聞の竹中次郎(高橋努)という記者から穂高と一緒に取材を受け、得意げに対応してみせました。

”よね”との出会い

女子部は本校舎から歩いて5分ほどの離れ にあります 。
そこでは昨年入学した1期生の久保田聡子(小林涼子)や中山千春(安藤輪子)らが 法服を着て新入生を待っていました。
寅子たちは、1期生が80名から7名まで減ってしまったことや、女子部は 法学部の男子学生から「魔女部」「嫁の貰い手がなくなるぞ」などとからかわれていることを知ります。
実際、法学を学び続けたことで婚約を解消されたという中山千春は泣いていました 。
重苦しい 空気を変えようと 寅子は自己紹介を始めます。

好きなものは 歌劇と歌うこと…あ、ここで一曲ご披露

ヘラヘラヘラヘラして鬱陶しい

声を発したのは男装した 新1年生の 山田よね(土居志央梨)でした 近づいてくる よねに圧倒され、 寅子は尻餅をついてしまいます。

何であんたみたいなのが女子部 に?
どうせ 法律が何かも分かってないくせに

その日 家に帰った寅子はよねに言われた言葉が忘れられず 悶々と過ごしました。

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『虎に翼』第2週ネタバレあらすじ 「女三人寄ればかしましい?」 第7話

『虎に翼』第7話です。

苛立つ”よね”

入学から1週間が経ちました。

新入生たちは3 クラスに分けられ 、寅子は3組になりました。

新入生代表の華族のお嬢様・桜川涼子(桜井ユキ)、
朝鮮半島からの留学生・崔香淑(さいこうしゅく ハ・ヨンス)
弁護士の夫を持つ大庭梅子(おおばうめこ 平岩紙)
の3人と寅子は一緒にお弁当を食べる仲になりました 。
年長で子供がいる 梅子が毎日おにぎりを作ってくれますが 、1人 離れて 読書をしている山田よね(土居志央梨)は 受け取りません。

授業は難解で退屈。
うとうとしながら授業を受け白目を剥く女学生(うらじぬの)たち。
うっかり寅子が音を立て

うるさい!

と山田よねは声を荒げます。

 

ある日 帰宅した寅子が腹を立てています。
帝都新聞に女子部の入学式の様子を小馬鹿にした切り取り記事が掲載されているのを知ったからです。

翌日 涼子たちに話しますが、皆どこか諦めムード。

そんな中、 弁護士資格取得を女子にも認める法改正が 今回も通らなかった、という知らせが飛び込んできます。
先輩の久保田と中山は落胆しています。
寅子が

次の議会に期待しましょう!

と声をあげるとよねが叫びました。

メソメソへらへらメソへらへら!
全員 鬱陶しい!やめてしまえ!!

出て行ったよねを追わずにはいられませんでした。

 

初めての傍聴

よねの後をつけていくと 、東京地裁にたどり着きました。

初めての裁判所(圧強め)に寅子が オロオロしていると、傍聴マニアの 寿司屋・笹山(田中要次)が寅子を民事裁判の傍聴人控所に連れて行ってくれました。
そこにいたよねは、寅子を見て驚きます。

その日、寅子は初めて法廷を見学しました。

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『虎に翼』第2週ネタバレあらすじ 「女三人寄ればかしましい?」 第8話

では、8話です!

DV夫に勝利したい

夫の暴力に耐えかねて実家に戻った 妻 ・峰子が離婚裁判を起こして勝訴しましたが 、夫・東田が嫌がらせのようにすぐに控訴。

そんななか、峰子は嫁入りの際に持参した母親から贈られた色留袖を取り返したくてこの物品返還訴訟を別に起こしたというのです。

東田は態度も悪く、話を聞いていた寅子は峰子を応援したい気持ちでいっぱいになります。

がんばれ(小声)

裁判は来週結審するとして 閉廷となりました 。

自分を鼓舞するために裁判所にきたの?

寅子に話しかけられたよねは

あの裁判をみてどうやって鼓舞できるというのだ
法律上 着物は戻らない

と言い、続けます。

女は常に虐げられて馬鹿にされている。
その怒りを忘れないために、私はここに来ている

結婚って罠!?

寅子は帰宅後 、夜学から戻った優三を捕まえて、裁判について意見を求めました 。

優三は

今の法律では、離婚が確定しない以上、妻の財産は夫が管理することになる

と寅子に説明します 。

寅子は

結婚しなくてよかった…

と心から思うとともに、法律の理不尽さに腹を立て
はるや花江にまで

罠だよ
結婚って罠!!

