朝ドラ『風、薫る』
第24週(116話、117話、118話、119話、120話)
「環」
あらすじをご紹介いたします。
予習をして『風、薫る』をもっと深く楽しみたい方
『風、薫る』を観る時間のない方
あらすじだけ知りたい方
そんなみなさまのお役に立てましたら、幸いです。
朝ドラ『風、薫る』第24週(116話、117話、118話、119話、120話)放送日

朝ドラ『風、薫る』第24週(116~120話)放送日は
2026年9月7日(月)〜2026年9月11日(金)
です。
朝ドラ『風、薫る』第24週(116話)あらすじ

シマケンとの再会
久しぶりにシマケンとの再会を果たしたりんと環。
ふたたび上京し、甥と暮らすシマケンは、今は郵便配達夫として生まれて初めて身を粉にして働いていると話します。
卒業後の進路という壁にぶつかり悩んでいた環にとって、目の前に現れたシマケンの存在は、停滞していた心にそっと新しい風を吹き込む大きなものでした。
小林清親に影響された自筆の絵を見せる環。

画家を目指してるの?

絵を描いて生きていけるわけないし。
これはただの、私の好きなこと。
朝ドラ『風、薫る』第24週(117話)あらすじ
亀吉
そんなある日のこと、恵風看護婦会に一人の怪しい男が姿を現します。
それは、りんの前夫であり、環の父親でもある奥田亀吉でした。
亀吉はりんが不在と知り、一度立ち去ります。
母の看護
セツに文字を教えながら絵への気持ちを抱えたまま、環は、母・りんが立つ派出看護の現場を見学するため、男爵家へ同行します。
環の目に飛び込んできたのは、リウマチに苦しむ患者が自分自身で食べられるよう手伝いをする母。夜中の介助で懸命に痛さを和らげようとする母。人の命と真摯に向き合う母の、気高くたくましい姿でした。
医者ではない自分は病気は治せないが、患者の気持ちを大切にするのだとりんは語ります。
朝ドラ『風、薫る』第24週(118話)あらすじ
父との再会
環が迎えに来た直美と帰路につくその時。
環は、父・亀吉と思いがけず再会します。
亀吉を追い返そうとする直美でしたが、亀吉にはどうしても環に渡したいものがありました。
それは、環の亡き祖母からの手紙だったのです。
祖母からの手紙
ひらがなで書かれたその手紙は、文字を知らない祖母が自分で調べて書いたものでした。
父と環
手紙を読んだ環は、父と話すことに。
りんとの離婚理由を聞かれた亀吉は、環を女学校に入れることに反対した自分が原因だと打ち明けます。
環が将来について悩んでいることを察した亀吉。

おめえの母ちゃんは自分勝手な女だ。
気にすんな。
母さん見習ってわがままに生きろよ。
看護婦が嫌なら嫁ぎ先探してやっから。
朝ドラ『風、薫る』第24週(119話)あらすじ
亀吉の言葉
環は「シマケンさんの家を訪ねる」という置き手紙を一枚残し、姿を消してしまうのでした。
突然の出来事に慌てふためくりん。
そこへ追い打ちをかけるように亀吉がやってきます。
女学校に入っても環を悩ませただけだと言う亀吉。

ばあさん言ってたわ。
環のこれからが楽しみだ。
うちの孫は日本一の看護婦の娘だって。
患者と同じくらい環のことみてやれ。
環とシマケン
その頃、無事にシマケンと再会を果たしていた環は、書き溜めていた絵をシマケンに見せていました。

小説を頑張ったこと後悔しているの?

後悔はない。
あの時間がなかったら僕はいつまでもどこにも行けなかった。
やりきらないと前には進めない。

私も絵が描きたい。
これまで誰にも言えずに抱え込んできた将来の迷いや切実な悩みを、静かに打ち明けていました。
朝ドラ『風、薫る』第24週(120話)あらすじ
環とりん
環は絵描きになりたいという夢をりんに打ち明けます。
環が描きためていた絵を見て、「絵を描いて生きていきたい」という気持ちを聞いたりん。
りんが働く姿を見て、今の自分の中途半端な気持ちではできないと打ち明け、せっかく女学校に入れてくれたのに、と謝る環。
りんは、

絵を描きたいなら結婚して家のことやりながらでもできるじゃない。
結婚はしないつもり?
結婚しないなら、どうやって仕事にするのかしっかり考えるように、釘を刺すことも忘れません。
環の就職
環はシマケンに編集長を紹介してもらい、描いて描いて、新聞社に就職を決めました。
お祝いに皆でビーフシチューを食べた後、亡き両親に供える蒸し麺麭を注文しているりんの前に真風が現れ、言いました。

また、新しい風が吹く頃かな?
母・大関和さんと共に過ごす時間は決して多くはありませんでしたが、心さんにとって母は、自立して社会に貢献する憧れの象徴でした。
成長した心さんは、桜井女学校の後身である女子学院を卒業。
母と同じ職業である看護婦を志し、大山捨松さんが鹿鳴館でのチャリティーで設立資金を作った「慈恵看護婦教育所」に入学します。
看護学生として、病に苦しむ人々に寄り添う未来を夢見て、熱心に勉学に励む日々を送っていました。
1900年(明治33年)
ある日、講義を受けていた心さんは、身体の異変を感じます。
最初は「少し長引く風邪」だと思って受診した病院で下された診断は、当時不治の病と恐れられていた「結核」でした。
宣告からわずか4ヶ月。これから誰かの命を救おうとしていた心さんは、20歳という若さで帰らぬ人となりました。
大関和の悲しみ
大関和さんの悲嘆は、筆舌に尽くしがたいものでした。
心の死からひと月ほど経った頃、ふさぎ込んでいた和が、突然俥に乗り込み、一番町協会へ向かったことがあった。なぜ心が二〇歳の若さで逝かなければならないのか、なぜ熱心に信仰してきた自分がこんな目に会わなければならないのか、この世には神も仏もいないのか、和は正久にいくつもの疑問を投げつけ、食ってかかった。(中略)
自分は心の髪をすいてやったことがあっただろうか。着物を選んでやったこともなければ、一日の出来事をゆっくりと聞いてやったこともなかった。和が自宅から看護学校の寮へ戻るときの、あるいは東京から高田へ発つときの心の寂しそうな顔が浮かび、あふれる後悔を抑えることができない。自分は一生、この後悔を抱えて生きていくに違いない。
(引用『明治のナイチンゲール 大関和物語』田中ひかる)
母・和さんは、娘と共に過ごせなかった歳月を激しく後悔し、心さんを育ててきた祖母の大関哲さんも、心さんの死から一気に物忘れがひどくなっていきました。

