こちらのページでは、
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』の第39話のあらすじ
をご紹介しています。
順次あらすじを公開していきますので、お楽しみいただけると幸いです。
※ネタバレ含みます
※各話あらすじ公開中
第 1回 1月 7日 |約束の月
第 2回 1月14日 |めぐりあい
第 3回 1月21日 |謎の男
第 4回 1月28日 |五節の舞姫
第 5回 2月 4日 |告白
第 6回 2月11日 |二人の才女
第 7回 2月18日 |おかしきことこそ
第 8回 2月25日 |招かれざる者
第 9回 3月 3日 |遠くの国
第10回 3月10日|月夜の陰謀
第11回 3月17日 |まどう心
第12回 3月24日 |思いの果て
第13回 3月31日 |進むべき道
第14回 4月 7日 |星落ちてなお
第15回 4月14日 |おごれる者たち
第16回 4月21日 |華の影
第17回 4月28日 |うつろい
第18回 5月 5日 |岐路
第19回 5月12日 |放たれた矢
第20回 5月19日 |望みの先に
第21回 5月26日 |旅立ち
第22回 6月 2日 |越前の出会い
第23回 6月 9日 |雪の舞うころ
第24回 6月16日 |忘れえぬ人
第25回 6月23日 |決意
第26回 6月30日 |いけにえの姫
第27回 7月14日 |宿縁の命
第28回 7月21日 |一帝二后
第29回 7月28日 |母として
第30回 8月 4日 |つながる言の葉
第31回 8月18日 |月の下で
第32回 8月25日 |誰がために書く
第33回 9月 1日 |式部誕生
第34回 9月 8日 |目覚め
第35回 9月15日 |中宮の涙
第36回 9月22日 |待ち望まれた日
第37回 9月29日 |波紋
第38回10月 6日|まぶしき闇
第39回10月13日|あらすじ
第40回10月20日|あらすじ
第41回10月27日|あらすじ
第42回11月 3日|あらすじ
第43回11月10日|あらすじ
第44回11月17日|あらすじ
第45回11月24日|あらすじ
第46回12月 1日|あらすじ
第47回12月 8日|あらすじ
第48回最終話12月15日|あらすじ
大河ドラマ『光る君へ』第39話 あらすじ
権勢を極める道長
1009年(寛弘6年)11月。
藤原彰子(見上愛)は2人めとなる皇子・敦良(あつなが)親王を出産します。
土御門邸では、産養(うぶやしない:誕生3・5・7・9日めに催される出産祝いの宴)が行われ、多くの公卿たちが参じました。
ただ、右大臣・藤原顕光と内大臣・藤原公季(きんすえ)は出席していません。
その年の暮れ、まひろ(吉高由里子)は年末年始を過ごすべく、父・藤原為時(岸谷五朗)の屋敷に戻りました。
道長からまひろの娘・藤原賢子(南沙良)への裳着の祝いの絹織物を持ち帰ると、その豪華さ に父・為時、弟・藤原惟規(高杉真宙)や乳母のいと(信川清順)が驚きます。
やっぱり自分の子はかわいいんだな
惟規の言葉で、初めて賢子の父親が道長だと知った為時。
道長に打ち明けてみてはどうかとまひろに話し、まひろに反抗的な賢子がそのことを知っているのかといぶかります。
1010年(寛弘7年)正月。
年が明けて内裏の藤壺に戻ったまひろが、局で「源氏の物語」の執筆に励んでいると、道長がやってきます。
正月2日に清涼殿で行われた子(ね)の日の宴に為時を招いたところ、物言いたげに道長の方を見つめたあげく、宴の途中で帰って行ったと話します。
何を言いたかったのであろう 聞いておらぬか
きっと華やかなところで調子が狂ったのだと存じます
不思議であったな〜‥
まひろは仕事があるからと告げ、道長を残しそそくさと立ち去りました。
藤原公任(町田啓太)、藤原斉信(金田哲)、藤原行成(渡辺大知)、源俊賢(本田大輔)が藤原道長(柄本佑)を囲み、宴を開き、道長を中心に結束を固める決意を誓いあっています。