いいます。

「法律に正解はない」

翌日、寅子は女子部に来た穂高に昨日の裁判の件を話し、

峰子さんが勝つのは難しそうですが、どうしても納得できないのです
本当に無理なのでしょうか?

と質問しました

さあ どうだろう
法廷に正解というものはないからね

穂高は、

依頼人と弁護人。 弁護士の数だけ弁護の形がある
君たちならどう弁護するか考えてくるというのはどうだろうか?

と言いました。

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『虎に翼』第2週ネタバレあらすじ 「女三人寄ればかしましい?」 第9話

9話です!

夫による恥ずかしい保護

寅子・ 涼子・梅子は、気乗りしていないよねも誘って、甘味処「竹もと」であんみつを食べながら裁判について議論します。
寅子以外は現行の法律では仕方がないと諦めていました。

寅子が

諦めたらそこで終わりじゃないですか

というものの涼子も

参政権もない、家督も基本的には継げない、遺産も相続できない

梅子も

姦通罪も女だけ
夫は何人女を囲おうがお咎めなし

と諦めモードで「すんっ」とします。

無能力者である女性は「夫による恥ずかしい保護」を受けながら暮らしている時代です。

寅子は、判例集や民法の本を読み全力で考え続けましたが、いい案は見つかりません。

1週間が経ち、結審の日がやってきました。

穂高の授業の中で、「原告は 敗訴。着物は取り戻せない」という自分たちの結論を穂高に告げました。
ですが 寅子は続けます。

民事訴訟法第185条にこうあります

それは

「民事訴訟において 裁判所は法律や証拠だけではなく、社会 ・時代 ・人間を理解して自由な心象で判決を下さなければならない

という内容でした 。

それを聞いた穂高は頷いています 。

見に行きませんか?判決を。
裁判官の自由なる心象に希望を託すしかないのではないでしょうか?

寅子の提案で、みんなで裁判を見届けに行くことになりました。

 

裁判所では田中裁判長はため息をつき、裁判に臨みます。
夫側と妻側の弁護士(シソンヌ)の主張を聞き、いよいよ結審です。

主文…

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『虎に翼』第2週ネタバレあらすじ 「女三人寄ればかしましい?」 第10話

いよいよ第10話!裁判の結果がでます!

結審するも、怒る”よね”

裁判長が言い渡した判決は、
着物を引き渡すよう東田に指示するものでした。

裁判長は、

「民法で夫が妻の財産を管理すると定めているのは 、本来、 夫婦共同生活の平和の維持と妻の財産の保護を目的とするもので今回の件にはあたらない」

と解説したのです。

閉廷後 、穂高は喜ぶ寅子たちに言いました。

人間の権利は法で定めて定められているが、それを乱用・悪用することにがあってはならない 。
新しい視点の見事な判決 だったね

ですが、よねは甘すぎると憤っています。

あの男は彼女への非道な仕打ちの償いをすることもない。
何も反省しない
また他の女性に繰り返すはず
法は無力な女性たちの唯一の武器であるはずなのに…

と涙を浮かべます。

すると声が聞こえてきます。

おい!
あれで俺を負かしたつもりか?
おれは絶対離婚しないからな、一生離さない!
お前だけ幸せになるなんて絶対許さない!

峰子の夫・東田の声です。

私に関わらないでください!

寅子は思わず

ちょーっと待ったーーー!!

と止めに入ります。

殴らせればよかったのに
そうすれば私達が証人になれる
現行犯で逮捕できる

とよねは言います。

よねさん 。
さっき法は悪い人を殴る 武器だと言ったけれど、私はね、法は弱い人を守るもの、盾とか傘とか 温かい毛布とか…そういうものだと思う

分かり合えない

と突き放すよね と諦め顔の涼子たち。

ですが寅子は

はて?
私たち明律大学女子部の学生でしょ?
1個の人格者として認められない女のくせに、法律を学んでいる。
地獄の道のを行く同志よ。
考えが違おうが、ともに学び、ともに戦うの
よねさんのこともっと知りたい
よねさんのことわりと好きよ

と続けます。

 

桂場と穂高が会っています。
裁判には穂高の思惑も絡んでいたようです。

笑顔で帰宅する寅子

お母さん、花江
もしこの先結婚に絶望しても絶対私が助けてあげる
私盾なの。盾みたいな弁護士になるの

 

一方、よねは繁華街の女性が男性に接待する店「燈台」でボーイとして働いています。

また、涼子は母から日に焼けたことを指摘されます。
「ご自分の値打ちを下げてはだめよ」という厳しいブランディング。

さまざまな環境下でみな必死で生きているのでした。

 

