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【ネタバレ】2025年NHK大河ドラマ『べらぼう』第18話あらすじ「歌麿よ、見徳は一炊夢」

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2025年大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の第18話

「歌麿よ、見徳(みるがどく)は一炊夢(いっすいのゆめ)」あらすじ

を紹介いたします。

順次あらすじを公開していきますので、お楽しみいただけますと幸いです。

※ネタバレ含みます

第1回 あらすじ
第2回 あらすじ
第3回あらすじ
第4回あらすじ
第5回あらすじ
第6回あらすじ
第7回あらすじ
第8回あらすじ
第9回あらすじ
第10回あらすじ
第11回あらすじ
第12回あらすじ
第13回あらすじ
第14回あらすじ
第15回あらすじ
第16回あらすじ
第17回あらすじ
第18回あらすじ
第19回あらすじ
第20回あらすじ
第21回あらすじ
第22回あらすじ
第23回あらすじ
第24回あらすじ

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大河ドラマ『べらぼう』第18話 あらすじ

捨吉

絵師・北川豊章を捜し始めた蔦重。

賭場で探し当てた北川豊章は、50絡みの武家崩れの男でした。
勘が外れたようにもみえましたが、次郎兵衛が二人羽織をしている姿を見て、蔦重はあることに気づきます。

北川豊章が去った後の長屋を訪ねると、若者が現れました。

唐丸、だよな?

あの、どなた様で?

その時、艶っぽい尼が訪ねてきました。
夜が明け満足そうに帰っていく尼は、若者が取っている客のようです。
尼を見送る若者が、ふと落ちている絵を拾い上げつぶやきました。

あの時のか…

その絵は、礒田湖龍斎の模写でした。
そこへ現れる蔦重。

蔦重はとぼける若者に食らいつきますが、結局追い返されてしまいます。

その帰り道、知らない男に

あんた捨吉の昔の色かなんかかい?

と声をかけられました。
聞けば、「捨吉」と呼ばれるその若者は、記憶喪失で人別(=戸籍)もなく、北川豊章に世話になっているとのこと。

蔦重は思案します。

色疲れと罪悪感

耕書堂に戻ると、朋誠堂喜三二が腎虚(男性機能不全)になったと騒ぎになっていましたが、医者の見立てでは「ただの色疲れ」。
眠り薬を強壮剤だと処方されています。

いねは、色を商いにすると男は腎虚になり、女は早死すると話します。
好き好んで色を商いにする者はいるのかと問う蔦重に

いないとは言い切れないだろうけど…
たまーにいるのは、罰を受けたい子だね
自分のせいで色が死んだり親が死んだり
そういう子の中には自分はひどい目にあって当然だからこの稼業も好きだ、ありがたいって言い出すのはいたよ
自分なんか早く死んじまえばいいんだって言ってたね

と答えます。
蔦重は、唐丸が明和の大火の時にみずから火に近づいていった光景を思い出します。
同じ頃、手荒い客にあたった捨吉も、瞼の裏が赤く染まり、炎にのまれる光景を思い出しながら意識を失っていきました。

喜三二が、松の井の部屋で目を覚ましました。

わっちは先生の楽しいお話が好きでありんす
上の筆も下の筆もお元気になっていただきとうありんす

優しい松の井の言葉に元気になった下の筆は、今度は巨大になりすぎ、いねに切られそうになります。

やめろ!やめてくれ!やめてーー!

喜三二は自分の絶叫で目が覚めました。

唐丸の過去

捨吉の長屋を訪ねた蔦重。
すると、散らかった部屋で半裸の捨吉が倒れているではありませんか。

蔦重が肩を揺すると、捨吉が目を開けます。

ふらつく捨吉に蔦重は問いました。

この暮らしがいいってのは、早く死にてえからか?
俺ゃお前がいなくなって悔やんだのよ
いざとなりゃ、お前はどこの誰かもわかんなくて
なんでもっとしつこく聞いとかなかったのかって
聞いときゃもっとできたこともあったんじゃねえかって

変わらぬ真っ直ぐな蔦重に、捨吉は重い口を開きます。

俺のおっかさんは夜鷹で…俺は、堕ろそうとしたけどどうやってもおりなかった、そんな赤子だったらしくて…なんで生まれてきたんだ、食ってくのもやっとなのにって言われながら育った
そこいらじゃ7つも過ぎたら客に売られるんだ

母親が連れてきた男性客をむりやり取らされたのが、はじめだったと話します。

客を取ると母親の機嫌がよくなり、「いい子だねえ、お乳でも吸うかい?」と胸を顔に押し付けてくる、以前 脅しに来て水死体で見つかった男は母親のヒモで、男が浮気をすると母親に殴られる…そんな日々の中で出会ったのが、鳥山石燕だと話します。

