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朝ドラ『虎に翼』共亜事件のモデル帝人事件とは?三淵嘉子さん父の逮捕は?

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朝の連続テレビ小説『虎に翼』では、主人公・寅子(伊藤沙莉)の父・直言(岡部たかし)が逮捕されるという衝撃の展開が起こります。

ドラマでは「共亜事件」と呼ばれ、

実際にあった「帝人事件」がモデルとなっています。

「帝人事件」とはどのような事件だったのか。

実際に寅子のモデル・三淵嘉子さんの父・貞雄さんは逮捕されたのか。

ご紹介します。

 

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『虎に翼』共亜事件と帝人事件

ドラマ『虎に翼』上の「共亜事件」と実際の「帝人事件」を表で比較してみました。

ドラマ 実際
名称 共亜事件 帝人事件
事件の起きた年 1934年 1935年
判決の出た年 1936年12月 1937年
企業 共亜紡績 帝国人造絹絲株式会社
銀行 帝都銀行 台湾銀行
逮捕者 16名 16名
内閣 藤倉内閣 斎藤実内閣
判決 全員無罪 全員無罪
判決文 「あたかも水中に月影をすくいあげるかのごとし」 「水中に月影をきくするが如し」
判決文起案者 桂場等一郎 石田和外
黒幕とされる人物 検察畑出身の貴族議員・水沼淳三郎 枢密院副議長・平沼騏一郎

 

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帝人事件の概要

帝人事件とは、1934年(昭和9年)に起こった「帝人」の株式売買をめぐり政治家や銀行頭取をも巻き込んだ「疑獄ぎごく事件」。

疑獄事件とは、政府高官が関係する大規模な不正事件のこと。

当時の内閣は総辞職に追い込まれました。

ことのあらましはこうです。

帝人株の高騰

1927年、金融恐慌のあおりを受け、総合商社だった鈴木商店が倒産。

事件は、鈴木商店の債権者「台湾銀行」が鈴木商店子会社「帝人」株の過半数22万株を担保として保有し、それを自己担保として日本銀行(銀行の銀行)に入れたことに端を発します。

「帝人」が業績を上げた際、財界グループの人間が日銀管理の帝人株10〜11万株を購入することに成功。
この大きな取引が原因で株価は高騰し、財界グループは大きな利益を得ることになりました。
この出来事は通常の商取引。
何の法的問題もありません。

贈収賄報道による大物逮捕

ただ、1934年、新聞「時事新報」で報じられたのは、
帝人株を得た財界グループの裏には株取引の口利きをした政治家がいるのではないか。
それに絡んで贈収賄と台湾銀行を巻き込んでの株不正取引が行われたのではないか。
という記事。
これが大スキャンダルに発展しました。

その報道に伴い、関係者16人が逮捕・起訴されたのです。

逮捕者には帝人の社長、台湾銀行頭取などに加え、大蔵省の次官、政府の銀行局長も含まれています。

政府関係者の逮捕により批判が高まり、当時の斎藤内閣は総辞職します。

自白に反する物的証拠

予審(起訴された事件について、公判に付すべきか否かを決めるため公判に先立って取調べを行う訴訟手続)ではほぼ全員が自白していましたので有罪は確定かと思われていましたが、
調べてみるとごく普通の商取引があっただけで物的証拠など犯罪の形跡はまったくありませんでした。

賄賂に使われたとされる帝人株1300株は事件が起きる前の1933年(昭和8年)6月19日以来、富国徴兵保険会社の地下の大金庫の中に入ったままになっていたのです。

全員の無罪判決と「司法ファッショ」

結局、無罪判決となった16人。

「最初からこのような事件はなかった」というのが判決です。

ではなぜ自白したのでしょうか?

逮捕された16人の勾留は200日にも及び、かなり厳しく強引な取り調べが行われ、自白に追い込まれていたことが後でわかります。

この検察の強引なやり口は「司法ファッショ」「検察ファッショ」と呼ばれました。

また、でっち上げの黒幕とされる人物の目的は、
「斎藤内閣を総辞職させること」
だったと言われています。

この「帝人事件」は裁判所の公正さを象徴する事件となっています。

名判決文が話題

なお、この判決文を起案したのが、松山ケンイチさん演じる桂場等一郎のモデル・石田和外(いしだかずと)さんです。

事件が事実無根であることを強調するため、

「水中に月影を掬するが如し」

という名文句を使って全員に無罪を言い渡し、

「司法界に石田あり」

と一躍注目されました。

 

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『虎に翼』三淵嘉子さんの父は逮捕されたのか

ドラマ『虎に翼』では寅子(伊藤沙莉)の父・猪爪直言(岡部たかし)が逮捕されています。

実際に三淵嘉子さんの父はどうだったのでしょうか?

事件のあった「台湾銀行」のエリート銀行員であった父・三淵貞雄さん。

逮捕されたという事実はありません。

(頭取の逮捕された台湾銀行に勤務していたため、事件に関して何らかの影響があった可能性はあります)

帝人事件は、法を学ぶ三淵嘉子さんが明治大学専門部女子部法科から明治大学法学部に編入した頃の出来事でした。

三淵嘉子さん自身の法の考え方にも影響を与えた事件だったのかもしれません。

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