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【ネタバレ】2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』最終回第48話あらすじ

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2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』の第48話のあらすじ

タイトルは

「物語の先に」

です。

をご紹介しています。

いよいよ最終回!
お楽しみいただけると幸いです。

 

※ネタバレ含みます

 

※各話あらすじ一覧

第 1回 1月  7日 |約束の月
第 2回 1月14日 |めぐりあい
第 3回 1月21日 |謎の男
第 4回 1月28日 |五節の舞姫
第 5回 2月  4日 |告白
第 6回 2月11日 |二人の才女
第 7回 2月18日 |おかしきことこそ
第 8回 2月25日 |招かれざる者
第 9回  3月  3日 |遠くの国
第10回 3月10日|月夜の陰謀

第11回 3月17日 |まどう心
第12回 3月24日 |思いの果て
第13回 3月31日 |進むべき道
第14回 4月  7日 |星落ちてなお
第15回 4月14日 |おごれる者たち
第16回 4月21日 |華の影
第17回 4月28日 |うつろい
第18回 5月  5日 |岐路
第19回 5月12日 |放たれた矢
第20回 5月19日 |望みの先に

第21回 5月26日 |旅立ち
第22回 6月  2日 |越前の出会い
第23回 6月  9日 |雪の舞うころ
第24回 6月16日 |忘れえぬ人
第25回 6月23日 |決意
第26回 6月30日 |いけにえの姫
第27回 7月14日 |宿縁の命
第28回 7月21日 |一帝二后
第29回 7月28日 |母として
第30回 8月  4日 |つながる言の葉

第31回 8月18日 |月の下で
第32回 8月25日 |誰がために書く
第33回 9月  1日 |式部誕生
第34回 9月  8日 |目覚め
第35回 9月15日 |中宮の涙
第36回 9月22日 |待ち望まれた日
第37回 9月29日 |波紋
第38回10月 6日|まぶしき闇
第39回10月13日|とだえぬ絆
第40回10月20日|君を置きて

第41回10月27日|揺らぎ
第42回11月  3日|川辺の誓い
第43回11月10日|輝きののちに
第44回11月17日|望月の夜
第45回11月24日|はばたき
第46回12月  1日|刀伊の入寇
第47回12月  8日|哀しくとも
第48回最終話12月15日|物語の先に

 

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大河ドラマ『光る君へ』第48話 あらすじ

まひろ、打ち明ける

まひろさん、殿の妾になっていただけない?
そしたら殿もすこしは力がお付きになると思うのよ
いつ頃からそういう仲になったの?

…初めてお目にかかったのは9つの頃でございました

道長の嫡妻・源倫子(黒木華)に尋ねられたまひろ(吉高由里子)は、これまでの人生について語ります。

まひろが道長の兄・道兼が母の敵だと打ち明けると

それなのにあなたたちは結ばれたのね。
あの漢詩の文はあなたのものだったのね…

ゆらりと立ち上がる倫子。

あなたは、どういう気持ちであの子(藤原彰子)のそばにいたの?
何も知らずあの子はあなたに心を開いていたわ。
あなたは本心を隠したままあの子の心に分け入り、私からあの子を奪っていったのね。
私たちあなたの手のひらの上で転がされていたのかしら?
それで全て?隠し事はもうないかしら?
このことは死ぬまで胸にしまって生きてください。

まひろが出ていくと、どんな話をしたのかと倫子に問う藤原道長(柄本佑)。

なんということもございませんわ
とりとめもない昔話にございます

倫子は裳着の儀を済ませた藤原嬉子を東宮・敦良親王に嫁がせてはどうかと話題を変えました。

次の帝も我が家の孫ですけれど、その次の帝も、そのまた次の帝も、我が家からお出ししましょう

屋敷に帰ったまひろが、琵琶を鳴らすと弦が切れました。亡き夫・藤原宣孝(佐々木蔵之介)、亡き友・さわ(野村麻純)、そして道長からもらった文を文箱から取り出し、眺めています。

道長の文には、和歌や漢詩が記されています。

自分自身で詠んだ和歌の下書きも多く出てきました。

それぞれを思い出し感慨に耽っていると、自作の歌を歌集としてまとめようというアイディアが浮かんできます。

世代交代

内裏にて、藤原頼通(渡邊圭祐)は、居眠りしている左大臣・藤原顕光(宮川一朗太)に道長に言われた通り辞表を求めました。

1025年(万寿2年)。
東宮・敦良親王に嫁いだ嬉子が皇子・親仁親王を出産しました。
ですが、嬉子は、出産の2日後に亡くなってしまいます。

すると道長は、身分の高い者ではなく、まひろの娘・賢子(南沙良)を乳母に任じます。
賢子の父親は道長。
親王の乳母は、女房の中では一番高い位でした。
親仁親王は嬉子の姉・藤原彰子(見上愛)のもとで育てられることとなりました。

1027年(万寿4年)。
今は道長&倫子の嫡男・藤原頼通、道長&倫子の次男・藤原教通(姫子松柾)、道長&源明子(瀧内公美)の息子・藤原頼宗(上村海成)らが公卿の中枢となっています。

頼宗はまひろの娘・賢子と通じています。賢子は「光るおんな君」を目指して色んな殿方と通じているのでした。

『栄花物語』を書いている赤染衛門が土御門邸の倫子を訪ね、読み聞かせています。

「北の方様が嬉子様のお体をお触りになると、ひどく冷たくおわします。
これこそは生きている人から変わってしまわれたということなのですが、殿も北の方様も『私たちを見捨ててどこへどこへ』と激しくお泣きになって果てることがありません」

涙する倫子。

あの…果たして私が書いたものは『枕草子』や『源氏の物語』のように広く世に受け入れられましょうか?

