朝ドラ『ばけばけ』
第23週(111話、112話、113話、114話、115話)
「ゴブサタ、ニシコオリサン。」
あらすじをご紹介いたします。
予習をして『ばけばけ』をもっと深く楽しみたい方
『ばけばけ』を観る時間のない方
あらすじだけ知りたい方
そんなみなさまのお役に立てましたら、幸いです。
朝ドラ『ばけばけ』第23週(111話、112話、113話、114話、115話)放送日

朝ドラ『ばけばけ』第23週(111~115話)放送日は
2026年3月9日(月)〜2026年3月13日(金)
です。
朝ドラ『ばけばけ』第23週(111話)あらすじ

勘太の戸籍問題
子供は、ヘブンの名前の「レフカダ」の「カダ」の音と勘右衛門の「勘」を取って「勘太」と名付けられます。
熊本市役所に戸籍の相談に行くと、後日、担当者宮原(神谷圭介)、松永(小出圭佑)が説明に来てくれました。
家族3人が同じ戸籍に入る方法は2つ。
1つは、トキと勘太がヘブンの戸籍に入り、イギリス人として日本で暮らす方法。
この場合、ヘブンの遺産をトキや勘太が受け取ることができません。
もう1つは、ヘブンと勘太がトキの戸籍に入り、ヘブンが日本人になる方法。
ヘブンは外国人としての特権を失い、簡単には出国できなくなります。
ヘブンの決意
ヘブンは、息子と妻の幸せのため日本人になることを決意し、イライザに

the man you knew , the writer, is dead.
(あなたが知っている物書きの男は死んだ)
と手紙を書きました。
ヘルンは子の誕生に過激に反応し、一雄を熱烈に愛した。そして、時に外部が見えないほどであった。セツはその夢中の様子を「ヘルンは、この子を大層誇りにいたしまして、学生さんであれ、同僚の教授の方であれ、たまたま宅にお見えのどなたにでも、腕に抱いて出まして、客の言葉を待たずに、すぐさま子供を賞めるのでございました」と語っている。(野口米次郎『日本におけるラフカディオハーン』)
朝ドラ『ばけばけ』第23週(112話)あらすじ
松江へ
錦織は丈から手紙と著作『SACRED GROVES AND MOUNTAIN SHRINES』を受け取り、ヘブンが松江に来ることを知りました。
丈から送られる前にヘブンの著作をすべて手に入れている錦織の部屋には、2冊ずつ同じ書籍が並んでいます。
日本で感じた神道的な自然崇拝の精神性(偶像ではなく自然そのものに神が宿るという考え)、特に松江や山陰地方の古風な信仰風景を描写したものです。
戸籍の手続きのため松江を訪れたトキ、ヘブン、フミ、司之介。
それは、出立の日に見送りにこなかった錦織との再会を意味します。
久しぶりの松江、久しぶりの花田旅館。
松江市役所では、結婚するにはトキの前夫・銀二郎の名前を戸籍から外さなければならないため、トキが雨清水家の戸籍に戻り、そこへヘブンが入籍するという方法を提案されます。
江藤知事
いずれにせよヘブンを日本人と認めて大丈夫だという知事の許可が必要ですが、

なして島根を捨てたもんにお墨付きを与えないけんがね
と拒む江藤知事を説得しなければなりません。
サワと庄田
トキは梶谷に聞いてみますが、食い逃げ事件の記事以来、県庁の出入り禁止を言い渡されており、知事をとりなすことはできないと断られます。
そこで庄田多吉のもとを訪ねると、サワが出てきました。
サワは庄田と結婚し、正規の小学校の先生になっていたのです。
再会を喜びあう2人ですが、ただ、松江中学校長の地位をいつ剥奪されるかわからない庄田にも、断られてしまいました。
朝ドラ『ばけばけ』第23週(113話)あらすじ
錦織との再会