鳥山石燕(とりやませきえん)
妖怪絵などを得意としていた狩野派の町絵師
多くの弟子を育てたことでも有名で、蔦重と関係の深い恋川春町、喜多川歌麿、志水燕十、栄松斎長喜などのほか歌川派の祖・歌川豊春なども門人です
志水燕十の『通俗画勢勇談』で絵を書いたり、喜多川歌麿の代表作『画本虫ゑらみ』に序文を寄せています。

鳥山石燕はあやかし絵(妖怪画)の絵師で、絵を習ううちに、弟子の誘いを受けたのですが、母親がそれを許すわけがありません。

それからしばらくして起こったのが、あの明和9年「めいわく年」の大火事でした。

家事で倒壊した家からやっとのことで這い出すと、母親に足を掴まれた捨吉。
母親は瓦礫の下敷きになっています。
助けを呼んでくると言う捨吉に

てめえだけ助かろうって肚だろ!
そうはいくかってんだ!

その時、隣家の柱が倒れてきます。

おっかさん、ごめん!

捨吉は全力で足を引き抜き、炎の中を必死で逃げました。それをヒモの男が見ているとも知らずに…。

助けを呼ばなかったのは、逃げ出したかったのが本音だと話す捨吉。
そして、炎に身を委ねようとしたその時に助けてくれたのが蔦重だったというのです。

ヒモに脅され、結局蔦重からも逃げ出したと話す捨吉に

そうだな、俺ゃお前のこと、とても助けらんねえわ
だってお前、死にてえって言われてもよ、お前殺したら俺がお縄だしよ
けど、お前が生きてえってんならいくらでも手を貸すことはできんぞ
俺は死んでつぐないてえのに、こいつに無理やり生かされてんだって
ごうつくな本屋に見込まれて絵描かされてんだって、その言い訳くれえには、なれる

蔦重が手を差し出すと、捨吉はその手を握りました。

新しい名前と画号

さっそく駿河屋に人別を用意してもらい、耕書堂に戻ると、北川豊章が捨吉を連れ戻そうとしています。

蔦重は北川豊章に言いました。

そいつは俺の義弟なんで!

以前、駿河屋の養子だった「勇助」だと話すと、捨吉も

しかとは思い出せねえんですけど「勇助」って呼ばれると、なんだか懐かしい心地が…

と乗っかります。

北川豊章は後に志水燕十として、蔦重と仕事をする人物です。

志水燕十(しみずえんじゅう)
蔦屋からいくつかの黄表紙を刊行した戯作者。
鳥山石燕に師事して絵も学んでいます。
蔦屋でのデビュー 作は56歳で書いた『身なり大通神略縁記』と考えられていて、この挿絵を喜多川歌麿が担当しています。
武士の出身で、幕府御家人の大田南畝と交流を持ち戯作者となったようです。
ペンネームの由来は、家が清水町だったこと、石燕から一字もらった、入門したのが10歳だったこと
馬琴の記録では、「他のことによりて罪を被りて終わるところ知らず」とあることから、晩年に何らかの罪を犯して戯作から足を洗ったものと思われます。


人別を手に入れた「勇助」は、さらに蔦重から「歌麿」という画号を授けられました。

俺な、お前だけじゃなくて誰も助けられなかったのよ、花魁も源内先生も
偉そうに助けるだの何だの言ったけど、実のとこ、お前を助けることで救われんのは俺でさ
歌麿、俺にあん時の約束を守らせてほしい
俺ゃお前を当代一の絵師にしてえ
だから死ぬな、俺のために生きてくれ

二人は涙をこらえながら笑顔になりました。

 

さて、喜三二は素晴らしい原稿を書き上げました。

 

前回のあらすじ

次回のあらすじ

あらすじ一覧

 

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大河『べらぼう』第18話登場人物|勇助(耕書堂の後継者)

1796年秋、蔦重が病に倒れ亡くなった後、番頭から主人となった耕書堂の後継者、それが「勇助」です。

耕書堂の店舗だけでなく、名跡も継ぎ、「二代目蔦屋重三郎」および「二代目蔦唐丸」を名乗りました。
その後も、山東京伝や曲亭馬琴、葛飾北斎らを起用して版元稼業を続け、天保の大飢饉の始まった1833年に亡くなるまで36年間、店を守ります。