前週のあらすじ

次週のあらすじ

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朝ドラ『虎に翼(トラつば)』タイトルの意味

「虎に翼」というのは元々中国の法家・韓非子の言葉で

”ただでさえ強いものにさらに強い力が加わる”

つまり「鬼に金棒」と同意ですが、語感がいいですね。
強さと自由を感じます。

これは主人公のモデルとなった三淵嘉子さんが寅年生まれで
”トラママ”🐯
と呼ばれていたことに由来しています。

主人公の名前は寅子(ともこ)で、あだ名は“トラコ”です。
法律という翼を得て力強く羽ばたいていく寅子が、その強大な力にとまどい時には悩みながら、弱き人々のために自らの翼を正しく使えるよう、一歩ずつ成長していく姿をイメージしています。(引用:NHK公式ホームページ)

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朝ドラ『虎に翼(トラつば)』モデル 三淵 嘉子(みぶち よしこ)とは

三淵嘉子さんのプロフィールを簡単にご紹介すると

三淵 嘉子(みぶち よしこ)
1914年〈大正3年〉11月13日 – 1984年〈昭和59年〉5月28日
日本初の女性弁護士の1人であり、初の女性判事及び家庭裁判所長を務める。
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朝ドラ『虎に翼(トラつば)』モデル 三淵 嘉子(みぶち よしこ)年表

どのような人生を歩まれた方だったのか年表を作成してみました。

1914年(0歳) シンガポール 台湾銀行に勤務する父と専業主婦の母のもと、シンガポールで生まれます。
5人兄弟の長女でした。
旧姓は武藤。シンガポールの漢字表記に用いられた「嘉」から「嘉子」と名付けられました。
(現在でもシンガポールに住む4分の3が華人であり、シンガポールにおいて漢字の使用は盛んに行われています)
1916年(2歳) 丸亀 母の実家である香川県丸亀市に住みます
1920年(6歳) 東京 父親の転勤に伴い渋谷区で暮らすことになり、東京府青山師範学校附属小学校に入学
1927年(13歳) 東京 東京女子高等師範学校附属高等女学校、現在のお茶の水女子大学付属に入学
1932年(18歳) 東京 明治大学専門部女子部法科に入学
1935年(21歳) 東京 明治大学法学部に編入
1938年(24歳) 東京 同校同学部を卒業し、同年の高等文官試験司法科試験に合格
1940年(26歳) 東京 第二東京弁護士会に弁護士登録して
弁護士として活動を始めます。
明治大学同窓生の中田正子さん、久米愛さんと共に日本初の女性弁護士の誕生です。
1941年(27歳) 東京 明治大学卒の和田芳夫さんと結婚
戦時中・戦後 福島へ疎開 疎開中に最初の夫である和田芳夫が戦地で発病し亡くなり、戦後、両親も相次いで亡くなってしまいます。

そのため弟や子供を養うこととなります。
後に「私の人間としての本当の出発は、敗戦に始まります」と語っておられます。

1947年(33歳) 裁判官採用願いを司法省に提出。司法省民事部勤務

「男女平等が宣言された以上、女性を裁判官に採用しないはずはない」と考えた三淵嘉子さん。
女性という理由で裁判官に採用しないことは憲法違反になるからです。

すぐには裁判官になれませんでしたが、司法省民事局局付を経て最高裁判所発足に伴い最高裁民事局局付、家庭局創設に伴い初代の家庭局局付に就任し、新しい民法や家庭審判法といった法整備を手伝うとともに、家庭裁判所の創設にも尽力し、女性の権利を仕組みづくりに参加しています。

1949年(35歳) 東京 東京地裁民事部の判事補(地方裁判所や家庭裁判所に配置される裁判官)として日本初の女性裁判官に就任。
1952年(38歳 名古屋 名古屋地方裁判所で日本初の女性判事に就任
転勤も経験してキャリアを積んでいきます。
東京 東京地方裁判所
1956年(42歳) 裁判官の三淵乾太郎さん(初代最高裁長官だった三淵忠彦さんの子)と再婚
1972年(58歳) 新潟 新潟家庭裁判所で日本初の女性家庭裁判所長に就任

主に少年事件を担当されます

1973年(59歳) 浦和 浦和家庭裁判所長に就任
1978年(64歳) 横浜 横浜家庭裁判所長に就任
1979年(65歳) 東京 裁判官を退官し、弁護士に戻ります。

16年もの間、家庭裁判所に関わった三淵嘉子さんは

家庭裁判所の「育ての母」と呼ばれることもあります。

1984年(69歳) 1984年5月28日午後8時15分
骨癌のため69歳で亡くなられました。

 

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