ゴブサタ、ニシコオリサン。

…ご無沙汰しております
知事説得に錦織の助力を得ようと錦織の家を訪ねたヘブンは、再会を果たします。

セットク、ネガイマス。
硬い表情の錦織は、ヘブンの頼みを断ります。
真意が分からず困惑するヘブン。
丑三つ時、草木も眠る雨清水トキ
結局、庄田にも錦織にも知事の説得を断られますが、その間、司之介とフミは勘太を連れてタエに会いに行き、戸籍の件を快諾してもらっていました。

うしみずとき…うしみつどき…
わたし、丑三つ時〜!
やった〜!
雨清水トキ〜!!
ひとしきり面白がった後、トキと両親は互いに感謝を伝えあい、これからも関係は変わらないと話します。
タエと三之丞
タエは三之丞に、トキが復籍し、雨清水家に後継者が誕生したことを報告。

良かったです、この家があることが役に立てて。

本当にね、時に生きていることが恥だと思ったことも、なかったわけではありません。
苦しかったわね。

雨清水の人間であることを恨めしく思ったこともありました。何べんも何十ぺん、何百ぺんも…。

私もです。
ですが、生きてきてよかった。命を…何とかつないで…こんな風にはなってしまいましたが、雨清水を残してこられて…。
傍らには傅の写真。

失礼を承知で…母上の料理がこの頃美味しいです。美味しいです!

そうよね、私もそう思います、ふふっ。
以前はひどかったですから。
これまで家を守ってきた2人。
和やかな食事の時間を過ごします。
史実では、セツさん(トキモデル)は、前夫・前田為二さんとの法的離婚のため、1890年1月に養父母の稲垣家から小泉家に復籍しています。
これは、小泉八雲さんと出会う前のこと。
小泉八雲さんは、3ヶ月後の4月に来日。
8月末に松江に到着して英語教師になり、翌年1891年2月、「小泉セツ」さんと出会います。
その5年後、神戸に住んでいた1896年2月に、西田千太郎さん(錦織友一モデル)らの協力もあり、帰化の手続きが完了し、法的結婚を果たしました。
これは、セツさんの「私生児」となっていた長男・一雄さんへの思いや、日本の家族に資産を遺したいという意思の現れでした。
この時、弟・小泉藤三郎さん(雨清水三之丞モデル)を戸主とする小泉本家とは別に、養祖父・稲垣保仙万右衛門さんの住所に、小泉セツさんを戸主とする小泉の分家が立てられています。
朝ドラ『ばけばけ』第23週(114話)あらすじ
錦織の真意
松江中学で、正規の教員資格をとり英語教師を続けていた錦織が、庄田と知事の説得を押し付け合っている頃、トキとヘブンは江藤知事に直談判するもけんもほろろに断られていました。
トキは松江中学の前で錦織を待ち伏せ、その痩せた姿に驚きます。

お達者ですか?

うん。今日は達者な方だな。
怒っているのか、なぜ江藤を説得してくれないのかと尋ねるトキに、静かに答える錦織。

本当に誰も何も分かっちゃいない。
怒ってなどいない。
日本人にならない方が良いと思っているからだ。
君なら少しは分かってくれると思っていたが…。
まあ、無理もないか…家族だもんな。
トキには分かるような、分からないような。
八雲誕生
さて、「ラストオジジサマ」である勘右衛門は、上野タツと結婚して「上野勘右衛門」となりながらも「松野」を絶やさぬよう話します。
そして、ヘブンの日本名を「八雲」と名付け、レフカダ・ヘブンは「雨清水八雲」となりました。

ヤクモ…スバラシ!
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を
という、クシナダヒメを娶ったスサノオノミコトの歌の「出雲」にかかる枕詞「八雲立つ」に因んで、義祖父・稲垣保仙万右衛門さんがつけたと伝えられています。
朝ドラ『ばけばけ』第23週(115話)あらすじ
錦織の思い
その時でした。
松江大橋のたもとで錦織の声が。

