近代看護の先駆者・大関和さんの陰には、常に彼女を支え、家庭を守り抜いた「正反対の性格」を持つ妹の存在がありました。
名前は、大関釛(おおぜき こく)。
後に結婚して川原釛(かわはら こく)となった女性です。
物静かで温和な釛さんが、姉・大関和さんの波乱万丈な人生を支え、その最期まで寄り添ったのか。
こちらでは大関釛さんについてご紹介し、ドラマでは描ききれない背景に迫ります。
大関和(おおぜき ちか)|家族一覧
| 生家 |
| 父:大関弾右衛門増虎 母:大関哲 姉:大関八千代 弟:大関復彦 弟:大関衛 妹:大関釛 |
| 婚家 |
| 夫:渡辺福之進豊綱 |
| 子ども・子孫 |
| 長男:大関六郎 長女:大関心 孫:大関一郎(六郎の子) 嫁:大関(澤本)操(息子・六郎と結婚) |
| 親戚 |
| 姪:志村よしえ(姉・八千代の子) 甥:大関増博(弟・復彦の子) 姪:大関ノブ(弟・衛の子) 姪:大関美千代(弟・衛の子) 甥:川原諭(妹・釛の子) 甥:川原博巳(妹・釛の子) その他:川原(鹿内)貞(甥・博巳と結婚) |
大関釛(こく)の生涯|姉・大関和を支え続けた「もう一人の家族」の物語
大関釛(おおぜきこく)・川原釛(かわはらこく)
1866年(慶応2年)〜
東京大学医学部附属病院などで活躍し、表舞台で道を切り拓いた姉・和さんに対し、妹の釛さんは、常に家族の安らぎとなる場所を守り続けました。
大関家の末娘として:姉とは対照的な「静」の性格
1866年(慶応2年)
黒羽藩家老・大関弾右衛門さんと妻・哲さんの三女として誕生しました。
大関和さんが1858年(安政5年)生まれですので、8歳違いの妹です。
五人兄弟(八千代さん、和さん、復彦さん、衛さん、釛さん)の末っ子として育ち、情熱的で行動派な姉・和さんとは正反対の、「物静かで穏やかな性格」であったと伝えられています。この対照的な二人の気質が、後に互いを補い合う強い絆へと繋がっていきます。
烏山での結婚と、家族への献身
10歳で父を亡くした釛さんは、東京府の神田五軒町(現・千代田区外神田)で、裁縫教室を開いた母と女中をする姉に育てられ、
1884年(明治17年)18歳
栃木県烏山町(現在の那須烏山市)の川原健次郎さんのもとへ嫁ぎます。
幼い頃から姉兄とともに書道と算術の塾に通い、華道と茶道を習っていた釛さん。
母・哲さんからは、裁縫や機織り、料理も仕込まれ、士族としての教養も花嫁修業もばっちり。
諭(さとし)さんと博巳(ひろみ)さんという二人の息子に恵まれ、平穏な家庭を築いていました。
そんな
1907年(明治40年)41歳
長年行方知れずだった兄・復彦さんが見つかり、結核で逝去。
和さんからの切実な依頼を受けると、兄の遺児である増博さん(当時8〜9歳)を烏山で預かり、実の子同様に深い愛情を注いで育てました。
夫との死別、そして姉との共同生活
1912年(明治45年)46歳ごろ
釛さんは次男・博巳さんを東京専門学校(現在の早稲田大学)の英文科へ進学させるため、意を決して上京します。
向かった先は、姉・和さんの家。
多忙を極める和さんに代わり、釛さんは大関家の家事一切を一手に引き受けます。
自立して働く姉と、それを家の中から支える妹。
この時期から、二人の「二人三脚」の生活が本格的に始まりました。
これは姉妹がベストの選択をした結果でした。
この3年前の
1909年(明治42年)43歳
釛さんの夫・健次郎さんが急逝しており
1910年(明治43年)には
姉・和さんの一人息子・六郎さんが客死。
1912年(明治45年)には
姉妹の母・哲さんも他界しています。
姉妹は、役割分担を果たすとともに、おそらく互いの精神的な支えにもなっていたのではないでしょうか。
息子・博巳と鹿内貞の縁談:姉・和の執念
1921年(大正10年)55歳
釛さんの息子・博巳さんに縁談が持ち上がります。
相手は、東京看護婦学校を卒業する際に大関和さんが目をかけていた鹿内貞(しかうち てい)さん。
和さんは、貞さんの温和で芯の強い性格を見抜き、「どうか甥の嫁になってほしい」と泣いて懇願したと言います。
新聞記者となっていた博巳さんとの結婚に、当初は戸惑った貞さんでしたが、最後は和さんの熱意に押し切られる形で嫁ぐことを決意します。
のちに貞さんは、和さんから「大関看護婦会」の後継者に指名されるほど、一族にとって欠かせない存在となりました。
晩年の微笑ましい「姉妹喧嘩」と看取り
上京してからずっと姉のそばにい続けた釛さん。
和は両手が不自由になりはじめた。食事も海苔を巻いたおむすびが多くなった。
「先生、はい、アーン」
木下操が和の口におむすびを運ぶ。子どもに返ったように和は操の言葉に従う。操が和の食事の手伝いを終えて帰った途端、和は釛に向かっていう。
「おサダさん、御飯、まだですか」
「先刻、食べたばっかりでしょ」
「いいえ、何もいただいてませんよ。おサダさん、早く御飯にしてちょうだい」
「姉さんったら、操さんに食べさせて貰ったでしょ、忘れちゃったの?」
「そんな意地悪言わないで。お腹空いたわ」
年老いた姉妹の軽い口喧嘩がはじまる。それでも釛は姉の和の世話をし続ける。
(引用『大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語』亀山美知子)
晩年、半身不随となった大関和さんの子供に返ったようなさまに、困り顔で応える妹。そんな日常を繰り返しながら、釛さんは片時も離れず姉さんの世話を焼き続けました。
父・弾右衛門さんの誇りを受け継ぎ、看護の歴史を作った姉・大関和。
その人生のラストシーンで、最も近くで手を握っていたのは、間違いなく妹の釛さんでした。

