2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』
第20話「 本物の平蜘蛛」
あらすじ
をご紹介しています。
お楽しみいただけると幸いです。
※ネタバレ含みます
第 1回 1月 4日 |二匹の猿
第 2回 1月11日 |願いの鐘
第 3回 1月18日 |決戦前夜
第 4回 1月25日 |桶狭間!
第 5回 2月 1日 |嘘から出た実
第 6回 2月15日 |兄弟の絆
第 7回 2月22日|決死の築城作戦
第 8回 3月 1日|墨俣一夜城
第 9回 3月 8日|竹中半兵衛という男
第10回3月15日|信長上洛
第11回 3月22日 |本圀寺の変
第12回 3月29日|小谷城の再会
第13回 4月 5日|疑惑の花嫁
第14回 4月12日|絶体絶命!
第15回 4月19日 |姉川大合戦
第16回 4月26日|覚悟の比叡山
第17回 5月 3日|小谷落城
第18回 5月10日|羽柴兄弟!
第19回 5月17日|過去からの刺客
第20回 5月24日 |本物の平蜘蛛
第21回 5月31日 |風雲!竹田城
第22回 6月 7日 |播磨大誤算
第23回 6月14日 |さらば半兵衛
第24回 6月21日 |軍師官兵衛!
第25回 6月28日 |変事の予兆
第26回 7月 5日 |信長を笑わせろ!
第27回 7月12日 |本能寺の変
第28回 7月19日 |急げ!秀吉
第29回 7月26日 |天下への道
第30回 8月 9日 |清須会議
第31回 8月16日 |これで、お別れにございます
第32回 8月23日 |賤ケ岳の決闘
第33回 8月30日 |市の最期
大河ドラマ『豊臣兄弟!』第20話 あらすじ

手取川の戦い
合理的な策を提言する羽柴秀吉(池松壮亮)と、それを信じられない柴田勝家(山口馬木也)。
対立の果てに、秀吉は独断で戦線を離脱するという、信じがたい賭けに出ました。

織田家を守るにはこうするよりほかになかったのじゃ!
秀吉、死罪宣告
秀吉の戦線離脱という軍令違反。

お主が勝手に逃げ帰らねば、このような大敗を喫することにはなかったであろう。
織田信長(小栗旬)は静かに申し渡します。

主がいても負けていたの申すのじゃな?
お主はいてもいなくても同じということか。
では、死ね。

何よりわしの命に背いたことじゃ。
敵の策を見抜きながら自分だけ逃げ帰ったこと以上に、自身の命令に背いたことに対して信長が下したのは、「死罪」の宣告でした。
松永久秀の謀反
羽柴家の家族たちは助命嘆願に奔走し、多くの血判が集まります。

このようなものを見せられたところでわしの怒りは収まらぬ。
が、この者たちの願いがあるいは天運を呼び寄せたか。
運が良かったのう、サルども。
松永が、また裏切りおった。
わしの知る限り、あやつが最も心許しておるのはお前らじゃ。
松永を説き伏せ、再びわしのもとにひざまずかせよ。
ただし、ただでは許さぬ。
あやつの持つ茶器の中で最も価値のある「平蜘蛛(ひらぐも)」を差し出させよ。
羽柴兄弟と松永久秀
織田信忠(小関裕太)を総大将とする織田軍は、松永久秀(竹中直人)が籠城する信貴山城を取り囲みました。
この機を逃せば羽柴一族に明日はありません。
秀吉と小一郎は、自らの命を賭けた「最後の交渉」へと向かいます。
対峙したのは、不敵な表情の久秀。兄弟が突きつけたのは、「名器・平蜘蛛を差し出せば、謀反は不問に処す」という信長からの条件でした。
茶器ひとつで命を繋ぐか、あるいは誇りとともに爆ぜるのか。
死罪を突きつけられた秀吉と、死を恐れぬ久秀。

素直に平蜘蛛を渡せば、大和は返してもらえるのか?
大和に固執する松永久秀は、信頼する兄弟に出自を語ります。
仏像などの贋作を創る父と側女との間の自分は偽物だと蔑まれていたこと、いつか本物になり見返してやりたいと思ったこと、本物の父と慕う三好長慶から初めて任された本物の地・大和を手放したくないこと。
対して兄弟は、信長が久秀を「許す理由」を探しており、その一つが「平蜘蛛」ではないかと話します。

上様は、あなた様を死なせたくないのでございます。
真贋
兄弟に真贋2つの「平蜘蛛」を見せ、久秀は言いました。

もし万が一、見事本物を見抜くことができたらわしの負けじゃ。
お前たちの言う通り無様に生きる道を選ぼう。
ただし、もし見抜けなければお前たちの首を取り、信長に送り返す。
2人にはまったく見当がつきません。
小一郎が一つを投げ割ろうとすると、咄嗟に止める久秀。
このリアクションで本物を見極めた小一郎は、力強く言いました。

わしは人にまがい物などないと思いまする。
偽りもいずれ真になると。
松永殿は本物でござりまする!

