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大河『逆賊の幕臣』主要キャストと登場人物

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2027年大河ドラマ

『逆賊の幕臣』

登場人物

をご紹介いたします。

また、今後発表されるであろう登場人物についても大胆に予想させていただきました。

明治維新の光と影。
その「影」の部分を背負い、不穏な最期を遂げる人物の多さたるや。

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  1. 大河『逆賊の幕臣』主要キャスト・登場人物一覧
    1.  開国・近代化推進派(幕府改革グループ)
    2. 尊王攘夷・倒幕派(諸藩・志士グループ)
    3. 朝廷・将軍家・その他関係者
  2. 『逆賊の幕臣』主人公・家族・家臣・友人・恩師
    1. 主人公|小栗忠順(おぐり ただまさ)演:松坂桃李
    2. 父|小栗忠高(おぐり ただたか)演:北村有起哉
    3. 母|くに 演:鈴木京香
    4. 妻|みち 演:上白石萌音
    5. 塾長|安積艮斎(あさか ごんさい)演:中村雅俊
    6. 義父|建部政醇(たてべ まさあつ)演:飯尾和樹
    7. 友人|駒井朝温(こまい ともあつ)演:高橋光臣
    8. 養子|小栗忠道(おぐり ただみち)演:齋藤潤
    9. 親友|栗本鋤雲(くりもと じょうん)演:青木崇高
    10. 友人|滝川具挙(たきがわ ともたか)演:宮野真守
    11. 友人|朝比奈昌広(あさひな まさひろ)演:モグライダー芝大輔
    12. 従者|荒川祐蔵(あらかわ ゆうぞう)演:草川拓弥
    13. 家老格|武笠祐左衛門(むかさ ゆうざえもん)演:(あに)
    14. 奉公人|三野村利左衛門(みのむら りざえもん)演:荒川良々
    15. 名主|佐藤藤七(さとう とうしち)演:甲本雅裕
  3. 『逆賊の幕臣』幕府の要人・ライバル
    1. ライバル|勝海舟(かつ かいしゅう)演:大沢たかお
    2. 勝海舟の妻|たみ 演:瀧内公美
    3. 大老|井伊直弼(いい なおすけ)演:岡部たかし
    4. 彦根藩|宇津木景福(うつき かげよし)演:吹越満
    5. 将軍|徳川家慶(とくがわ いえよし)演:宅麻伸
    6. 将軍|徳川家定(とくがわ いえさだ)演:ふかわりょう
    7. 将軍|徳川家茂(とくがわ いえもち)演:神尾楓珠
    8. 老中|阿部正弘(あべ まさひろ)演:岩田剛典
    9. 旗本|大久保忠寛(おおくぼ ただひろ)演:渡辺いっけい
  4. 『逆賊の幕臣』朝廷・公家
    1. 天皇|孝明天皇(こうめいてんのう)演:眞栄田郷敦
    2. 天皇|明治天皇(めいじてんのう)演:奥野壮
    3. 太閤|鷹司政通(たかつかさまさみち)演:長塚京三
    4. 公家|岩倉具視(いわくらともみ)演:山中崇
  5. 『逆賊の幕臣』諸藩・志士・思想家
    1. 思想家|吉田松陰(よしだしょういん)演:中村倫也
    2. 思想家|福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)演:山時聡真
    3. 長州|高杉晋作(たかすぎしんさく)演:寛一郎
    4. 薩摩藩|島津久光(しまづひさみつ)演:斎藤工
    5. 薩摩藩主|島津斉彬(しまづなりあきら)演:西岡徳馬
    6. 儒学者|林復斎(はやし ふくさい)演:佐野史郎
    7. 南町奉行|鳥居耀蔵(とりい ようぞう)演:北村一輝
    8. 水戸藩主|徳川斉昭(とくがわ なりあき)演:柄本明
  6. 【独自予想】登場が期待される歴史上の人物
    1. 将軍|徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)
    2. 家臣|塚本真彦(つかもと まひこ)
    3. 養女|小栗鉞子(おぐり よしこ)
    4. 先輩|川路聖謨(かわじ としあきら)
    5. 老中|安藤信正(あんどう のぶまさ)
    6. 目付|岩瀬忠震(いわせ ただなり)
    7. 容姿端麗|新見正興(しんみ まさおき)
    8. 人気通訳|立石斧次郎(たていし おのじろう)
    9. 『航海記』|ジェームス・ジョンストン
    10. 技師|フランソワ・レオンス・ヴェルニー
    11. フランス公使|レオン・ロッシュ
    12. 清水建設|清水喜助(しみず きすけ)
    13. 豪商|高井鴻山(たかい こうざん)
    14. 会談相手|渋沢喜作(しぶさわ きさく)
    15. 死刑執行|原保太郎(はら やすたろう)
    16. 親戚|大隈重信(おおくま しげのぶ)
    17. 聖将|東郷平八郎(とうごう へいはちろう)

