2025年大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』
最終回第48話「蔦重栄華乃夢噺」
あらすじを紹介いたします。
お楽しみいただけますと幸いです。
※ネタバレ含みます
大河ドラマ『べらぼう』第48話 あらすじ

チーム写楽解散
店を再開した蔦重は、写楽絵の出版を続けますが、ブームは続かず打ち切りとなります。
たくさんの絵師や戯作者がチームとなって作り上げた謎の絵師「東洲斎写楽」は、役割を終え、正体不明のまま世の中から姿を消しました。
チームの中心となった歌麿と蔦重も、互いに感謝の言葉を伝え合います。
それぞれの活躍
このチーム写楽のメンバーたちは、これ以降それぞれ活躍していきます。
蔦重もまた、国学者本居宣長の著書の販売や、十返舎一九、曲亭馬琴たち次世代の絵師・戯作者の育成に力を入れ、活躍し続けます。
陶朱公
吉原が苦境と聞けば大金を費やして救おうとする蔦重の姿に、妻のていは、以前(25話)語った「陶朱公」の姿を重ね見ます。
別名:范蠡(はんれい)
中国春秋時代の越の忠臣
勾践(こうせん)に仕え、呉を滅ぼすという功績を挙げた後、官を退き、山東の陶の地に住んで「朱公」と名乗ったことから、陶朱公と呼ばれるようになりました。
悲願が達成されて有頂天になる勾践を見て、陶朱公は密かに越を脱出。
そして斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得ます。
その名を聞いた斉は陶朱公を宰相にしたいと迎えに来ますが、陶朱公は名が上がり過ぎるのは不幸の元だと財産を全て他人に分け与えて去ったという伝説が残されています。
その商才は、後世に「陶朱の富」として知られ、富を築くための教訓として語り継がれています。
最期
そんな日々のなか、蔦重が突然病に倒れます。
江戸時代は重病であった脚気を患った蔦重のもとに、これまで縁のあった人々が次々と駆けつけてきます。
病をおして北尾政演や北尾重政、大田南畝ら仲間たちと作品を世に出していく蔦重は、ある夜、不思議な夢を見ます。
蔦重の最期が近づいてきました。
大河ドラマ『べらぼう』最終回第48話 あらすじの向こう側
蔦重の臨終
蔦重は江戸わずらいと呼ばれていた脚気にかかっており
1797年5月、48歳でこの世を去ります 。
臨終の際
「自分は今日の午の刻 (正午)に死ぬ」
と予告して妻に別れの言葉を述べますが、昼になっても生きており
「命の幕引きを告げる拍子木は鳴らないな」
と笑いながら話したのが最後の言葉となり、夕方に息を引き取ったそうです。
もしかするとこのエピソードも描かれるかもしれません。
耕書堂の後継者「勇助」
史実では、耕書堂の番頭が蔦重の跡を継いでいます。
順当に考えると、みの吉の役割でしょうか?
ただ、実際の後継者の名は「勇助」。
「勇助」は、耕書堂の店舗だけでなく、名跡も継ぎ、「二代目蔦屋重三郎」および「二代目蔦唐丸」を名乗りました。
その後も、山東京伝や曲亭馬琴、葛飾北斎らを起用して版元稼業を続け、天保の大飢饉の始まった1833年に亡くなるまで36年間、店を守ります。
北斎は、初代蔦重よりも二代目と関わりが深かったと見られています。
初代亡き後「蔦屋重三郎」は五代目まで続きますが、初代ほどのプロデュースの冴えは見られず、少しずつ家運が傾いていきました。
18話『べらぼう』で「勇助」という戸籍をもらい、
43話で「俺をあの店の跡取りにしてくれよ。あの店俺にくれよ。」と蔦重に迫った歌麿は、伏線を回収できるのでしょうか?
なお、史実では二代目蔦屋重三郎こと勇助が亡くなったのが1833年、喜多川歌麿は1806年と、没年が違います。

