出雲で結婚した夏の日から3ヶ月。
1891年11月
小泉八雲さんは熊本第五高等学校へ転勤になりました。
熊本での月給は、松江時代の倍。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
妻・稲垣セツ
養父・稲垣金十郎
養母・稲垣トミ
養祖父・稲垣万右衛門
女中・お米
女中・お梅
車夫
松(松江の西洋料理店から引き抜いた料理人)
家族に加え、女中など使用人を抱えて大所帯となりました。
また、親戚など一時的な居候も受け入れており、賑やかだったようです。
こちらでは小泉家の同居家族の変遷と3人の書生さんについてご紹介いたします。
小泉八雲・セツ夫妻|同居家族の変遷
まずは、小泉家の居住地ごとの同居メンバーを、明らかになっている範囲で一覧表にしてみました。
| 場所 | 時期 | 家族 | 女中 | 書生 |
| 松江 | 〜 1891年 |
八雲 セツ |
八百(1891) ↓ お米(1891〜) |
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| 熊本 | 1891年 〜 1894年 |
八雲 セツ 養父・金十郎 養母・トミ 養祖父・万右衛門 長男・一雄(1893生) |
お米 お梅(1891〜) |
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| 神戸 | 1894年 〜 1896年 |
八雲 セツ 養父・金十郎 養母・トミ 長男・一雄 (万右衛門、1894松江へ帰る。1898没) |
お米 お梅 |
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| 牛込
|
1896年 〜 1902年 |
八雲 セツ 養父・金十郎(1900没) 養母・トミ 長男・一雄 次男・巖(1897生) 三男・清(1899生) |
お米(1900嫁) お梅(1899嫁) おろく(1896〜1899嫁) ↓ お常(1899〜) お花(1899〜) お咲(1901〜) |
・新美資雄(1896〜1899) ↓ ・新美資良(1899〜) ・玉木光栄(1899〜) |
| 西大久保 | 1902年 〜 |
八雲(1904没) セツ(1932没) 養母・トミ(1912没) 長男一雄 次男・巖 三男・清 長女・寿々子(1903生) |
お常 お花 お咲 |
・戸川秋骨(間借り人) |
小泉八雲の書生一覧
小泉家には、書生部屋があり、書生たちが相部屋で暮らしていました。
| 名前 | 期間 | エピソード |
| 新美資雄 (にいみよりお) |
牛込
1896(明治29年) |
東京高等商船学校生。 1900年12月 乗船していた練習船「月島丸」が沈没し亡くなる。 |
| 新美資良 | 牛込 1899年(明治32年) 〜 |
新美資雄の弟。 兄と入れ替わりで書生部屋に入居。 秀才。 |
| 玉木光栄 (たまきあきひで) |
牛込 1899年(明治32年) 〜 |
小泉セツさんの実母・小泉チエさんの兄の孫。 13歳から書生に。 一雄さんと7歳違いで兄貴分的な存在。 |
小泉八雲の書生たち|新美資雄・新美資良・玉木光栄
新美資雄

新美資雄
静岡の士族の出で、東京高等商船学校に通う学生だった新美資雄さんは、
1896年、一家が東京牛込に引っ越してきてすぐ、女中のおせいさんと同時期に書生として家族に加わりました。
1899年3月に商船学校を卒業すると、弟の新美資良さんが入れ替わりで小泉家に迎え入れられます。
翌1900年12月
新美資雄さんの乗船していた練習船「月島丸」が沈没。
新美資雄さんは命を落とし、小泉家は深い悲しみに包まれました。
小泉八雲さんの『霊の日本』所収の「蚕」という作品には「Niimi」という苗字が使われています。
新美資良

新美資良さんは、新美資雄さんの弟です。
1899年(明治32年)4月
兄に連れられて小泉家を訪れた新美資良さんは、一家に快く受け入れられました。
彼は第一高等学校に入るほどの秀才で、その実直な人柄を愛したハーンから洋書関係の使いを委ねられ、また、翌年の暮れには、兄の乗る練習船月島丸の沈没で家中の悲嘆の中心になりもした。
(引用:『八雲の妻 小泉セツの生涯』長谷川洋二)
玉木光栄