大河『逆賊の幕臣』主要キャスト・登場人物一覧

2027年放送の大河ドラマ『逆賊の幕臣』の発表済みキャストを「開国派 vs 攘夷・倒幕派」別にご紹介します。

 開国・近代化推進派(幕府改革グループ)

小栗忠順(演:松坂桃李):フランスと連携し幕府主導の近代化を目指す
勝海舟(演:大沢たかお):雄藩との協調による新国家を目指すライバル
大久保忠寛(演:渡辺いっけい):勝海舟を幕府に引き入れた旗本。誰よりも早く大政奉還を唱える
井伊直弼(演:岡部たかし):日米修好通商条約を批准した大老
宇津木景福(演:吹越満):彦根藩士。井伊直弼を支える側近
阿部正弘(演:岩田剛典):開国へ舵を切った老中
福沢諭吉(演:山時聡真):慶應義塾の創始者。遣米使節に随行
中浜万次郎 / ジョン万次郎(演:武井壮):アメリカから帰国し外交・通訳で活躍
村垣範正(演:古田新太):外国奉行。遣米使節副使として小栗らと渡米
栗本鋤雲(演:青木崇高):忠順の親友・フランス通の外国奉行
安積艮斎(演:中村雅俊):小栗忠順に開国思想を与えた恩師
林復斎(演:佐野史郎):昌平坂学問所総裁(大学頭)。日米和親条約の交渉を担当
島津斉彬(演:西岡徳馬):薩摩藩の開国派名君

尊王攘夷・倒幕派(諸藩・志士グループ)

吉田松陰(演:中村倫也):松下村塾を開き志士に影響を与えた思想家
高杉晋作(演:寛一郎):長州藩の尊王攘夷派志士
徳川斉昭(演:柄本明):水戸藩の強硬な攘夷派
島津久光(演:斎藤工):薩摩藩の最高権力者
岩倉具視(演:山中崇):倒幕派の公家

朝廷・将軍家・その他関係者

孝明天皇(演:眞栄田郷敦)
明治天皇(演:奥野壮)
鷹司政通(演:長塚京三)
徳川家慶(演:宅麻伸)
徳川家定(演:ふかわりょう)
徳川家茂(演:神尾楓珠)
鳥居耀蔵(演:北村一輝):旧態依然とした保守派奉行
小栗家の家族・身内・従者たち(忠高、くに、みち、忠道、荒川祐蔵、三野村利左衛門 など)

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『逆賊の幕臣』主人公・家族・家臣・友人・恩師

主人公|小栗忠順(おぐり ただまさ)演:松坂桃李

小栗忠順(おぐり ただまさ)
1827〜1868
崩壊寸前の幕府に現れたエリート、大局を見通す才能の持ち主、それが小栗忠順です。
アメリカ訪問から戻ってきた小栗忠順は、日本の近代化に必要な造船所建設、株式会社の設立、軍制改革などの施策を次々と打ち出しました。それらはたとえ幕府がなくなっても後に生かされるものばかりでした。
明治維新。小栗忠順はその混乱のなかで、幕府と運命をともにすることに。
新政府軍に恭順の意を示していた小栗忠順ですが、その高い能力と「軍資金を隠し持っている」というあらぬ疑いから、十分な取り調べもないまま処刑されてしまいます。

父|小栗忠高(おぐり ただたか)演:北村有起哉

小栗忠高(おぐり ただたか)
1809〜1855
2500石取りの直参旗本・小栗家の11代当主で小栗忠順の実父。
旗本・中本忠英の四男でしたが、隣家小栗家の養子に。新潟奉行を務めました。