映画などでは、蔦重と北斎の関係が描かれることが多いのですが、北斎は、初代蔦重よりも二代目と関わりが深かったと見られています。

(二代目蔦屋重三郎こと勇助が1833年に没したのに対し、喜多川歌麿は1806年に亡くなっています。)

初代亡き後「蔦屋重三郎」は五代目まで続きますが、初代ほどのプロデュースの冴えは見られず、少しずつ家運が傾いていきました。

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大河『べらぼう』第18話登場人物|喜多川歌麿

黄表紙などでヒットを飛ばした蔦屋重三郎は、人生の後半「美人画」で大ヒットを飛ばします。

最強のライバル・西村屋&鳥文斎 栄之・鳥居清長

一枚絵の錦絵を強化しようとしていた蔦屋重三郎は、美人画に照準を合わせていきます。

ただその分野には8頭身の「清長美人(きよながびじん)」で人気絶頂だった「西村屋与八」&「鳥文斎 栄之(ちょうぶんさいえいし)」「鳥居清長(とりいきよなが)」という最強コンビがいました。


『美南見十二候』鳥居清長筆(出典:千葉美術館公式サイト

『美南見十二候・九月 漁火』
背の高いヘルシー美人を描くのが得意な鳥居清長。
窓の外の漁火と、三人の女性が描かれています。魚を誘う漁火は9月の風物詩でした。
タッチがとても繊細で、色使いもまとまっています。
着物の柄も三人三様、月と漁火のぼんやりとした灯りに照らされる夜の色使いも美しく、表現力と風情を感じることができます。

「西村屋与八」は『雛形若菜初模様(ひながたわかなのはつもよう)』の刊行をめぐり蔦屋重三郎とトラブルが発生したことのある版元です。ドラマでは西村まさ彦さんが演じられています。

蔦屋重三郎がパートナーに選んだ絵師は、それまでに起用していた北尾重政や北尾政演(山東京伝)ではなく、喜多川歌麿でした。

蔦屋重三郎と喜多川歌麿。

2人の付き合いは長いのですが、史実では、蔦重と仲良くなる前に西村屋で起用してもらうつもりだったということです。

当時の西村屋はや鳥文斎栄之や鳥居清長の起用に力を入れていたため、歌麿は西村屋を出て蔦屋重三郎もとで仕事を始めたと言われています。

蔦屋重三郎の家に居候した喜多川歌麿は、黄表紙や挿絵に才能を発揮しながらも、一枚絵では西村屋&鳥居清長コンビに負けを喫していました。

それが蔦屋重三郎が幕府から処罰されると、二人の熱意は急激にあがってきます。

歌麿は栃木に移り住んで活動を続けます。

新たな試み・美人大首絵

『歌撰恋之部:夜毎二逢恋』喜多川歌麿筆(出典:ColBase

 

喜多川歌麿は新たな試みを生み出しました。

役者絵の手法として使われる上半身だけを描くバストアップ「大首絵」を美人画に用い、美人画の世界に殴り込みをかけたのです。

これが大ウケ。ついに西村屋の牙城を崩し、美人画の頂点にのぼりつめます。

大首絵は顔や手を大きく描くので、細やかな表情を描き出せました。
喜多川歌麿は女性の肌の柔らかな質感を出すため、輪郭線を描かず、空ずりで表現するといった技法も用いています。美しさを貪欲に求め続けた結果、内面まで映し出すような女性像は喜多川歌麿の真骨頂となったのでした。

歌麿の反骨精神

『高名美人六家撰・富本豊雛』喜多川歌麿筆(出典:ColBase

ところが松平定信がしいた寛政の改革では、美人画も制限を受けてしまいます。
遊女の名前などを掲載することが禁止となったのです。
すると歌麿は、それを批判するように、浮世絵の右肩にとんちの効いたなぞなぞの絵(判じ物)で暗示するという手法をとりました。

上の絵では、右上の「富くじ・藻・砥石・戸・夜・雛祭り」で「とみもととよひな」と読ませています。

ピンチにおいても工夫をして克服する精神は、蔦屋重三郎から影響を受けたものかもしれません。

喜多川歌麿:美人画以外の才能
美人画で有名な喜多川歌麿ですが、「春画」でも名作を残しています。
春画艶本『帆柱丸』は、男女の複雑な動きを大胆に描き、その中の語りかけるような表情なども高く評価されています。
また、「歴史画」である、豊臣秀吉の生涯を描いた『絵本太閤記』はたちまちベストセラーになります。幕府は「徳川家を揶揄するもの」とこれを発禁にし、歌麿にも手鎖50日の処罰が下されてしまいます。
それ以降は心身ともに陰りを見せるも、多くの作品を残しました。
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