お前たちこそ本物じゃ。
本物の大バカ者じゃ!
松永久秀の最期
納得したかに見えた久秀ですが、席を外したとたんに大爆発が起こります。

まこと人がいいのう、お前たちは。
すべて偽りじゃ!
戦、戦、戦、戦のこの世には、もう飽きた!
先に逝って待っていると信長めに伝えよ。
先程の2つの茶器はいずれも偽物。
本物の平蜘蛛はついに手に入らなかったと打ち明けた久秀。
先程壊されるのを阻止した茶器は、父が作ったものだと話します。

何が本物で何か偽物かなどそんなものはどうでもいい。
お前らもせいぜい苦しめ。
うまく信長を欺くんじゃぞ。
まがい物を嬉しそうに愛でる信長の間抜けな姿をあの世からとくと楽しませてもらうわ!
それが松永久秀の最後の言葉となりました。
本物の平蜘蛛
顛末を聞いた信長は、驚くことなく兄弟を許し、2人が持ち帰った偽物の茶器を兄弟に持たせます。実は、本物の平蜘蛛は、信長が所有していたのです。
信長は兄を許す理由を探していたのではないかと考える小一郎。
偽の平蜘蛛の中から大和に眠る金銀財宝の絵地図を見つけました。
・降りしきる雨の中での対立
北陸の上杉謙信を迎え撃つべく、柴田勝家を総大将とする織田軍が手取川付近に到着したとき、連日の雨で川は激しく増水していました。
柴田勝家は「信長様の命である。増水していようが川を渡り、上杉を討つべし!」と強硬な姿勢を見せ
羽柴秀吉は「この雨で増水した川を渡るのは危険すぎる。一度引いて好機を待つべき」と慎重論を唱えました。
この意見の相違から、勝家は秀吉を「臆病者」と罵り、二人の意見は決定的に決裂。秀吉は、信長の許可なく勝手に戦線を離脱して近江(長浜)へ帰ってしまいました。
・雨がもたらした織田軍の悲劇
秀吉が去った後、勝家ら織田軍は増水した手取川を渡りましたが、そこへ上杉謙信の軍勢が襲いかかりました。
背後に濁流、前に最強上杉軍。織田軍は逃げ場を失い、多くの兵が激流に飲み込まれて溺死するという、織田信長の歴史の中でも稀に見る大敗を喫しました。
当時の落首(風刺詩)では、その様子がこう揶揄されています。
「上杉に 逢うては織田も 手取川
はねる十二に 逃げるとが(逃げると知れ)」
(※手取川と、織田軍が「手も足も出ずに逃げ出した」ことがかかっています)
1. 出自不明からのスピード出世
1510年に生まれるも前半生は謎に包まれています。細川氏や三好氏に仕え、「右筆」などの事務官僚として頭角を現しました。能力を認められると軍事指揮権も与えられ、大和国の平定を任されるまでになりました。
2. 先進的な城郭建築
城造りの名手であり、大和国に信貴山城や多聞山城を築城しました。特に多聞山城は先進的な建築スタイルをいち早く取り入れ、後の織田信長の安土城築城にも大きな影響を与えたと言われています。
3. 織田信長への服属と2度の離反
1568年に織田信長が上洛してくると、久秀はいち早く降伏し、お宝である茶器「九十九髪茄子」を献上して臣下となりました。その後、信長を2度裏切ります。
1回目(14代将軍・足利義昭の信長包囲網に呼応):武田信玄らに同調して裏切るも、信玄の病死などにより失敗し、信長に降伏。
2回目(石山本願寺攻めからの離脱):上杉謙信の南下に合わせて再び信長に背き、信貴山城に籠城。信長は「平蜘蛛の茶釜」を引き渡せば許すと交渉しましたが、久秀はこれを拒絶して城に火を放ち、68歳で自害しました。
本物が知られていないからこそ、人々の想像力を掻き立て、語り継がれる名器「平蜘蛛」。その言い伝えを3つご紹介いたします。
1.爆散・粉砕説
久秀が「平蜘蛛の釜を粉々に砕いた」、あるいは「火薬を詰めて自分と一緒に爆破した」という最期。
久秀は「自分の首と平蜘蛛を同時に信長に渡すことはない」と言い放ち、信長が執着したその価値を、自分とともに消滅させることを選びました。
この説は後世の創作とも言われています。
2. 「実は本物は生き残っていた?」という偽物説
久秀が砕いたのは偽物で、本物は柳生家に託されていたという説もあります。
柳生家の記録(『玉栄拾遺』)によれば、久秀は親交のあった柳生松吟庵(柳生宗厳の弟とも)に本物を密かに譲っていたとされています。
「自分は死ぬが、本物はこの世に残し、価値がわかる者に預ける」という、茶人としての執念を感じさせるエピソードです。
3. 「焼け跡から出土した」という奇跡説
落城した信貴山城の跡地を後年掘り起こした際、焼け跡から平蜘蛛が見つかり、信長の手に渡ったという伝承もあります。
浜松市美術館などが所蔵する「古天明平蜘蛛釜」は、この出土品の流れを汲むものと言われています。もしこれが本物なら、信長は結局、久秀の死後にその遺品を手に入れたことになります。