母|くに 演:鈴木京香

小栗くに(くに子)
1806〜?
小栗家10代当主忠清の娘で、小栗忠高を婿養子に迎え、小栗忠順と娘・貞子を生みます。忠順捕縛の前日に道子とともに権田村から避難。

妻|みち 演:上白石萌音

小栗道子(おぐりみちこ)
1834〜?
林田藩主・建部政醇の長女で、小栗忠順の妻。忠順断首後、身重の体で会津まで落ち延び、国子を出産。維新後は、三野村利左衛門の援助を受けました。
結婚当初は15歳で、小柄ながら美女の通り名「衣通姫そとおりひめ」と呼ばれていたほどの美貌の持ち主だったそうです。

塾長|安積艮斎(あさか ごんさい)演:中村雅俊

安積艮斎(あさか ごんさい)
1791〜1861
佐藤一斎や林述斎に学び、昌平黌しょうへいこうで教えた当代一流の儒学者。小栗邸の長屋で塾を開き、小栗忠順が少年時代に通いました。その開国論に小栗忠順が影響を受けたといわれています。

義父|建部政醇(たてべ まさあつ)演:飯尾和樹

建部政醇(たてべ まさあつ)
1795〜1875
播州林田藩8代当主。多芸多能。神田明神下の屋敷を訪れた忠順少年と議論をしたとの逸話が残っています。
この後、長女と忠順は結婚します。

友人|駒井朝温(こまい ともあつ)演:高橋光臣

駒井朝温(こまい ともあつ)
1823〜1896
勘定奉行や大目付を歴任。小栗よりも早く目付に昇進し、一時は上役でもありました。
小栗に子供がいなかった際、駒井家の次男(忠道)と三男(忠祥)が小栗家の養子に入っており、家族ぐるみで非常に深い交流がありました。

養子|小栗忠道(おぐり ただみち)演:齋藤潤

小栗忠道(おぐり ただみち)
1848〜1868
小栗忠順の養嗣子。
旗本・駒井朝温の次男で、小栗忠順が渡米直前に迎えた養女・鉞子の婚約者として養子となりました。
忠順処刑の翌日、高崎城内の牢屋の前で断首されます。

親友|栗本鋤雲(くりもと じょうん)演:青木崇高

栗本鋤雲(くりもと じょうん)
1822〜1897
艮斎塾以来の小栗忠順の親友。医師から転身し、外国奉行などを歴任。フランス語に通じ、横須賀造船所建設などで小栗忠順に協力。維新後は、新聞記者となりました。

友人|滝川具挙(たきがわ ともたか)演:宮野真守

滝川具挙(たきがわ ともたか)
?〜1881
外国奉行、神奈川奉行、京都町奉行、大目付などを歴任。
若い頃から小栗と意見を交わし合う仲であり、幕臣として厳しい情勢の中で奔走しました。

友人|朝比奈昌広(あさひな まさひろ)演:モグライダー芝大輔

朝比奈昌広(あさひな まさひろ)
1827〜1905
長崎奉行、外国奉行、勘定奉行、江戸町奉行などを歴任。
外国奉行として「日伊修好通商条約」の締結に携わるなど、外交の最前線で活躍しました。

従者|荒川祐蔵(あらかわ ゆうぞう)演:草川拓弥

荒川祐蔵(あらかわ ゆうぞう)
1832〜1868
小栗の従者。遣米使節団に随行。
主君小栗忠順とともに水沼河原で斬首。享年36。

家老格|武笠祐左衛門(むかさ ゆうざえもん)演:(あに)

