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【ネタバレ】2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』第35話あらすじ

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こちらのページでは、

2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』の第35話のあらすじ

をご紹介しています。

順次あらすじを公開していきますので、お楽しみいただけると幸いです。

 

※ネタバレ含みます

※各話も公開中

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大河ドラマ『光る君へ』第35話 あらすじ

御嶽詣で

藤原道長(柄本佑)は、娘である中宮・藤原彰子(見上愛)懐妊祈願のため金峯山に出発しました。

命がけの難行です。
まひろ(吉高由里子)が道長の無事を祈っている間、藤原伊周(三浦翔平)が柄の悪い武者から道長一行の様子を聞き、落ち合う日を決めていました。

武者たちと入れ違いに兄・伊周のところへやってきた藤原隆家(竜星涼)に伊周は

何も聞くな

と言います。
隆家は酒を持参していましたが、伊周は、妹・藤原定子(高畑充希)が亡くなってから酒を飲んでいない、一人で考えたいと言います。

大雨の中、道長たちは険しい山道を進んでいました。
伊周と武者たちは先回りをしています。

雨は続きます。
途中、寺で休んでいた道長は食欲もありません。
「いざとなれば父を背負っていく」と胸を張る嫡男・藤原頼通。
そんな頼通を源俊賢(本田大輔)は手放しで褒めながらも、
「妹・源明子(瀧内公美)の子・頼雅もしっかり育った」と喜びます。
道長は、嫡妻・源倫子(黒木華)との子・頼通と、頼雅を競わせる明子は自分の心が分かっていないと口に出します。

 

情熱は恐ろしい

藤壺のまひろの局(小部屋)では一条天皇(塩野瑛久)が物語の話をしています。

帝は、

生き霊となり白い夕顔の咲く家の女を死に追いやった六条御息所が恐ろしい

というのですが、まひろは

六条の気持ちもわかりまする

と言うと、さらに帝は、中宮懐妊祈願のためとはいえ、命がけの御嶽詣でまでする道長の気持ちについて聞きます。

まひろは

これは親心であり、命がけでしてしまうのが人というものでございます

と答えるのですが、帝は道長からのプレッシャーだと感じています。

 

道長VS伊周

道長たちは さらに険しい道を進みます。
あわやという危機も乗り越えた9日目。
ついに金峯山に到着します。
様々な仏事を終え、最後に自ら書き写した経典を経塚に埋めました。

伊周と武者たちは、物陰に隠れ谷底の一本道を通る道長一行を待ち伏せしています。
武者が弓を構え、矢を放とうとした瞬間、馬に乗った男が道長の前に姿を現します。

 

女は恐ろしい

都に戻った道長は、金峯山の護符を彰子に届けました。
まひろから彰子と帝の間柄に変化がないと聞いた道長は、新たに書き上がった物語を読み始めます。

逃げた小鳥を追った出会いの場面に、自分とまひろの出来事を思い出す道長。
不義密通の末に身ごもった藤壺の帖を読むと、どのような心づもりで書いたのかと問います。

わが身にも起きたことにございます
ひとたび物語となってしまえば、我が身に起こったことなぞ些細なことになってしまうのでございます

身に起きたことは全て物語の種だというまひろに

恐ろしい女だな

と口走る道長。
まひろと道長の心には石山寺での一晩が蘇ってきます。

 

勧め上手、まひろ

あかねのもとをまひろ が訪ねました。
あかねの恋人・敦道親王が27歳で世を去り、嘆き悲しむあかねにまひろは

そのお心をお書きください

と勧めます。
あかねがとっさに読んだ歌の素晴らしさにまひろは改めてすごい才能だと感じ入ります。

中宮・彰子と女房たち皆でまひろが書いた「光る君」の物語を読んでいます。
彰子は光る君が引き取った若紫はまるで自分のようだと意外な反応を見せます。

この娘はこれからどうなるのであろうか

中宮様は どうなれば良いとお思いでございますか?

光る君の妻になるのが良い

一条天皇への一途な思いを感じ取ったまひろは

中宮様のその息づくお心のうちを帝にお伝えなされませ

と大胆な助言をします。

ついに

そこに一条天皇が訪れました。

お上!
お慕い申し上げております!

彰子は勇気を出して言葉を出しますが、思いが溢れて涙がこぼれてしまいます。
そんな彰子を置き、帝は去っていきました。

ですが後日、帝から

今宵、藤壺に参る

との伝言が届きます。

その夜、一条天皇は自ら近づき彰子を抱き寄せ、初めて結ばれるのでした。

1007年(寛弘4年)暮れのことでした。

 

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