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『光る君へ』源倫子|年表でひもとく紫式部との関係

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藤原道長の妻・源倫子(みなもとのともこ・りんし)は、宇多天皇の家系を引く左大臣・源雅信(みなもとのまさのぶ)の娘です。

2024年の大河ドラマ『光る君へ』では、黒木華(くろきはる)さんが、朗らかでおおらか、芯の強い女性像を演じられています。

こちらでは源倫子の人生を年表で表し、ひととなりや紫式部との関係も探っていきたいと思います。

 

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『光る君へ』の源倫子

貴族の子女が集まるサロンを自宅で開催しサロンに参加したまひろと親しくなっていく倫子。

打毬をする道長を気に入り、婿に迎えます。

おおらかで朗らかな女性ですが、芯が強く「書を読むのが苦手」と言いながらもかなり頭の回転は速そうです。

出世街道を歩む道長を支え見事に支え、娘たちも天皇の妻として恥ずかしくない人材に育て上げていきます。

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『光る君へ』黒木華さんのコメント

私が演じる 源倫子は頭が良くて両親に愛されて育った女性です。
これまでに経験した時代劇とは違う 、現代的な言葉遣いやキャピキャピした雰囲気に最初は戸惑いもあったのですが、 育ちの良さ、 そこから来る余裕を大事にしようと思いながら演じています。

倫子はきっちり 線引きができる人でもあって、まひろからあるお願いをされても 「それはできない 、私とあなたはそういう関係じゃないでしょ」とはっきり告げます。 相手の人の目には意地悪に映ることもあるかもしれないけれど 、彼女の中に矛盾はないんだと思います。

倫子はキャピキャピとしたところもありますが、 道長に一目惚れをして この家の婿にすると宣言し、実際に結婚します。
欲を実現させる力、意志が強い女性でもありますね 。

妻になってからは家を支える女性。
朗らかで柔らかいけれど どっしり構えて夫を送り出すような妻になるのではないかと思っているのですが、 道長に対しては「出世しなくていい。そのままでいい 」と語りかける場面があって、私自身は出世していただいて構わないのですが(笑)
倫子の両親は2人ともほんわか としていて仲良しで好き合っていて、 それが夫婦だと思っているから道長に違和感を持つかもしれないですね。 出世しなくてもいいからもっと自分のそばにいるべきだと。

 

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源倫子の一生

実際の倫子はどんな人生を送ったのでしょうか?
簡単ではありますが年表を作ってみましたので、ご参考になればと思います。

964年6月1日 宇多天皇の血を引く左大臣・源雅信と藤原穆子の間に誕生
(紫式部とは”ひいおじいちゃん”が同じ「はとこ」関係)
花山天皇や16歳年下の一条天皇(いちじょうてんのう)の后候補として育つ
987年(24歳) 母の推薦で藤原道長(21歳)を婿に迎え入れる
988年(25歳) 長女・彰子が生まれる
(この年、道長は権中納言に昇進し、源明子とも結婚)
992年(29歳) 長男・頼通が生まれる
994年(31歳) 次女・妍子が生まれる
996年(33歳) 次男・教通が生まれる
(この年、道長が左大臣に昇進)
998年(35歳) 道長の姉・詮子により従三位の位を与えられる
999年(36歳) 三女・威子が生まれる
(この年、長女・彰子が一条天皇に入内)
1000年(37歳) 従二位の位を与えられる
1006年(43歳) 正二位の位を与えられる
1007年(44歳) 四女・嬉子が生まれる
1008年(45歳) 従一位の位を与えられる
(以降8年間にわたり道長を上回る階級)
1016年(53歳) 准三宮の位を与えられる
1018年(55歳) 彰子:太皇太后、妍子:皇太后、威子:中宮となり、道長が望月の歌を詠む
1027年(64歳) 道長が亡くなる
(このころ娘3人にも先立たれる)
1039年(72歳) 出家して「清浄法」と号した
1053年6月19日(90歳) 死去