武笠祐左衛門(むかさ ゆうざえもん)
〜1877
幕末の小栗家を支えた家臣の一人。
小栗忠順が屋敷を離れた際に用心として残され、主君の死をもって退去。

奉公人|三野村利左衛門(みのむら りざえもん)演:荒川良々

三野村利左衛門(みのむら りざえもん)
1821〜1877
利左衛門の出自は謎が多く不明な点が多いものの、江戸深川の商家に奉公していた頃、縁あって小栗の屋敷の住み込み中間になったと言われています。利左衛門は文字の読み書きもできませんでしたが、小栗に気に入られ、その仲介で油や砂糖を商っていた三河町紀ノ国屋の婿養子となりました。
その後、利左衛門は「紀ノ利」という両替商を始めます。
利左衛門と小栗忠順の仲が深まったのは1865年(慶応元年)。
4回目の勘定奉行となった小栗忠順が江戸一の豪商三井に100万両の御用金を命じたことがきっかけでした。応える資力がなく困り果てた三井家は、下請けの両替商として出入りのあった利左衛門と小栗忠順の関係を知り、彼に減免嘆願の交渉を依頼しました。
その頃、三井は開港後生じた関税収入の出納の役で預かった公金を勝手に貸し出して焦げ付かせており、小栗忠順の御用金命令は、それに対する懲罰的な意味合いがありました。それを察した利左衛門は江戸の商人に対する商品担保の市中貸し出しを三井の責任で行うという「江戸市中荷物御引当御貸付金」という斬新なシステムを小栗忠順に提案。この幕府の資金を一切使わずに市場を活性化させるという公的融資システムは、外資に日本経済が支配されることを危惧する小栗忠順の思惑にもかない、三井は大幅な御用金減免を勝ち取ることに成功したのでした。
この功によって三井両替所の番頭となった利左衛門は、さらに小栗忠順と組んで日本初の正式な兌換紙幣の発行も実現。
ですが、ほどなく利左衛門は苦渋の決断を下すことに。
幕府転覆を狙う新政府軍の軍資金調達に協力するのです。
三井が維新後一大財閥に成長することを考えれば、この決断は結果としては正しかったのですが、恩義のある小栗忠順に対しては裏切りでもありました。
ただ、利左衛門には節義がありました。逆賊として殺された小栗忠順の妻子のために深川に家を用意し、手厚く保護。利左衛門が小栗忠順の妻子に与えたお金は、10年間で現在の金額で数千万円という額だったと言われています。

名主|佐藤藤七(さとう とうしち)演:甲本雅裕

佐藤藤七(さとう とうしち)
1807〜1872
上州権田村の農民名主。農民身分としては異例の随行許可を得て、小栗忠順に随従し世界一周を経験。『航海日記』

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『逆賊の幕臣』幕府の要人・ライバル

ライバル|勝海舟(かつ かいしゅう)演:大沢たかお

勝海舟(かつ かいしゅう)
1823〜1899
三河以来という名門旗本の嫡男として生まれた小栗忠順と、曽祖父が旗本の株を買い、父の小吉が旗本・勝家の養子となったという勝海舟では、血筋も身分も雲泥の差がありました。4歳年長の勝海舟が、黒船来航という非常事態に「海防意見書」を提出してやっと下田取締掛手付に登用された時、忠政はすでに将軍・家定のそばに仕えていました。

2人の運命が初めて交差するのは、1860年のアメリカ行き。
小栗忠順は監察という施設団の要人、勝海舟は随行の咸臨丸艦長という立場の差はありながらも、この渡米が後の2人の生き方に大きな影響を与えました。

帰国後、小栗忠順が交渉を行ったロシア軍艦の対馬占拠事件では、江戸に戻り、対馬を幕府直轄領にすることや、外交関係において地方藩主と幕府の権限を定めるべきという建言を行っていた小栗忠順を横目に、勝は裏で工作し、イギリスのオールコック公使からロシアに抗議をさせ、ロシア艦を退去させています。

また第二次長州征伐時、小栗忠順に打ち明けられた幕府強化のための対フランス借款計画には猛反対。身分の壁によりなかなか幕府に重用されなかった勝海舟は、旧弊な体制の幕府を見限っていたのです。忠心を貫き、幕府存続の上で改革を目指す小栗忠順の提案は、受け入れられるものではありません。
勝海舟は新しい国家体制を目指す諸雄藩と協力を強め、小栗忠順の造船所計画にも人材育成が先だと反対。ですが、横須賀造船所が明治政府に貴重な財産として受け継がれると、幕府の財政窮乏の中にあって「工場を起すに至るは、亦深く嘉尚すべき」と称賛せざるを得ませんでした。

勝海舟の妻|たみ 演:瀧内公美

勝たみ(民子)
1821〜1905
江戸神田の商家の娘として生まれるが、深川で芸者をしていた頃に勝と出会って結婚。無役で貧乏暮らしの勝を賢妻として支える。

大老|井伊直弼(いい なおすけ)演:岡部たかし

井伊直弼(いい なおすけ)
1815〜1860
安政の大獄を主導し、幕府強化を目指した大老。
日米修好通商条約の批准書交換のため、小栗忠順を遣米使節に抜擢するものの、帰国を待たずに桜田門外で殺害されました。