できれば、俺の目の黒いうちに敦成さま(彰子の第一子)が帝におなりあそばすお姿を見たいものだ
と道長。
伊周、死す
1月27日。
藤原隆家(竜星涼)や息子の藤原道雅たちが、衰弱し床に伏している藤原伊周(三浦翔平)の見舞いに訪れています。
父も母もあっという間に死んだ。
俺は奪われ尽くして死ぬのか‥
という伊周の言葉に、弟・隆家は
敦康親王様(藤原定子の子)のことは、私にお任せください。
安心して旅立たれませ。
と答え、伊周はさらに息子・道雅に
左大臣には従うな。
低い官位に甘んじるくらいなら出家せよ
と最期の言葉を言い残し、涙をこぼします。
あの世で栄華を極めませ
と隆家。
翌日、旅立ちました。享年36歳。
次期東宮は誰の手に
一条天皇(塩野瑛久)は、体調を崩し、気が弱くなっていました。
世を去る前に定子との第一皇子・敦康親王を東宮にする道をつくっておきたいと、行成に話します。
敦康親王の元服を急ぐ帝に、行成は答えます。
日取りを陰陽寮に諮っております。
これで、中宮の出産に紛れることなく、敦康の元服を世に示せる。
安心する一条天皇。
隆家は兄の喪が明けないうちに、内裏にある道長の部屋を訪ねます。
供養の品々、過分に頂戴し、厚く御礼申し上げます。
この先は敦康様の後見を私がお務め申し上げたいと存じます。
私は兄とは違います。
敦康様の後見となりましても、左大臣様にはお仕えしたいと願っております。
大切にお守り致せ。
ききょう(ファーストサマーウイカ)は、伊周の死にますます悔しさをにじませます。
彰子の妹・妍子、居貞親王に入内
そんなある日のこと。
中宮・彰子の妹・藤原妍子(倉沢杏奈)が藤壺を訪ねてきました。
妍子は、現東宮・居貞親王(木村達成)の后になることが決まったので彰子に挨拶にきたのでした。
姉上はお幸せですわ、お美しい帝のもとに入内なさって。
それに比べて私は18も年上の東宮様に奉られるのでございますよ。
すら〜っとして凛々しくとも、年寄りは年寄りでございます。
それに東宮様は娍子(すけこ:朝倉あき)様をこよなくめでておいでとか。
私なぞきっと見向きもされませぬ。
ま、年寄りにあれこれされるよりは良いかもしれませんけれど、最初から負けているのもなんだか悔しゅうございます。
と居貞親王の不満を口にします。
宿命に抗わずその中で幸せになれば、きっと良いことがあろう。
彰子は妹にそう言い聞かせますが、妍子は
父・道長は、自分たち姉妹に帝の子と東宮の子を生ませることで権勢を盤石にしようとしており、ふたりとも父の道具なのだと話します。
これを聞いていたまひろが口を挟みます。
恐れながら、そのようなお言葉はご自身を貶められるばかりかと存じます
なんかうるさい。この人
そう言いながらも、妍子は
楽しく生きてみせまする
学問をお続けくださ〜い
と言い残して藤壺を出ていきました。
2月20日。
妍子は居貞親王の后となると、妍子は居貞親王の子・敦明親王(阿佐辰美)に釘付け。
そして連日、若い公卿を集めては宴を開き、言葉通り楽しく生きているようです。
また、妍子を居貞親王に嫁がせた道長に対抗するように、右大臣・藤原顕光は居貞親王の子・敦明親王を次女・藤原延子の婿に迎えました。
敦康親王、元服
7月16日。
元服の儀の前日、亡き定子の忘れ形見である敦康親王(片岡千之助)は、これまで育ててくれた彰子と別れを惜しんでいました。
母亡きあと、中宮様に賜りましたご恩、生涯忘れませぬ
立派な帝におなりあそばすために、精進なさいませ
涙ぐむ敦康親王の手を優しく取る彰子。
敦康親王はせつない眼差しで彰子と見つめ、なかなか手を離そうとしませんでした。
その光景を見た道長がまひろの局に来て言います。
敦康様はお前の物語にかぶれすぎておられる。
光る君の真似なぞされては一大事である。
光源氏が義母(藤壺)に想いを寄せ、不義の子を産ませる『源氏の物語』。道長は心配します。
つまらぬことを。
ずっと中宮様とご一緒におられましたゆえ、お寂しいだけでございましょう。
