朝ドラ『ばけばけ』で、堤真一さん演じる雨清水傳の実在モデル・小泉湊さんについてご紹介いたします。
『ばけばけ』雨清水傳モデル|小泉湊
朝ドラ『ばけばけ』で堤真一さん扮する雨清水傳(うしみずでん)は、NHK公式サイトで次のように紹介されています。
松江藩に名をはせる上級武士で文武両道のエリートだった。 松江で知らない人はいないほどの人格者で、変わりゆく時代の中、多くの没落士族に手を差し伸べようと尽力する。 親戚のトキを幼い頃から可愛がっている。
(引用:NHK公式サイト)
実際の小泉湊さんはどのような人物だったのでしょうか。
小泉湊プロフィール
八代目 小泉弥右衛門湊(こいずみやえもんみなと)
(1837年〜1887年)
小泉湊さんは、小泉八雲さんの妻である小泉セツさんの実の父です。
家柄
【小泉家】
・代々出雲松江藩主・松平直政(家康の孫)に仕えた家柄
・三職「家老・中老・番頭」のうち「番頭」
・家禄300石
・当主は代々「弥右衛門」を名乗る
上士と呼ばれ、藩公へのお目見が許され、また、広く敬意の目で仰ぎ見られたもので、小泉家も、そうした由緒ある家の一つであった。
(引用『八雲の妻 小泉セツの生涯』長谷川洋二)
小泉湊家族一覧
父 | 小泉岩苔 | 7代目弥右衛門 番頭(婿養子) |
母 | 俗名不明 | 小泉真種の娘 |
妻 | 小泉チエ | 塩見家長女 美人 |
長男 | 小泉氏太郎 | 駆け落ち |
長女 | 小泉スエ | 本多家養女 |
次男 | 小泉武松 | 早逝 |
次女 | 小泉セツ | 稲垣家養女 後に復籍 |
三男 | 小泉藤三郎 | 後継 |
四男 | 小泉千代之助 | 岩見家養子 後に復籍 |
『ばけばけ』雨清水傳モデル|小泉湊
松江藩に名を馳せる上級武士
小泉セツさんの父・小泉湊さんは、生まれた時の名は「俊秀」でした。「湊」と称したのは、明治維新以降になります。
代々松江藩主松平家に仕えた小泉家の8代目、まさに「松江藩に名を馳せる上級武士」の湊さん。
彼は小柄ながらも意識強固で、しかも覇気に富んだ侍であった。
(引用『八雲の妻 小泉セツの生涯』長谷川洋二)
将来有望なお侍さんでした。
15歳で結婚
1851年、15歳で名家塩見増右衛門の「御家中一番御器量」の美人娘チエさんを妻に迎えています。
(11人の子をもうけ、5人が夭折)
武芸に秀でていた湊さんは
侍としての経歴も、1960年(23歳)「安政の大獄」で緊迫する京都に派遣されて松江藩の指揮をとったり、1866年(29歳)の長州戦争では、長州軍に鉄砲を浴びせ撃退するという武功をあげたりと、非凡なものでした。
軍の小隊長として号令をかける美声も評判だったとのこと。
小泉セツから見た父
セツさんが生まれた時、湊さんは31歳。
生後すぐに養女に出されたセツさんですが、
誰からもー幼いセツからですらー「えらい」と思われていたのが、「小泉様」であった。その男らしく度量の広い実父への敬愛は、セツが生涯抱き続けるものとなる。
(引用『八雲の妻 小泉セツの生涯』長谷川洋二)
と、湊さんが尊敬できる自慢の父として慕っていたようです。
機織会社
「奮発家」と言われた湊さんは、年32石の家禄のうち20石を奉還して得た資金(680円)と公債(593円)を利用して、機織会社を設立し、社長として旧藩士の娘を集めて機を織らせます。
実の娘・セツさんも織り子として11歳から勤め始めます。
会社は最初こそ順調に推移し、反物は広く大阪方面まで売り出されましたが、全国的にも衰退を始めた機織り業界。
例に漏れず、湊さんが経営する会社も業績が悪化し、倒産しました。
病とセツさんの看病
湊さんはリウマチ(免疫異常によって関節や臓器に炎症が起こる病気)を患い、娘のセツさんが人の世話の苦手な実母の代わりに看病します。
この時、伏せっている湊さんは
「ああ、おシェさん、ありがとう。お前には済まん」
と何度もセツさんに感謝の言葉をかけていたそうです。
最期
会社の倒産と病に加え、次男が亡くなり、嫡男氏太郎さんも没落した家族を捨てて出ていきました。
死の床にいて動けないほどだった湊さんは、突然立ち上がり、三男・藤三郎さんに
「おのれ、親不幸者め。そちの腐れ根性を打ちすえてくれるわ」と叫ぶとともに、滅多打ちに鞭を振るい出した。家中がその場に駆けつけて湊を抑え、寝床に連れ戻したが、病人は喘ぐ呼吸とともに肋骨を波立たせるのであった。彼の病勢はにわかに高じ、間もなく齢五十一歳で亡くなったのである。
(引用『八雲の妻 小泉セツの生涯』長谷川洋二)
これは、セツさんが最初の結婚をした半年後の1987年のことでした。
湊さんの思慮と采配で借金から逃れ生活できていた小泉家は、ここから本当の転落が始まります。