国学者|長野主膳(ながの しゅぜん)

彦根藩|宇津木景福(うつき かげよし)演:吹越満

宇津木景福(うつき かげよし)
1809〜1862
井伊直弼の右腕として裏から支えた彦根藩士。国学者・長野主膳とコンビを組み実務交渉を行う。井伊直弼が辞意を持たした際には厳しく諌め大老を続投させたと言われています。
桜田門外の変の2年後、1862年に斬首。

将軍|徳川家慶(とくがわ いえよし)演:宅麻伸

徳川家慶(とくがわ いえよし)
1793〜1853
江戸幕府12代将軍。
水野忠邦を重用し、天保の改革を行いました。そのころ初登城した小栗忠順に謁見。
その後は安部正広を用いますが、ペリー来航直後に死去。

将軍|徳川家定(とくがわ いえさだ)演:ふかわりょう

徳川家定(とくがわ いえさだ)
1846〜1866
江戸幕府13代将軍。
小栗忠順が進物番として仕えました。
ペリー来航直後の大混乱期において、父・家慶の急死により将軍に就任。病弱で内向的な家定は、周囲から軽んじられました。病弱で子がなかったため継嗣が問題となり、信頼を受けていた井伊直弼が次期将軍を家茂に決定しました。

将軍|徳川家茂(とくがわ いえもち)演:神尾楓珠

徳川家茂(とくがわいえもち)
1846〜1866
江戸幕府14代将軍。
将軍後継者争いで一橋慶喜の対抗馬となり、13歳で将軍に就任。
幕府の権威失墜を補うため皇女・和宮と政略結婚しますが、開国と鎖国を巡り朝廷との溝は深まります。朝廷に逆らえず229年ぶりの上洛を果たすも、慶喜とともに京都で人質状態になり20歳で大坂城で死去。
小栗忠順らは、将軍奪還の実力行使を計画。

老中|阿部正弘(あべ まさひろ)演:岩田剛典

阿部正弘(あべ まさひろ)
1819〜1857
老中となった福山藩主。小栗忠順が出仕した年に老中首座となりました。
直属の海防掛を新設、岩瀬忠震ら優秀な人材を登用しますが、若くして病没。

旗本|大久保忠寛(おおくぼ ただひろ)演:渡辺いっけい

大久保忠寛(おおくぼ ただひろ)
1818〜1888
開明派の幕臣、第5代東京府知事。坂本龍馬や土佐藩が動くよりもはるか前に「大政奉還・議会政治」という先進的な構想を幕府に唱えていました。
最も大きな功績の一つが、無名だった勝海舟の才能をいち早く見出し、阿部正弘に推挙して幕政に登用したこと。勝海舟、山岡鉄舟と並び「江戸幕府の三本柱」とも称され、江戸城の無血開城に大きく貢献した人物です。
後に「大久保一翁(いちおう)」と号しました。

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『逆賊の幕臣』朝廷・公家

天皇|孝明天皇(こうめいてんのう)演:眞栄田郷敦

孝明天皇(こうめいてんのう)
1831〜1867
第121代天皇。明治天皇の父親
在位中(1846〜1867)は公武合体を望み、象徴として妹・和宮を14代将軍・徳川家茂に嫁がせた。生涯を京都・平安京で過ごした。倒幕に反対し、1867年35歳の若さで急死。

天皇|明治天皇(めいじてんのう)演:奥野壮

明治天皇(めいじてんのう)
1852〜1912
第122代天皇。孝明天皇の次男。
明治維新を象徴する天皇で、京都から東京へと遷都。
天皇一代につき元号を一つとする「一世一元の制」制定。「五箇条の御誓文」近代化を推し進め、君臨。

太閤|鷹司政通(たかつかさまさみち)演:長塚京三

鷹司政通(たかつかさまさみち)
1789〜1868
最高位の公家。
孝明天皇を幼少期から支え、岩倉具視の「和歌の師匠」でもあった、幕末の朝廷政治を裏から動かした「ドン」。安政の大獄での失脚。

公家|岩倉具視(いわくらともみ)演:山中崇

岩倉具視(いわくらともみ)
1825〜1883
「維新の十傑」の一人。現実主義。
「王政復古の大号令」を主導し江戸幕府を終わらせ、明治新政府を樹立した中心人物。その後は「岩倉使節団」のトップとして欧米を視察し、日本の近代化や憲法制定の土台を築く。

