こちらのページでは、
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』の第36話のあらすじ
をご紹介しています。
順次あらすじを公開していきますので、お楽しみいただけると幸いです。
※ネタバレ含みます
※各話あらすじ公開中
第 1回 1月 7日 |約束の月
第 2回 1月14日 |めぐりあい
第 3回 1月21日 |謎の男
第 4回 1月28日 |五節の舞姫
第 5回 2月 4日 |告白
第 6回 2月11日 |二人の才女
第 7回 2月18日 |おかしきことこそ
第 8回 2月25日 |招かれざる者
第 9回 3月 3日 |遠くの国
第10回 3月10日|月夜の陰謀
第11回 3月17日 |まどう心
第12回 3月24日 |思いの果て
第13回 3月31日 |進むべき道
第14回 4月 7日 |星落ちてなお
第15回 4月14日 |おごれる者たち
第16回 4月21日 |華の影
第17回 4月28日 |うつろい
第18回 5月 5日 |岐路
第19回 5月12日 |放たれた矢
第20回 5月19日 |望みの先に
第21回 5月26日 |旅立ち
第22回 6月 2日 |越前の出会い
第23回 6月 9日 |雪の舞うころ
第24回 6月16日 |忘れえぬ人
第25回 6月23日 |決意
第26回 6月30日 |いけにえの姫
第27回 7月14日 |宿縁の命
第28回 7月21日 |一帝二后
第29回 7月28日 |母として
第30回 8月 4日 |つながる言の葉
第31回 8月18日 |月の下で
第32回 8月25日 |誰がために書く
第33回 9月 1日 |式部誕生
第34回 9月 8日 |目覚め
第35回 9月15日 |中宮の涙
第36回 9月22日 |待ち望まれた日
第37回 9月29日 |波紋
第38回10月 6日|まぶしき闇
第39回10月13日|あらすじ
第40回10月20日|あらすじ
第41回10月27日|あらすじ
第42回11月 3日|あらすじ
大河ドラマ『光る君へ』第36話 あらすじ
1008年(寛永5年)初春。
藤原道長(柄本佑)の娘で中宮の藤原彰子(見上愛)がついに懐妊しました。
荷葉の香りも受け付けません。
道長は源倫子(黒木華)に急ぎ報告をします。
倫子は喜びを噛み締めています。
彰子はある日まひろを呼び出し、密かに漢籍を学びたいと頼みます。
それは漢籍の好きな一条天皇(塩野瑛久)を驚かせたいという女心からでした。
まひろは彰子に漢詩を教え、その意味を説きます。
政の頂に立つものが人々の心をつかむのは並大抵のことではありません
藤原伊周たちも、藤原の4人も東宮は誰になるか、それぞれ話していますが、道長はその話には乗りませんでした。
花山法皇(本郷奏多)の訃報が居貞親王のもとに届きます。
産まれる子供が男子でないことを願い、藤原道綱に彰子のことを逐一報告するように命じる居貞親王。
土御門邸。
人心好惡苦不常,
好生毛羽惡生瘡。
人の心の好悪はなはだ常ならず
好めば毛羽を生じ憎めば瘡を生ず
人の好き嫌いは変わりやすいものだと白居易の漢詩を教えるまひろに対して彰子は不安な心の内を打ち明けます。
私も、まもなく帝に瑕を探されるのであろうか?
瑕とは大切な宝なのでございますよ
瑕こそ人をその人たらしめるものにございますれば。
その時、2人の前へ道長が子供たちを連れて来て腰をおろしました。
土御門邸の廊下では、赤染衛門(凰稀かなめ)が、彰子の指南役をまひろに奪われて悔しくないか、と他の女房に問われます。
左大臣様と藤式部はどういう間柄なんでございましょう?
ただの主従ではありませんわよね?
