8月の『べらぼう』は、
1785年(天明5年)〜1787年(天明7年)の話です。
蔦重35歳〜37歳。
大きな時代の変化が訪れます。
また、蔦重を取り巻く登場人物もそれぞれ必死に生き抜いていく様子が描かれます。
こちらでは
大河ドラマ『べらぼう』
2025年8月放映分(30話〜)
のあらすじを順次ご紹介いたします。
【月ごとのあらすじ】
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2025年大河『べらぼう』8月あらすじ
『べらぼう』8月のあらすじです!
第30回 8月 3日 |(松平定信の逆襲)
かつての御三卿・田安賢丸、白河松平家の松平定信は、時期将軍の父・一橋治済から政に関わる気はないかと打診を受けています。
治済が息子が将軍になった暁には必ず田安家を復活させるという交換条件を飲み、定信は政に加わると返事をしました。
逆に、宝蓮院は、田安家を取り潰しを交換条件に白河松平家の家格の向上を願い出て、田沼意次に認められました。
こうして家格を手にした松平定信は、老中たちと顔を並べ、反田沼派を形成します。
この頃、歌麿は「人まね歌麿」と評判になっていました。
今こそチャンスだと、オリジナルの絵を描くよう枕絵(春画)を勧める蔦重ですが、歌麿にはどうしても描けません。
ある夜中、荷物を抱えて出かけた歌麿の後をこっそりつけていく蔦重。
着いた先は廃れた神社でした。
荷物の中身を捨てようとする歌麿。
社殿から出てきた男。
奥には女の姿。
その姿が亡き母親に見えた歌麿は、絶叫します。
母親が男に暴力を振るわれたと思ったのでした。
石で男を殴りつける歌麿の姿が蔦重の目に飛び込んできます。
蔦重が止めるもなお叫び続ける歌麿。
歌麿は心の中の深い傷に苦しめられていました。
店に戻ると、歌麿の評判を聞いた鳥山石燕が訪ねてきていました。
鳥山石燕は歌麿が幼い頃に絵を習った人物です。
「弟子にしてくだせえ!
俺、俺の絵を描きてえんです
俺を傍に置いてくだせえ」
弟子入りを志願した歌麿は、鳥山石燕の庵で暮らすことになりました。
夏
多くの反対や反発の中「貸金会所令」が発令されました。
第31回 8月10日|(盛られた毒)
1786年(天明6年)7月
折からの大雨により利根川が決壊し、江戸の町は大きな被害を受けました。
幕府に米がなく、お救い米も出ず、人々が苦しむなか、意次肝いりの「貸金会所令」による金銭の徴収が始まります。
町民は反発し、松平定信は実施を取りやめるよう田沼意次に求めます。
「月次御礼」での将軍徳川家治の判断に委ねることとなりましたが、徳川家治は体調を崩し、欠席してます。
食事に毒が盛られていたのです。
意次が毒を仕込んだ黒幕ではないかとの噂が立ち、意次は家治との面会禁止、辞職に追い込まれます。
いよいよ重篤となると、家治は最後の力を振り絞り床から這い出て一橋治済ににじり寄って言いました。
「これからは余も天の一部となる
余が見ておることをゆめゆめ忘れるな」
家治は、この言葉を最後に息を引き取りました。
第32回 8月17日|(裏の老中首座)
1786年(天明6年)秋
意次は老中を辞職したうえ、徳川御三家と松平定信からの意見書をもとに追罰となっていました。
江戸城への登城禁止、財産二万石没収、神田橋と大坂の屋敷没収、田沼派の勘定奉行・松本秀持の罷免、土山宗次郎の左遷…。
ですが、田沼派の老中・松平康福、水野忠友が大奥総取締役・高岳に働きかけ、「大奥からの提言」として定信の老中就任と引き換えに意次の謹慎処分を解いてもらいます。
1787年(天明7年)正月
一介の大名となった田沼意次は、登城を再開。
手腕をふるい「裏の老中首座」と呼ばれるようになりました。
またもや「大奥からの提言」として伝えられたことがありました。
10代将軍徳川家治の養女・種姫の兄の松平定信は、将軍家の身内であり、将軍家の身内は老中に就任できないルールがあるのだと。
ルールなど無視せよと憤る一橋治済ですが、将軍の父にその権利はないと諌められます。
1787年(天明7年)4月15日
江戸城では徳川家斉の11代将軍宣下が執り行われ、その周りには田沼派の顔ぶれが揃っていました。
第33回 8月24日|
第34回 8月31日|