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『逆賊の幕臣』諸藩・志士・思想家

思想家|吉田松陰(よしだしょういん)演:中村倫也

吉田松陰(よしだしょういん)
1830〜1859
吉田松陰は、幕末の長州藩の思想家・教育者であり、私塾である「松下村塾」を主宰して高杉晋作や伊藤博文など明治維新の指導者となる人材を数多く育て上げた人物。
安政の大獄で処刑。29歳。

思想家|福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)演:山時聡真

福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)
1835〜1901
近代日本を代表する思想家。
遣米使節護衛艦「咸臨丸」で渡米。帰国後、小栗忠順は新聞発行を託そうとしますが、計画のみで終わります。後に慶應義塾を創立。

長州|高杉晋作(たかすぎしんさく)演:寛一郎

高杉晋作(たかすぎしんさく)
1839〜1867
吉田松陰の遺志を継いだ幕末の長州藩士であり、身分にとらわれない画期的な軍隊「奇兵隊」を創設して長州藩を討幕へと導いたが、明治維新を見届けることなく27歳で病死。

薩摩藩|島津久光(しまづひさみつ)演:斎藤工

島津久光(しまづひさみつ)
1817〜1887
幕末の薩摩藩の事実上の最高権力者(国父)として公武合体運動を推進し、生麦事件などの激動の政局を主導して薩摩藩を雄藩へと押し上げましたが、のちの急進的な討幕運動や明治政府の急進的な西欧化には反対姿勢を貫いた人物。

薩摩藩主|島津斉彬(しまづなりあきら)演:西岡徳馬

島津斉彬(しまづなりあきら)
1809〜1858
幕末の薩摩藩第11代藩主であり、洋式工場群「集成館」を興して造船や電信などの近代化政策を推し進めるとともに、西郷隆盛や大久保利通らの若き俊才を見出して明治維新の礎を築いた名君。

儒学者|林復斎(はやし ふくさい)演:佐野史郎

林復斎(はやし ふくさい)
1805〜1859
幕末の黒船来航時に特命全権大使(応接掛)としてペリー提督と堂々と渡り合い、「日米和親条約」を締結した江戸幕府の最高峰の儒学者・外交官。岩瀬忠震・堀利煕としひろの伯父。
「難破船の救護や薪水の給与は、我が国の『人道』として受け入れる。しかし、通商は国益に関わる事柄であり、人道とは何の関係もない。 今すぐ決める必要はない」とペリーを論破。
家康の時代から、代々将軍の学問的ブレーン(朱子学の最高権威)を務めてきた「林家りんけ」の11代当主であり、当時は「林大学頭はやし だいがくのかみ」と呼ばれていました。

南町奉行|鳥居耀蔵(とりい ようぞう)演:北村一輝

鳥居耀蔵(とりいようぞう)

林述斎を父に持ち、名門・鳥居家の養子として出世。
天保の改革で南町奉行になると、幕府のために手段を選ばず厳しく取り締まり「妖怪」と称される。徳川の秩序を揺るがす西洋思想を危険視し、小栗忠順の師である安積艮斎ら開明派の前に大きな壁として立ちはだかります。

水戸藩主|徳川斉昭(とくがわ なりあき)演:柄本明

徳川斉昭(とくがわなりあき)

「烈公」の異名を持つ水戸藩9代藩主。
阿部老中の信頼のもと海防を担い、息子の慶喜を次期将軍へ押し上げるべく暗躍。
ただ、開国を拒み攘夷を主張したため井伊直弼と激しく対立。小栗忠順は斉昭を妄信する水戸藩士らと関わることで、彼らの抱く攘夷思想の本質に触れていきます。

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【独自予想】登場が期待される歴史上の人物

将軍|徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)

徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)
1837〜1913
水戸家に生まれた幕府15代将軍。一橋家を相続後、将軍となると、大政奉還を敢行。戊辰戦争では小栗忠順の抗戦策を拒否し、新政府軍に恭順。幕府を終焉させました。

家臣|塚本真彦(つかもと まひこ)

塚本真彦(つかもと まひこ)
1840〜1868
もと建部家家臣で、みちの結婚に伴い小栗家に移ります。遣米使節では小栗忠順の従者として随行。権田隠棲にも従った後、忠道とともに新政府軍に断首されます。