 

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源倫子の人物像

お嬢様

血筋が良く、実家が太く、両親や周囲から愛されて育った源倫子は、素直で朗らかな性格だったようです。

人付き合いが上手い

気の強い小姑である藤原詮子(ふじわらのせんし・あきこ)と上手く仲良くやっていたことが、道長の昇進にとって大きなバックアップだったと思われます。

また『紫式部日記』には、ある日、年上の倫子から”菊の露”(化粧水に使われていた)が贈られてきたのですが、そこに肌の衰えからかう文も添えられており、冗談を言い合える仲だったことがわかります。
気の強い詮子の懐にも入り、気難しい紫式部(しかも夫の女友達or愛人)とも仲良くやっていた人付き合いの上手な一面があったようです。

頭の回転が良い

結婚してからは、藤原道長の縁の下の力持ちであった源倫子。

藤原道長の日記『御堂関白記(みどうかんぱくき)』には、夫婦仲がよく、政務を行う際には息のあう良きパートナーだったことがうかがえます。

また、自身も女性初の「無官での従一位」とどんどん昇進していきます。

このことから、紫式部とはまた違った意味で頭が良い女性だったと推察されます。

健康

出産は当時の女性にとってはまさに命がけの一大事。
出産時に亡くなることももかなり高い割合で起こっていたようです。
四女・嬉子が生まれて病気にはなったものの、
男子2人、女子4人を産み育て、90歳の天寿をまっとうした源倫子はとても健康だったと思われます。

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紫式部からみた源倫子

前出の『紫式部日記』には、これまで見てきた倫子像とは少し違ったエピソードが出てきます。

親王五十日儀の祝いの記録に次のような一件があったことを記録しています。

紫式部の祝歌に唱和し、親王の行く末を見守る気概を詠んだ道長の自賛からそれは始まります。
(望月の歌といい、自賛キャラが垣間見えます)

「宮の御前聞こしめすや。つかうまつれり」と、われぼめしたまひて、「宮の御ててにてまろわうからず、まうがむすめにて宮わろくおはしまさず。母も幸ありと思ひて、笑ひたまふめり。よい男はもたりかしと思ひたんめり」と、たはぶれきこえたまふも、こよなき御酔ひのまぎれなりと見ゆ。
さることもなければ、さわがしきここちはしながら、めでたくのみ聞きゐさせたまふ。
殿の上、聞きにくしとおぼすにや、渡らせたまひぬるけしきなれば、「送りせずとて、母恨みたまはむものぞ」とて、いそぎて御帳のうちを通らせたまふ。「宮なめしとおぼすらむ。親のあればこそ子もかしこけれ」と、うちつぶやきたまふを、人々笑ひきこゆ。

道長は中宮・彰子に向かって自らの歌と自賛の冗談を畳み掛けています。
「いい旦那さんを持ったと思っているんだろ?」
それに対して娘の中宮・彰子は
「めでたくのみ聞きゐさせたまふ」
つまりニコニコ聞いていたのですが、北の方・倫子は
「聞きにくしとおぼすにや」
聞いてられないわ!と席を立って行ってしまったというエピソードです。

専門家によると、道長の自賛キャラはいつものことなので、そんなことでプイッと機嫌が悪くなる倫子ではない。紫式部と夫との関係に気づいており、その紫式部が同席した場での冗談に席を外したのではないか、という分析です。

また、『紫式部日記』に書かれている内容は事実の記録ではあるものの主観が入っており、わざわざ書き留めたところに紫式部のプライドや不機嫌な倫子を少し面白がっている様が見え隠れしているような気がします。

 

いかがでしょうか?
『光る君へ』の中では「うふふふふ♡」という印象の強い源倫子。
天真爛漫な奥に、違う魅力や人間らしさが隠れていそうで目が離せませんね!

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