自信を持ちなさい。見事にやってくれています。
あなたは私の誇りだわ。

にっこり笑った倫子の言葉を聞き、うるんだ瞳で一礼する赤染衛門。

夜、土御門邸に源俊賢+F4メンバーが集まり、酒を飲みながら体の衰えなどについて語り合っています。

作家仲間

まひろの屋敷では、市で出会った菅原孝標の娘、後に『更級日記』の作者となる女性がまひろに『源氏の物語』を読み聞かせています。

そしてラストの不完全さについてまひろに持論を語ります。

この作者の狙いは男の欲望を描くことですよ。
男たちの心も引きつけたのです。

なるほど。

男たちに好評でなければこれほど世に広まりませんもの。
それと読み手の女たちが作中の誰かに己を重ね合わせられるよう、様々な女を描き出したのでしょう!そのために女たらしの君が次から次へと女の間を渡り合うことにしたのです。
つまり”光る君”とは 女を照らし出す光だったのです!

ふふふふ。

見送ると、ききょう(ファーストサマーウイカ)がやってきました。
近況報告の後、

もうお書きにならないの?
私はもう 書く気はございません。
亡き皇后様のように私の心をかき立ててくださる方はおられませぬし、あの頃のような熱意もありません。
されど、思えば『枕草子』も『源氏の物語』も一条の帝のお心をゆり動かし政さえも動かしました。まひろ様も私も大したことを成し遂げたと思いません?

ええ、米や水のように、書物もなくてはならないものですわ
このような自慢話、誰かに聞かれたら一大事ですわ笑

ともに笑い合う2人。

道長の最期

1027年(万寿4年)10月。
道長倫子の娘・藤原妍子がこの世を去りました。

嬉子と妍子という2人の娘を立て続けに失った道長は、11月法成寺で病床に伏してしまいます。

その報せをまひろに伝えたのは、中納言を返上した藤原隆家(竜星涼)でした。

道長危篤。
倫子がまひろを呼びました。

私が殿のために最後にできることは何かと考えていたら、あなたの顔が浮かんだのよ。
殿に会ってやっておくれ。
殿とあなたは長い長いご縁でしょ?頼みます。
どうか殿の魂を繋ぎ止めておくれ。

倫子はまひろに頭を下げました。

御簾の中に入ると道長が目を開けました。

誰だ?

まひろにございます。

か…帰れ。

すべて倫子に話したことを道長に伝えるまひろ。

お目にかかりとうございました。

その言葉を聞き、道長は床から手を伸ばします。
その手をそっと包み込むまひろ。

先に、行くぞ。

涙するまひろ。

光る君が死ぬ姿を描かなかったのは、幻がいつまでも続いてほしいと願ったゆえでございます。
私が知らないところで道長様がお亡くなりになってしまったら、私は幻を追い続けて狂っていたやもしれませぬ 。

晴明に寿命を10年やった。
やらねばよかった、幾度も悔やんだ…。
いや…そうではない。俺の寿命はここまでなのだ。

まひろに体を起こされ白湯を飲むと

この世は何も変わっていない。俺は一体何をやってきたのか…

戦のない泰平の世を守られました。見事なご治世でありました。
それに『源氏の物語』はあなた様なしでは生まれませんでした。

もう物語は書かぬのか?

書いておりません。

新しい物語があればそれを楽しみに生きられるやもしれぬが。

では今日から考えますゆえ、道長様は生きて私の物語を世に広めてくださいませ

お前はいつも俺に厳しいな笑

御簾の外には倫子。

翌日から毎日

『昔あるところに三郎というおのこがおりました』

道長の枕元で即興で物語を聞かせます。
帰り際には

続きはまた明日。

と言って去るまひろ。
翌日もその翌日も物語は続きます。

生きることは…もうよい。

力尽きたように見えても

続きはまた明日。

まひろがそう言うと、道長の目が開くのでした。

1027年(万寿4年)12月4日。
糖尿病を患っていた道長は、その生涯に幕をおろしました。享年62。

行成も道長と同じ日に息をひきとります。

藤原北家の全盛期を築きあげた藤原道長。
円融天皇・花山天皇・一条天皇・三条天皇・後一条天皇と5人の天皇に仕え、
源倫子・源明子・簾子(源扶義の娘)・源重光娘・儼子(藤原為光の娘)・穠子(藤原為光の娘)を妻に娶り、
彰子、頼通、頼宗、妍子、顕信、能信、教通 、寛子、威子、尊子、長家、嬉子、長信という子をなしています。