ありえませぬ
藤壺でも左大臣様が藤式部の局にしばしばしばしばお立ち寄りになるようになって、毎度 ヒソヒソヒソヒソと。
大事なお話があったのでございましょう
ではこれで
赤染衛門の顔から笑みが消えました。
その廊下でまひろは、道長とすれ違い微笑みながら頭を下げています。
一方、定子の産んだ媄子内親王がわずか9歳でこの世を去りました。
ききょう(ファーストサマーウイカ)は、藤原伊周(三浦翔平)にお悔やみの言葉を述べに行きました。
そこでまひろが道長の指示で物語を書いたことを知ると、ききょうは、目を剥き、声を震わせて、伊周に訴えます。
その物語、私も読みとうございます
まひろは、局を訪れた道長から新たな相談を受けました。
中宮様のご出産の記録を作ってもらいたい
中宮様の晴れの場。
後に続く娘たちにも役立つように残したいのだ
承知つかまつりました
出産が近づくにつれて不安を抱える彰子から頼りにされるまひろは、女房たちに嫉妬されます。
母である源倫子には心配をかけたくない、まひろに傍にいてほしいと話す彰子。
いよいよ出産の時。
祈祷僧たちの様子。
もののけたちが乗り移った霊媒師の様子。
みな声が枯れ果てている様子。
邪気払いの米が撒かれる様子。
まひろは出産のすべてを記録します。
祈祷に加わる道綱。
その時、伊周は屋敷の暗い部屋で呪詛をしていましたが、
ついに皇子が産まれ、一同は道長にひれ伏しました。
満月を見ながらまひろが和歌を詠んでいます。
めづらしき光さしそふさかづきは もちながらこそ ちよもめぐらめ
意味を問う道長にまひろは答えます。
中宮様という月の光に皇子様という新しい光が加わった盃は、今宵の望月の素晴らしさそのままに、千代も巡り続けるでありましょう
良い歌だ
覚えておこう
月明かりが2人を包みます。
一条天皇は産まれたばかりの皇子・敦成に親王宣旨を下しました。
五十日の儀。
お食い初めの日。
「無礼講で」という道長の言葉でみな楽しく酒を飲んでいると、藤原公任がまひろに声をかけます。
この辺りに若紫はおいでかな?
ここには光る君のような殿御はおられませぬ。
ゆえに若紫もおりませぬ。
厳しく言い返すまひろ。
その様子に気付いた道長はまひろを手招きし、和歌を詠むよう言いました。
いかにいかがかぞへやるべき八千歳の あまり久しき君が御代をば
(今日は五十日の祝いですが、あまりに長い若宮のお歳を、どう数えることができましょうか)
道長は褒め、和歌を返します。
あしたづの よはひしあらば 君が代の 千年の数もかぞへとりてむ
(鶴のように千年の寿命があったら、若宮の千年の歳も数え、お見届できるでしょう)
あうんの呼吸の2人を見ていた源倫子から笑顔が消えました。
倫子がその場を立ち去ると、道長が追いかけます。
赤染衛門が2人の関係をまひろに問いただします。
『光る君へ紀行』第36回|土御門第跡(京都府京都市)
第36回の『光る君へ紀行』で紹介されたのは、源倫子と藤原道長が暮らしていた土御門第の跡です。
京都御苑の公園内の一角には、藤原道長と源倫子の屋敷・土御門殿(つちみかどどの)の跡地があります。
紫式部は、出産のために里帰りをした彰子に従い、この地を訪れました。紫式部の日記には、安産祈願の儀式の様子や道長が孫を慈しむ姿など、土御門殿での出来事が細かく記されています。
敦成(あつひら)親王の「五十日(いか)の儀(ぎ)」もこの地で行われました。 藤原公任が「この辺りに若紫はおいでですか?」と紫式部に尋ねたというエピソードは、『源氏物語』について記された最も古い記録であると考えられています。
今は穏やかな時が流れるこの地を中心に藤原氏は栄華を極めたのです。
右大臣、左大臣の位に就き、3代にわたる天皇のもとに娘を入内させるなど天皇家の外戚として権力を思いのままにふるった藤原道長。
栄華を極めた時に詠んだ
”この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば”
という歌はあまりにも有名です。
この歌が詠まれたのは、寛仁2年(1018年)10月16日。
土御門邸で催された月見の宴でのことでした。
長女彰子は一条天皇の中宮、次女妍子は三条天皇の中宮。そしてこの日は道長の三女威子が後一条天皇の中宮になった日です。
3人の娘を天皇に嫁がせた道長にとって、すべてを手に入れた万感の思いがあったのでしょう。
このあたりは当時いわゆる高級住宅街で、さぞ華やかな宴が開かれていたと思われますが、現在の土御門邸は、現在の京都御苑の界隈に駒札が立っているだけです。
京都御苑の中、仙洞・大宮御所の北側にあり、まひろ(紫式部)の家のあった廬山寺ととても近いことがおわかりいただけるかと思います。
住所:〒602-0881 京都府京都市上京区京都御苑