玉木光栄さんは、小泉セツさんの従姉の息子で「あきさん」と呼ばれていました。
玉木家は、小泉セツさんの実母・小泉チエさんと繋がりがあります。
玉木光栄さんは、チエさんの長兄「塩見小兵衛」さんの孫。
光栄さんの姉・光さんの夫(片寄伴之助さん)は弁護士で、セツさんの依頼を受けて大阪で小泉チエさんを保護していました。
光栄さん&光さんの母親である煉さんは、セツさんが最も仲の良かった従姉。
煉さんの義姉・玉木くにさんの娘婿が、法学者・梅謙次郎さんで、八雲さんが帝大を解雇された際に相談に乗るなど深い関わりがありました。
1899年(明治32年)13歳で書生となった玉木光栄さんは、小泉家の長男・一雄さんの兄のような存在となります。
ハーンとセツから愛され、七歳年下の一雄にとっての兄貴分となった。後に東京高等農学校に進むだけあって無類の動物好きで、一雄と共謀して、犬や梟を飼う許しの獲得に成功している。
(引用:『八雲の妻 小泉セツの生涯』長谷川洋二)
小泉八雲の書生たち【番外編】|小泉藤三郎
小泉藤三郎(1899年逗留)

小泉藤三郎さんはセツさんの実の弟で、小泉家の本家を継いだ人物です。
清の誕生から半年を経た七月、セツの実弟の藤三郎が姿を現す。セツは「絶交」していたにもかかわらず、渋々とーハーンに伏せてー書生部屋に寝起きさせた。
(引用:『八雲の妻 小泉セツの生涯』長谷川洋二)
1899年7月、突然牛込の屋敷に顔を出したセツさんの弟・小泉藤三郎さん。
先祖代々の墓を売ってしまったことで、セツさん夫婦から絶交されていたのですが、セツさんや女中、書生に匿われ、20日間書生部屋に滞在しました。
彼は別にこれと定まった目的があって上京したのではない。まず東京見物でもさせて貰って、それから何処か楽で割のよい就職口があったら世話してくれ、もしなければ東京が飽きるまでこゝに無条件で置いて貰いたい。飽きなければまず反永久的に……とはなはだ虫の好い頼みであった。
(引用:『父小泉八雲』小泉一雄)
セツさんの養父・金十郎さんが使っていた机を書生部屋に持ち込み、鏡や化粧品を並べた藤三郎さんは、壁に俳優や芸姑さんの写真を貼って過ごします。
そして時を構わず突如スッ頓狂な声色を使っては見得を切った。丁度その頃学期試験中にあった真面目な書生の新美君の如きは、この異端者の様な新しき闖入者のために少なからず閉口したらしかった。
(引用:『父小泉八雲』小泉一雄)
書生と言っても玉木光栄君は親戚なので彼のことを藤さんとよんだ。私も同じく藤さんとよんだ。律儀な新美君だけは彼を御舎弟と称した。ある時藤さんは私に「私が事を藤さんなどゝ呼ぶだないヨ。叔父さんといわにゃいかん」と註文を出した。
(引用:『父小泉八雲』小泉一雄)
”私”とは、八雲さんとセツさんの長男・一雄さん(当時6歳)のこと。
隠されていることに不満を持った藤三郎さんは、わざと小泉八雲さんの近くに来たり咳払いしたり詩吟を歌ったりと存在をアピールし始めます。
「あれ誰ですか?」と八雲さん。
「新美くんの友達です」などと誤魔化すセツさん。
八雲さんを怒らせたくないセツさんの気持ちとは裏腹に、藤三郎さんはある日八雲さんの前に姿を現し、挨拶をしました。
小禽屋をどうしたのかと尋ねる八雲さんに、藤三郎さんは割に合わないと答えます。
八雲さんから、俳優でも落語家でも何でもよいから努力して一流の者となるよう言われた藤三郎さんが口答えすると、八雲さんは顔面蒼白になり
「あなた武士の子です。先祖の墓食べるの鬼となりましょうよりは、なぜ墓の前で腹切りしませんでしたか? 日本人ないの日本人は私の親類でありません。さよなら、直ぐ帰りなさい!」
(引用『父小泉八雲』小泉一雄)
先祖の墓を売ったことを怒りました。
藤三郎さんは、その日のうちに家を出ていき、その後一度も顔を見せなかったということです。
【参考文献】
『父小泉八雲』小泉一雄:小山書店
『八雲の妻 小泉セツの生涯』長谷川洋二:潮出版社
『思ひ出の記』小泉節子:ハーベスト出版