養女|小栗鉞子(おぐり よしこ)

小栗鉞子(おぐり よしこ)
祖父小栗忠清の実子・日下数馬の娘である鉞子は、6歳で小栗家の養女となり、小栗忠道と婚約。
忠順が幕府崩壊により上野で帰農した際にこれに従ったのち、新政府軍の追及を受けて忠順の意向により養母みち(道子)らと信濃・越後を経て会津へ落ち延び、翌2年に静岡へ移住したと言われています。

先輩|川路聖謨(かわじ としあきら)

川路聖謨(かわじ としあきら)
1801〜1868
海防掛や外国奉行を歴任した幕臣。対ロシア交渉などで活躍。
小栗忠順の先輩格で、息子をフランス語伝習所に入れました。
江戸開城の翌日、拳銃自殺をします。

老中|安藤信正(あんどう のぶまさ)

安藤信正(あんどう のぶまさ)
1820〜1871
井伊直弼暗殺後に政権を担った老中。
小栗忠順を外国奉行に抜擢し、対馬事件などにあたらせました。
公武合体政策を進めますが、坂下門外で襲われ失脚。

目付|岩瀬忠震(いわせ ただなり)

岩瀬忠震(いわせ ただなり)
1818〜1861
日米修好通商条約に調印した幕府目付。
総領事ハリスとの交渉で遣米使節を提案するも、安政の大獄で井伊直弼により更迭されました。蟄居中に病没。

容姿端麗|新見正興(しんみ まさおき)

新見正興(しんみ まさおき)
1822〜1869
御小姓出身の遣米使節の正使。
容姿端麗で親しみ深い応接態度と押し出しの良さから抜擢されたと言われています。
批准書交換の大任を果たし、帰国後300石加増されました。

人気通訳|立石斧次郎(たていし おのじろう)

立石斧次郎(たていし おのじろう)
1843〜1917
通訳見習いとして渡米。幼名為八からアメリカでは「トミー」と呼ばれ人気者に。
帰国後は幕府に仕え、維新後、長野桂次郎として生きました。

『航海記』|ジェームス・ジョンストン

ジェームス・ジョンストン
アメリカの軍艦ポーハタン号乗り組みの中尉。
遣米使節の接待役で、『航海記』を書き残しました。その中で小栗忠順を「一行中で最も実際的な人物」と高く評価しています。

技師|フランソワ・レオンス・ヴェルニー

フランソワ・レオンス・ヴェルニー
1837〜1908
アメリカ帰りの小栗忠順が近代化の柱として交渉した大計画である横須賀造船所。その建設と運営を任されたのがヴェルニーです。
1837年にヴェルニーはフランスオブナで商人の子として生まれました。パリの理工科大学、海軍造船学校を卒業し、25歳で海軍に入ったヴェルニーは、エリート海軍技師として中国の寧波で艦船建造の仕事をしていました。その頃、小栗忠順はロッシュ公使を介してフランス海軍に造船所の建設を任せられる技師の推薦を要請。中国での仕事が終わろうとしていたヴェルニーに白羽の矢がたち、1864年11月来日することになりました。
着任早々、ヴェルニーは横須賀造船所の設立一切を任され、施設建築、インフラ整備からフランス人技術者の採用、日本人職工の募集や教育までを指揮することになりました。
この難事業を任された当時のヴェルニーは、まだ30歳に満たない頼りなさそうな青年。関係者は初め「こんな若者を所長にした小栗忠順はフランス公使に騙されたのだ」と思ったと言います。ですが、皆すぐに溢れる才幹に敬服するようになります。
例えば、ヴェルニーが出した建設費の見積もりは、小栗忠順らが当初考えていた事業費の半分の額でした。また、誠意ある態度と人柄で、地元の名士から幕府の担当者まで多くの人に慕われたと言います。こうしてヴェルニーの指揮のもと、造船所は着実に建設されていきました。
が、明治維新の混乱のなか、小栗忠順が落命。
この有能なフランス人技師はその遺志継ぎ、施設整備と造船技術の指導を行っていきました。
そして1872年までに10隻の蒸気船を建造しています。
ヴェルニーは横須賀以外にも、アジア最大の造船能力を誇る長崎造船所の建設を監督し、東京湾沿岸の観音崎、品川など4カ所の灯台も設置。1876年の帰国まで日本の近代化に尽くしたのでした。帰国後、ヴェルニーはフランス最大の鉱山会社の取締役となり、1908年5月ボンドーブナスの自宅で亡くなりました。

