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『あんぱん』いせたくや(大森元貴)モデルいずみたくの家族(5人の妻と両親・兄弟姉妹・子ども・孫)

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2025年前期朝ドラ『あんぱん』では、柳井嵩と出会う作曲家・いせたくや役をMrs.GREEN APPLEのボーカル大森元貴さんが演じられます。

いせたくやの実在モデルは、昭和の大作曲家いずみたくさん。

こちらのページでは朝ドラ『あんぱん』で大森元貴さん演じるいせたくやのモデル・いずみたくさんとその家族(両親・兄弟姉妹・妻・子孫)についてご紹介いたします。

 

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いずみたく|誕生日・学歴・死因

いずみたくさんのプロフィールをご紹介いたします。

プロフィール

いずみたく
1930年(昭和5年)1月20日
〜1992年(平成4年)5月11日

【本名】
今泉 隆雄(いまいずみ たかお)

【誕生日】
1930年(昭和5年)1月20日
(やなせたかしさんより11歳下)

【出身】
東京市下谷区(現:東京都台東区)谷中生まれ

【学歴】
千駄木小学校
→東京府立第五中学校
→仙台陸軍幼年学校
→東京府立第五中学校に復学
→鎌倉アカデミア演劇科中退
→中央演劇学校(舞台芸術学院)演劇学科

中学2年の時、陸軍のエリート養成学校を受験し、仙台の寮生活をしたいずみたくさんですが、戦争が終わり、元の中学に戻ります。
ロシア語を叩き込まれていたいずみたくさんは英語に苦手意識を持ち、成績はいまひとつ。演劇部で芝居に夢中になり、芸能の学校に進みます。

【代表曲】
「手のひらを太陽に」
「見上げてごらん夜の星を」
「いい湯だな」
「夜明けのスキャット」
「ふれあい」
など歌謡曲や童謡

「チョコレートは明治」
「明治マーブルチョコレート」
などCMソング

『ゲゲゲの鬼太郎』
『もーれつア太郎』
『それいけ!アンパンマン』
などアニメソング

『徹子の部屋』
など番組テーマソング

多くの校歌、社歌なども手掛ける作曲の天才とも言えるいずみたくさんですが、実はミュージカルが一番お好きだったそうです。

作曲でお金を作り、ミュージカルで大きな赤字を出していたと回想されています。

【死因】
肝不全のため62歳で亡くなられています。
遺作は、ミュージカル『アンパンマンと勇気の花』挿入歌「すすめ!アンパンマン号」です。

年表

1930年 0歳 東京、谷中で生まれる
1950年 20歳 舞台芸術学院演劇学科卒業
1回目の結婚(C子さん)
トラックの運転手を始める
→退職
→作曲活動に専念
1960年 30歳 ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」を手掛け
美術担当のやなせたかしさんと出会う
1962年 32歳 2回目の結婚(M子さん)
1968年 38歳 3回目の結婚(Y子さん)
1980年 50歳 4回目の結婚(L子さん)
1986年 56歳 参議院比例区に立候補
→落選
1988年 58歳 5回目の結婚(庸子さん)
1989年 59歳 友人・青島幸男氏辞職
→繰上当選
1992年 62歳 5月11日息を引き取る

 

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いずみたく|両親・兄弟姉妹

 

両親(父・母)兄弟姉妹

父、母、妹2人
5人家族だったいずみたくさん。

君の父母は音楽家?
という質問を受けるが、けっしてそうではない。父は平凡な官吏、母も平凡な、子ども思いの主婦だった。ボクは母のおかげで、無事学校を卒業できたともいえるだろう。
(引用『ドレミファ交遊録』いずみたく著)

ご両親は東京中央電信局(現在のNTT、当時は逓信省に属していた)の職場結婚でした。

宝塚歌劇団のファンであるお母様は、いつもミシンを踏み、家族や知人のために徹夜で洋服などを縫っておられたそうです。
そのため、けっして豊かではない泉谷家の戸棚には缶詰など食料が山のようにあったとのこと。

きっと母のやりくりの上手さと苦労の貯えであったのだろう。
(引用『ドレミファ交遊録』いずみたく著)

とても穏やかなお父様は、芝居好きで読書好き。
父の本をこっそり売ってお小遣い稼ぎをしていたいずみたくさんにも小言を言うことがありませんでした。

いずみたくさんも、幼い頃からたびたびご両親と宝塚のミュージカルを観劇されていたそうで、音楽やミュージカルへの礎が築かれたようです。

 

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いずみたく|5人の妻

いずみたくさんは、5回の結婚を経験されています。

どうやらボクは、知り合って好きになった女性と、すぐ結婚してしまう傾向があるようだ。ボクの場合、愛してしまった女とは、必ず結婚しなくてはいけないと思いこんでしまう。良く言えば一途なのだろうが、悪く言えば幼稚であり、バカだと親友共は言う。
(引用『新ドレミファ交遊録』いずみたく著)

