2025年大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』
第40話
「尽きせぬは欲の泉」
あらすじを紹介いたします。
順次あらすじを公開していきますので、お楽しみいただけますと幸いです。
※ネタバレ含みます
大河ドラマ『べらぼう』第40話 あらすじ

営業再開
身上半減の話題性からの繁盛も落ち着きました。
次のアイディアは「再印本(西院本)」。
版木が古くなり、摺られなくなった面白い本を、作り直して出そうと考えます。
滝沢瑣吉
蔦重は次なる新刊の執筆を依頼するため、鶴屋を伴い山東京伝こと北尾政演を訪ねます。
北尾政演の家、妻・菊から、滝沢瑣吉(さきち)を勧められます。

困っておるのなら書いてやっても良いぞ。
瑣吉を押し付けられ、手代として耕書堂に置くことにした蔦重。
ですが、横柄な変わり者の瑣吉(25歳)は、勝川春章の連れてきたこれまた変わり者の弟子勝川春朗(32歳)と喧嘩になってしまいます。

仲が悪けりゃ、競い合うじゃねえですか。
飛び切りでけえ花咲かすかもしれませんぜ。
言葉通り、のちに滝沢瑣吉は曲亭馬琴に、勝川春朗は葛飾北斎へと成長していきます。
曲亭馬琴(滝沢馬琴)
本名:滝沢 興邦
『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』などを書いた作家。
父は、松平信成の同家用人。
幼い頃から文芸に秀でていた瑣吉は10歳で家督を継ぎ、主君に仕えますが、癇癪持ちの主に耐えかねて家族のもとに戻ります。
瑣吉自身も尊大な性格で、奉公が長続きせず、点々としていたと言われています。
1790年(寛政2年)24歳で山東京伝の弟子入りを志願しますが、断られます。
ですが、仲良くなって「京伝門人大栄山人」名義で黄表紙『尽用而二分狂言』刊行、戯作者デビュー。
翌年、山東京伝が手鎖の刑を受け執筆を控えているころ、洪水で家を失った瑣吉は、山東京伝の家の食客に。
1792年(寛政4年)3月、蔦重に見込まれて手代に。
商人に仕えることを恥じ、武士の名と身分を捨てて「瑣吉」と称しました。
改革の影響
蔦屋耕書堂の店頭に、狂歌絵本の新刊を並べることは、できませんでした。
大首絵
そんななか、蔦重は歌麿の描いたきよの絵を見て、ある案を思いつきます。
それは、女性の「大首絵」、つまりバストアップの絵。
蔦重は、瑣吉の案内で美人の看板娘を訪ね歩き、ていと次郎兵衛が盛り上がっている「相学(人相学)」を盛り込もうとひらめきます。
その案を歌麿に伝えるため、一路栃木に向かいます。
錦絵を出し、当代一の絵師になるよう説得する蔦重に歌麿は言いました。

私のためのように言いますけど、つまるとこ、金繰りに行き詰まっている蔦屋を救う当たりが欲しいってだけですよね。
あわよくば、私を売り出すことで蔦重ここにありってのを見せつけたいってのも。
そこで蔦重は、歌麿の描いたきよの絵に「清らかな相」という人相学の付箋をつけてみせました。
「人相学」を絵にするには、女性の性質まで描き出せる歌麿が適任ですが、

もう女は描かないって決めてんで。
と、生前、自分だけを見てほしいと言っていたきよを裏切りたくないと話す歌麿。

お前の絵が好きな奴は、お前が描けなくなるようなことは決して望まねえ。
これは間違いなく言い切れる。
ここはお前の心一つで、お前が俺とこれをやりてえかやりたくねえか、それだけで決めてくれ。
この言葉で歌麿は江戸に戻り、大首絵の制作を始めました。
リアルながらも女性の美しさを追求し、小道具を使っていく⋯2人でアイディアを出し合いますが、歌麿は蔦重のスキンシップを拒みます。
政演、引退宣言撤回
一方、「真人間に戻る」と引退を宣言し、煙草入れの店を開業しようとしている北尾政演は、資金集めのため、書画会の宴を開きます。
宴で浴びせられる「モテのスコール。
政演の歌で盛り上がる宴。
政演は、ファン達に乗せられ引退宣言を撤回し、
まんまと蔦重、鶴屋、菊の思う壺となりました。
大河ドラマ『べらぼう』第40話 キャスト
10/19「尽きせぬは欲の泉」
語り(九郎助稲荷)|綾瀬はるか
蔦屋重三郎|横浜流星
喜多川歌麿|染谷将太
てい|橋本愛
長谷川平蔵|中村隼人
みの吉|中川翼
勝川春章|前野朋哉
勝川春朗(のちの葛飾北斎)|くっきー!NEW!
松平信明|福山翔大
水野為長|園田祥太
村田屋治郎兵衛|松田洋治
釜屋伊兵衛|益子卓郎
喜兵衛|福田薫(U字工事)NEW!
生臭坊主|江口直人(どぶろっく)NEW!
難波屋|コウメ太夫NEW!
きた|椿NEW!
ひさ|汐見まといNEW!
太軸|荒井雄斗NEW!
菊|望海風斗
つよ|高岡早紀
次郎兵衛|中村蒼
北尾重政|橋本淳
滝沢瑣吉(のちの曲亭馬琴)|津田健次郎NEW!
宿屋飯盛|又吉直樹
北尾政演|古川雄大
鶴屋喜右衛門|風間俊介
松平定信|井上祐貴
本多忠籌|矢島健一
一橋治済|生田斗真
須原屋市兵衛|里見浩太朗

