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宇野千代の恋人|今東光『ブラッサム』左良太モデル

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2026年朝ドラ『ブラッサム』

こちらでは、北野秀気さん演じる

左良太(ひだり りょうた)の実在モデル

今 東光(こん とうこう)さん

についてご紹介します。

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今東光とは

今東光とは

今 東光(こん とうこう)
今 東光は、日本の小説家、天台宗の僧侶(大僧正)、そして参議院議員としてマルチに活躍した昭和の知識人です。
大正期に新感覚派の作家としてしながらも仏門に入り、戦後に作家として奇跡的な復活を遂げ直木賞を受賞。テレビや雑誌では「毒舌和尚」の愛称で親輩から広く親しまれました。

基本情報と主な経歴

【生没年】
1898年(明治31年)3月26日〜
1977年(昭和52年)9月19日(享年79歳)

【出身地】
神奈川県横浜市(津軽藩士の家系)
父(船長)の転勤で幼少期を小樽・函館・横浜・大阪と転々とし、10歳から神戸御影で育つ。

【肩書】
小説家、天台宗大僧正、中尊寺貫主、参議院議員

【受賞歴】
第36回直木賞(1956年度『お吟さま』)

【親族】
父:武平(船長・菜食主義)
母:綾
弟:今日出海(小説家・初代文化庁長官)

【結婚】
関東大震災の際に一緒に逃げ歩いた、元帝国劇場の既婚女優・草間フミ子と結婚。戦時中に離婚。
蜂谷きよ(蜂谷晃之助の二女)と1946年に再婚。

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今東光|生涯の4つの顔

今東光さんは、4つの違う分野でそれぞれ一流になった多才さで有名です。

直木賞作家

若い頃から文学に親しみ、川端康成らと共に第六次『新思潮』や『文芸時代』を創刊し、「新感覚派」の作家として文壇デビューしました。
一度は出家により文壇を離れますが、戦後に大阪府八尾市の天台院住職となったことを機に執筆を再開。

1956年に千利休の娘を描いた小説『お吟さま』で第36回直木賞を受賞し、流行作家として奇跡のカムバックを果たしました。

天台宗の大僧正

中学を牧師の娘と交際したことなどから諭旨退学に、転校先でも文学少女と恋愛し退校処分となったおませな今東光さん。
関東大震災をともに逃げた既婚女優と結婚するなどしてきましたが、29歳頃、芥川龍之介が自殺した影響もあり32歳の時に比叡山延暦寺にて出家得度します(法名は春聴)。

のちに大阪の天台院住職、大阪・貝塚の水間寺貫主を経て、1965年には岩手県平泉にある名刹・中尊寺の貫主に就任しました。
中尊寺では金色堂の昭和大修理・再建の立役者として尽力し、最終的には天台宗の最高位である「大僧正」にまでのぼりつめました。

テレビタレント

週刊誌の人生相談やテレビ番組にも数多く出演しました。
酒やタバコを好み、べらんめえ調の強烈な毒舌で世相や相談者を一刀両断する破天荒なスタイルが、「型破りな名僧」として愛されました。

政治家

1968年の第8回参議院議員通常選挙に自民党から全国区で立候補し、上位当選を果たして1期(〜1971年辞職)にわたり参議院議員を務めました。

また、後進の面倒もよく見ており、作家・僧侶だった瀬戸内寂聴が出家する際の「師匠」となったことでも知られています。

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今東光と宇野千代の関係

今東光さんと宇野千代さんとの関係についてご紹介いたします。

今東光と宇野千代は恋人

私はね、今東光はね、若い時恋人だったんですよね。それだからよく性質を知っているけれども、あれは乱暴な男です(笑)。
(引用『わたしの宇野千代』瀬戸内寂聴)

と宇野千代さん自身が告白しておられます。

芥川龍之介「葱」

芥川龍之介が宇野千代と今東光をモデルに書いた短編「葱」のなかに当時の二人の様子を窺い知ることができます。

髪結いの二階に住む「お君きみ」は「神田神保町辺のあるカッフェ」でアルバイトをしています。
アルバイトが終わるまでお君を待つ無名の芸術家「田中君」。
二人は手をつなぎ帰路につきます。
ところが、その途中、お君が八百屋で葱を買い帰っていくのは、家で待つ「始はじめ」のもとでした。

「お君きみ」は宇野千代さん、「田中君」は今東光さん、「始はじめ」は宇野千代さんの2人めの夫藤村忠さんがモデルとされています。
芥川龍之介の目から見ても三人が印象的な関係性だったことがわかります。

交際時期

二人が交際していたのは、宇野千代さんがレストラン「燕楽軒」でウェイトレスしていた1917年(大正6年)頃。

今東光さんは19歳、宇野千代さんは藤村忠さんと結婚前の20歳頃です。

二人はまだ何者でもなかった若き文学青年・文学少女として知り合い、憧れの花形作家であった芥川龍之介の自宅(文学サロン)へ一緒に通うなど、青春時代を共有していました。

この頃のことを、今東光さんは

「毎日毎日、夕方燕楽軒の帰りのお千代さんを迎えにいって、前の東大の赤門をくぐって銀杏並木の下を往ったり来たり何十回もする。」
「しかし世の中って面白いよなあ、その頃、俺とお千代さんの間のメッセンジャーボーイの役をかって出てくれ、いつも連絡に走ってくれていたのが東郷青児なんだからなあ」

と回想しています。
当時画家や作家を目指していた今東光さんの弟分だった東郷青児さんが、後に宇野千代さんのパートナーとなるのは、不思議な巡り合わせですね。

宇野千代の語る今東光

この頃の宇野千代さんは竹下夢二の美人画に似ており、とてもモテたそうですが、
今東光さんも宇野千代さんいわく

「若い時は、そりゃ美男子でしたよ。とてもいい男でした。色が白くって、やせてて、髪が黒々して」

「当時燕楽軒へ来ていた人々の中でも、坊っちゃん坊っちゃんした上品さと、きれいさでは、今東光が一番でした」

と、瀬戸内寂聴さんを驚かせています。

後に今東光さんの弟・今日出海さんが「見詰めずにはいられぬ美人」「本郷のクイン(女王)」と振り返るほど文学青年たちの憧れの的だった宇野千代さんとも、お似合いだったのかもしれません。

 

【参考文献】
「友鏡ー宇野千代の巻」今東光
「葱」芥川龍之介
『わたしの宇野千代』瀬戸内寂聴
『生きて行く私』宇野千代

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