奥様たち5人をご紹介いたします。

C子さん

劇団「喜劇座」の後輩C子さん

当時、C子さんが既婚者だということを知らずに交際スタート。

交際期間2年で結婚。

結婚後、トラックの運転手を始め安定した収入を得ていたいずみたくさんですが、退職し作曲家へ転身したことで、夫婦間に溝ができ、別離。

M子さん

ビクター所属の元歌手M子さん

両親を知らずに育ったM子さんとは、放送局の仕事で知り合い、あっという間に結婚

当時、破産の危機にあったいずみたくさんが仕事に干渉されることを嫌い別離。

婚姻期間:3年

Y子さん

元ファッションモデルY子さん

結婚して3年で別居
別居から7年で離婚

婚姻期間:10年

いずみたくさんはY子さんについて2冊めの自伝『新ドレミファ交遊録ーミュージカルこそわが人生』の中で
「感情の起伏が激しい」
「良妻というより賢母」
と書かれています。

口論が増え、家に帰らなくなったいずみたくさんに好きな女性ができ、それを知ったY子さんが女性宅を盗聴して恐喝したという経緯があります。離婚調停でかなり揉めた末の離婚でした。

L子さん

アメリカ帰りの『堀内完ユニーク・バレエ』元プリマL子さん

婚姻期間:2年

いずみたくさんはL子さんについて
「明るくて朗らか」
「英語が彼女の取り柄」
と書かれています。

L子さんがいずみたくさんの劇団に応募してきたことで知り合います。

潔癖症だったL子さんは家事をせず、1年ほど経った時、寝室を別にし、家を出ていきました。

庸子さん

いずみたくさん個人の養成所で最も頑張っていた庸子さん

いずみたくさんがアメリカに行くひと月半、庸子さんに飼い猫のベビーシッターを頼みます。

ボクは、そのお礼の心をこめて、彼女に求婚した。
引用:『新ドレミファ交遊録ーミュージカルこそわが人生』いずみたく

もともと好意を抱き合っていて、猫のことがきっかけになったのかもしれませんね。

いずみたくさんの遺作となった「すすめ!アンパンマン号」について
作詞を担当したやなせたかしさんによると、
いずみたくさんの病状が悪化したため他の作曲家に依頼するプランもあったそうですが、病床でいずみたくさんが庸子さんに口述筆記を頼み、完成させたそうです。

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いずみたく|子ども・孫・親戚

いずみたくさんには、たくさんの親戚や子孫がおられます。

娘|絵里さん

いずみたくさんに複数名お子さんがいることは、著書に「子どもたち」という表記が出てくることや、姪の土屋友紀子さんの発言から判ります。

そのうちの一人・娘の絵里さんは3番めの妻Y子さんとの子どもです。
絵里さんが生まれた翌年の自伝『ドレミファ交遊録』「わが娘、絵里に語る」という章には

生まれて初めての交遊は、ボクを生んでくれた父母であり、死ぬときまで、今後一番長い身近な交流は、妻と子どもたちであろう。
…(中略)ボクは、去年生まれた絵里という娘の顔を見つめながら、一生懸命語りかけた。絵里は、無心な笑顔をボクに向けて、ニコッと微笑んだ。
…(中略)「パパってステキな人だったのね」
とボクの人間性が理解されるような歌を、ボクは一生、作り続けたい。

とあります。

孫|ラブリーサマーちゃん

孫はシンガーソングライターのラブリーサマーちゃん

【本名】
今泉愛夏(いまいずみあいか)

【誕生日】
1995年7月29日

【学歴】
日本女子大学附属中学校
→日本女子大学附属高等学校
→日本大学芸術学部

中学生の頃からギターを弾き始め、高校では軽音楽部でギターを担当。
大学卒業後は「日本コロムビア」に所属しワンマンライブやラジオに出演しながら人気を獲得されています。

姪|土屋友紀子さん

劇団「ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ」代表者の土屋友紀子さん。
姪にあたります。

「ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ」というのは、1970年代後半に「劇団フォーリーズ」としていずみたくさんが旗揚げし、日本におけるミュージカル文化の定着のきっかけとなった劇団です。

土屋友紀子さんは

「子どもの頃には、夏休みになるといずみが三浦半島に持っていた、油壺の別荘に遊びに行きました。いずみは5回の結婚を経験しているので、当然、親戚や従兄弟も多い。私は2番目の奥さんの子らと仲が良かったですね」

と思い出を語っておられます。

 

 

大森元貴さん演じる『あんぱん』いせたくやを見る際、実在モデルのバックボーンを知っておくことで、より物語への理解が深まるかもしれません。

 

【参考文献】
『ドレミファ交遊録』いずみたく:朝日新聞社
『新ドレミファ交遊録ーミュージカルこそわが人生』いずみたく:サイマル出版会

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