何をうろたえているんですか。
自分が八雲という名になったことを話し、怒っているのか問うヘブンに、錦織は

本当にいいんですか?
日本人になるということは、この国でしか書くことができないということですよ。
本当はわかってるんじゃないですか?
私が知事に掛け合わないのは、あなたの才能を、作家としての人生を、終わらせたくないからだということを。
勝手ながら…熊本に行ってからの著作をすべて拝読しています。
そして、そのどれも、失礼ながら『日本滞在記』のような輝きがない。
聞けばおトキさんに手伝ってもらって、どうにか書いているというじゃないですか。
正直に言いましょう。
今のあなたにはもう、この国では何も感じることができない。何も書くこともできない。幻想を見ていた。日本という国に夢を見ていた。もうその夢から醒めてしまった。
君(トキ)もわかっていたんだろう?
フィリピンに行く話があったと丈から聞きました。
『フィリピン滞在記』きっと『日本滞在記』と同じ、いやそれ以上のものが書けたんじゃないでしょうか。
あなた自身も書いてみたかったんじゃないですか?
日本人になるということは、そういったことがすべてかなわなくなる。
つまり、日本でも書けない。海外でも書けない。
You understand, don’t you?
As a writer, you’re as good as dead – no, you have died.
(わかりますよね、作家としてのあなたは死んだも同然、いや、死んだのです。)
自分のせいだと謝るトキに、イギリス人になれないかと提案する錦織。

ダイジョブ!
ニホン、デモカケル。

That’s impossible!
What can a man, unmoved by the beauty of the morning mist, possibly write about?
(あの美しい朝もやを見ても何も感じられなかった人に何が書けるんですか)

ワタシ、ウシミズヤクモ!
ニホンジン!
カケル!
花田旅館に戻ったヘブンは、すごい勢いでペンを走らせます。
永遠の友情
熊本でも情熱的に執筆し続け、ヘブンはついに新作『東の国から』を書き上げました。

ニシコオリサン、キット、オドロクデショウ。

驚かないと思います。
トキは、江藤知事が帰化を許可し、家族3人が雨清水家の戸籍に入れたという錦織からの手紙をヘブンに見せ、錦織の言葉を伝えます。

これで書けるといいが…。
焚き付けたんだ。
リテラシーアシスタントとしての最後の仕事だ。
あの人は…本当に世話が焼ける。
旅館の部屋の前でそう話していた錦織の手のひらは、喀血で赤く染まっていました。
『東の国から』には
「TO
NISHIKOHRI YUICHI
IN DEAR REMEMBRANCE OF
IZUMO DAYS」
(出雲時代の懐かしい思い出に。錦織友一へ)
と書かれていました。
数カ月後、錦織友一はこの世を去りました。
熊本、神戸、東京と小泉八雲さんが引っ越しをした後も、文通でつながっていた2人。
八雲さんは、離れていても
「あのような善い人です、いかに神様悪いですねー私立腹」
と、いつも西田さんの体調を心配されていました。
八雲さんセツさん一家は、1896年9月に東京帝国大学に赴任する前の6月末から2ヶ月間、松江と出雲に滞在し、西田千太郎さんと5年ぶりにゆっくり過ごします。
東京への転居に先立つ同年六月から二ケ月の間、松江と杵築で帰省と寛ぎの日々を送ったが、それは結婚後五年にして迎えた大円団の感がある。
(引用『八雲の妻 小泉セツの生涯』長谷川洋二)六月三十日の松江到着以来、宿泊先の旅館にセツの縁者やハーンの元同僚たちが、引きも切らず来訪した。…中略…
西田千太郎が誰よりも熱心に旅館を訪ね、また宴席をハーンと共にしたのは当然で、セツも改めて挨拶と御礼に西田宅を訪問している。セツが親族以外で最も信頼してきたこの西田は、再会からわずか八ケ月後(一八九七・三・一五)に、両親に妻、それに十一歳の長女を頭に下はまだ二歳の三男まで、四人の子供を遺し、三四歳の若さで胸の病に屈し、地上で最も信頼した友を失ったハーンを「悲嘆と落胆のどん底に陥れた」。
(引用『八雲の妻 小泉セツの生涯』長谷川洋二)
滞在の最後の一週間は、家族と西田千太郎さんとで出雲で過ごし、出雲大社を詣で、稲佐の海を楽しみました。