フランス公使|レオン・ロッシュ

レオン・ロッシュ
1809〜1901
フランス駐日公使。
対英協調から対日積極路線に転換し、幕府改革に協力。小栗主導の造船所、軍政改革、フランス語学校の設立を支援しました。

清水建設|清水喜助(しみず きすけ)

清水喜助(しみず きすけ)
1815〜1881
清水建設二代目。
小栗忠順の呼びかけに応じて資本を集め、築地ホテルを建設。他にも第一国立銀行や為替バンク三井組などの和洋折衷建築を数多く造りました。

豪商|高井鴻山(たかい こうざん)

高井鴻山(たかい こうざん)
1806〜1883
信州小布施の豪商。
小栗忠順とともに、信州越後の商人出資の貿易会社を構想しましたが、幕府崩壊で実現しませんでした。晩年の北斎のパトロンとしても知られています。

会談相手|渋沢喜作(しぶさわ きさく)

渋沢喜作(しぶさわ きさく)
1838〜1912
戊辰戦争で彰義隊を組織した幕臣で、渋沢栄一のいとこ。
権田隠棲直前に小栗忠順を訪ね、会談しています。
維新後は官吏となった後、東京株式取引所理事長などを務めました。

死刑執行|原保太郎(はら やすたろう)

原保太郎(はら やすたろう)
1847〜1936
新政府軍の巡察使兼軍監。
権田での小栗忠順の捕縛、処刑を指揮した人物。
小栗忠順最期の言葉を聞きました。
その後は山口県令、勅撰貴族院議員に就任。

親戚|大隈重信(おおくま しげのぶ)

大隈重信(おおくま しげのぶ)
1838〜1922
肥前藩出身の明治を代表する政治家。
綾子夫人が小栗忠順のいとこだった関係で、明治維新後、妻子を被護しました。また首相時には横須賀開港の恩人と小栗忠順を称えました。

聖将|東郷平八郎(とうごう へいはちろう)

東郷平八郎(とうごう へいはちろう)
1847〜1934
薩摩藩の下級武士の家に生まれた東郷平八郎は、16歳の時薩英戦争に参加したのが実戦経験の始まりでした。1866年に薩摩藩の海軍に入り、続く戊辰戦争では阿波沖海戦や宮古湾海戦、箱館海戦などに参加。東征軍には参加しておらず、東郷平八郎と小栗忠順の間には直接な交渉はありませんでした。
明治以降も海軍士官として過ごし、イギリス留学を経て1894年の日清戦争では艦長として活躍。この間、東郷平八郎は横須賀造船所で建造された砲艦「天城」の艦長なども務めます。
1904年、連合艦隊司令長官として臨んだ日露戦争では、旗艦「三笠」に座乗して、旅順港閉塞作戦や黄海海戦などの海戦全般を指揮しました。そしてロジェストヴェンスキー提督率いるロシアのバルチック艦隊を翌年5月27日対馬沖に迎え撃って激滅。世界海戦史上に残る大勝利を上げたこの日本海海戦で東郷平八郎は大将に昇進し、後に「聖将」に祭り上げられることになります。
1912年の夏、東郷平八郎は、自宅に小栗忠順の遺族を招きます。
小栗忠順の実娘国子に送り出されてやってきた夫の貞雄と12歳の息子の又一を前に、日本海海戦の勝利について「軍事上の勝因の第一として、小栗殿が横須賀造船所を建設しておいてくれたことが、どれほど役に立ったか計り知れません」と述べました。
海軍工廠となっていた横須賀造船所では、バルチック艦隊の掃討に威力を発揮した駆逐艦、水雷艇の多くが建造されていました。のみならず、造船所で培われた技術とドックのおかげで、決戦前に艦艇をオーバーホールすることも可能でした。
幕府瓦解から45年が経過してもなお公然と幕臣を褒め称えることは難しかった時代に、東郷平八郎は率直に感謝の気持ちを伝えました。公式の場ではないものの、帝国海軍の要人によって小栗忠順の名誉が回復された瞬間でした。
東郷平八郎は又一らにご馳走した後、自分の書を進呈したいと言い、後日、縦横2幅の書が小栗家に届けられました。

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