光る君も同じではないか 。もう良い。なんとか致す。
怒った道長。
行成に、元服後の敦康親王の住まいを竹三条宮にすぐ移すよう命じました。
為時、越後守に
1011年(寛弘8年)正月。
まひろの弟・藤原惟規は従五位の下に昇進します。
意外な昇進に、為時一家は大喜び。
うるうるが止まらないいとは惟規と抱き合います。
さらに除目では、為時は越後守に任命されました。
為時・惟規親子は道長にお礼を述べます。
道長様、姉もお世話になっておりまする。
恐れながら姉は気難しくて人に気持ちが通じにくいのでございますが、どうぞ末永くよろしくお願いいたします。
帰りに中宮様の御在所に寄って、藤式部の顔を見てやれ。
惟規にまひろとの関係を気づかれているとことを察した道長は、そう促しました。
急な父と弟の訪問にまひろは驚きます。
父上、越後は越前より遠く、冬も一層厳しいと聞きます。
どうぞお気をつけて。
今回は同行できないまひろの代わりに、越後まで送ると惟規は話します。斎院の中将の君に振られ、都を離れたいというのです。
惟規、死す
為時の屋敷で、賢子の裳着の儀式が行われました。
賢子は道長から贈られた織物で仕立てた衣裳に身を包み、惟規が帯を結びます。
その光景に、為時は胸を熱くします。
賢子は越後にはついていかず、宮仕えもせず、家を守る。
まひろと同じ道は歩まないと宣言します。
まひろと惟規は、まひろの裳着の儀式の時を思い出し、2人で話しています。
姉上の裳着のとき、姉上父上の仲は最悪だったな。
父上と目も合わさない姉上、怖かったよ。
今では越後に旅立つ父を案じて優しい言葉をかけるまひろに、
親子って変わらないようで変わるんだな
と惟規が続けます。
賢子と私の仲もいずれ 良くなるってこと?
多分ね。だって賢子の母上は姉上だけなんだから。
そういえば左大臣様の姉上への気持ちも変わらないな〜左大臣様すごいよ。
きっとみんなうまくいくよ。
調子のいいことばっかり言って。父上をよろしくね。
越後への道中、惟規は激しい腹痛を起こし馬から転げ落ちます。
死の間際に紙を求めた惟規は、乱れた文字で辞世の歌を綴ります。
「都にも 恋しき人の あまたあれば なほこのたびは いかむとぞ思‥」
筆先が乱れます。
父に抱かれ、惟規はこの世を去りました。
内裏にいるまひろに、越後にいる為時から惟規の死が知らされました。
その晩、為時の屋敷に戻ったまひろは、涙にくれているいとと賢子に、為時の手紙に記された惟規の辞世の歌を読んで聞かせました。
都にも恋しい人がたくさんいるゆえ、何としても生きて帰りたいって‥
賢子たちの前で気丈に振る舞っているいたまひろでしたが、ついに落涙。
なきじゃくるまひろ。
賢子はそっとまひろの背中をさすります。
賢子に肩を抱かれ、泣き続けるまひろ。
居多神社
紫式部の弟・藤原惟規には、姉同様に和歌の才能があったと言われており、『後拾遺和歌集』に10首の和歌が選ばれています。
『今昔物語集』にある惟規のエピソードが残っています。
斎王に仕える恋人に会うため、賀茂斎院に忍び込み閉じ込められたというもの。その時詠んだ歌に、斎王が感心したと語られています。
父・藤原為時が60代で越後に赴任した時、心配した惟規は越後へ向かいますが、重い病にかかってしまいます。
なんとか越前にたどりついたものの瀕死の重傷です。
父・為時が息子の死を覚悟して呼んだ高僧が、惟規に念仏を唱えさせようと
亡くなると次の生が決まるまでの間を中有という、鳥も獣もいないはるかな荒野を一人でさまようのですよ。
と言うと
「嵐のように舞い散る紅葉や、風にそよぐすすきなどが見られないのでしょうか?
すすきの下から虫の声でも聞こえれば一人きりでも心が慰められるのですが」
と言い、辞世の句を詠んだそうです。
「都にも 恋しき人の あまたあれば なほこのたびは いかむとぞ思ふ」
【居多神社】〒942-0081 新潟県上越市五智6丁目1−11
えちごトキめき鉄道「直江津」下車、徒歩25分