F4メンバーの最期

藤原行成(渡辺大知)。
隆家の後任として大宰権帥を兼務しますが、九州には赴任しないまま、道長と同日
1027年(万寿4年)12月4日に亡くなります。享年55。

藤原斉信(金田哲)
藤原実資が90歳近い長寿を保ち、左大臣・藤原頼通、内大臣・藤原教通との3人の大臣体制が長く続いたため、ついに斉信の大臣任官は叶うことがなく、
1035年(長元8年)3月23日、病に苦しむことなく息を引き取りました。享年69。
最終官位は大納言正二位民部卿兼中宮大夫。

藤原公任(町田啓太)
1041年(長久2年)1月1日に亡くなります。享年76。
前年末から瘡湿にかかって10日ほど患ったのち、元日に亡くなりました。

公任が出家した時、噂はすぐに都に知れ渡り、四納言仲間の藤原斉信が公任の山荘を訪れます。
公任と同じく道長の子息(長家)に嫁がせた娘を若くして失っている斉信は、死んだ娘のことを長々と話し続け、一方で出家の決心も付かない心情を吐露します。
これに対して公任は自らの経験を語って斉信を慰めました。
斉信は帰る気になれず、二人して泣き続けたというエピソードが『栄花物語』に記されています。

雪の日、公任と斉信が話しています。

道長と同じ日に逝くなんて、行成は心底道長に惚れていたんだな

あいつはまことに道長によく尽くしたよ

ふたりは過ぎし日に思いを馳せ、歌を詠み交わします。

見し人のなくなりゆくを聞くままに いとど深山ぞ寂しかりける
『栄花物語』巻30「つるのはやし」

消え残る頭の雪を払いつつ 寂しき山を思ひやるかな
『栄花物語』巻30「つるのはやし」

まひろ、旅立つ

彰子の息子・後一条天皇は、道長の娘・藤原威子(叔母にあたる)との間に姫皇子・章子内親王をもうけていましたが、皇子はまだ。

頼通は、姉・藤原彰子が同席する場で後一条天皇に「皇子をもうけるため新たに女性を迎えてはどうか」と勧めてみますが、彰子に止められます。

他の家から入内した娘が皇子を産めば、自分たち 一族をしのぐ家ができることになりかねないというのです。

すっかり策士となった彰子。
頼通は感服します。

 

道長の死後、まひろは再び旅に出ようと考えます。
出立前、まひろは賢子にこれまでに詠んだ歌を集めた歌集『紫式部集』を手渡しました。

廻り逢ひて見しやそれともわかぬまに雲がくれにし夜半の月かな
(久しぶりに会って、昔の友だちかどうかわからないうちに、雲に隠れる夜更けの月のようにあわただしく帰ってしまいましたね)

幼友達を詠んだ歌なのですね…母上にも友達がいたなら良かったわ笑

年老いた乙丸(矢部太郎)を伴い旅立ったまひろが道を譲った相手は、双寿丸(伊藤健太郎)たち武士の一軍でした。

道長様…嵐が来るわ

べらぼう第1話

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小野篁卿墓・紫式部墓所(京都府京都市)

小野篁(おののたかむら)という人は、平安時代の公卿、歌人で閻魔大王の補佐役をしていたという噂がありました。

刺激的な内容の「源氏物語」を書き人々の心を惑わせたという理由で紫式部は死後、地獄に落ちたと伝えられており、小野篁のとりなしで罪を許してもらえるよう源氏物語ファンが小野篁のお墓の隣に紫式部のお墓を移したといわれています。
(紫式部のお墓はもともと雲林院の境内にあったそうです)

紫式部墓所の石碑の裏にムラサキシキブという植物が植わっていおり、風情を感じられる場所です。

雲林院(紫式部が晩年を過ごしたといわれている寺院)からも近いので、併せてどうぞ!

名称 小野篁卿墓・紫式部墓所
(GRAVE OF MURASAKI,SHIKIBU & ONO no TAKAMURA)
営業時間
地図
住所 〒603-8165 京都府京都市北区紫野西御所田町(堀川北大路下ル西側)
アクセス ■名神高速道路「京都東IC」より約20分
(三条通りを西へ進み、「神宮道」交差点を北へ右折)
■地下鉄烏丸線「鞍馬口駅」2番口「北大路駅」5番口より徒歩11分
「今出川駅」2番口より徒歩21分
■市バス「堀川鞍馬口」より徒歩1分
市バス「北大路堀川」より徒歩2分
入場料 無料
TEL

 

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宇治陵32号墳(うじりょう・うじのみささぎ:京都府宇治市)

一説には、平安時代に造られた宇治の墳墓のひとつが藤原道長のお墓だといわれています。

『宇治陵』というのは古墳時代から作られてきた宇治の古墳群。平安時代には藤原北家一族の埋葬地で、天皇に入内した姫なども埋葬されています。
はっきりした埋葬者は判明していないものの、300以上ある古墳の中でも32号墳に道長が眠っているのではないかと伝えられています。

「藤原道長の長男・藤原頼通が浄妙寺の南大門から道長の墓に参った」という記述が残っており、その位置関係から推定されたそうです。

 

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