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【ネタバレ】2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』第45話あらすじ

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2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』の第45話のあらすじ

をご紹介しています。

順次あらすじを公開していきますので、お楽しみいただけると幸いです。

 

※ネタバレ含みます

 

※各話あらすじ公開中

第 1回 1月  7日 |約束の月
第 2回 1月14日 |めぐりあい
第 3回 1月21日 |謎の男
第 4回 1月28日 |五節の舞姫
第 5回 2月  4日 |告白
第 6回 2月11日 |二人の才女
第 7回 2月18日 |おかしきことこそ
第 8回 2月25日 |招かれざる者
第 9回  3月  3日 |遠くの国
第10回 3月10日|月夜の陰謀

第11回 3月17日 |まどう心
第12回 3月24日 |思いの果て
第13回 3月31日 |進むべき道
第14回 4月  7日 |星落ちてなお
第15回 4月14日 |おごれる者たち
第16回 4月21日 |華の影
第17回 4月28日 |うつろい
第18回 5月  5日 |岐路
第19回 5月12日 |放たれた矢
第20回 5月19日 |望みの先に

第21回 5月26日 |旅立ち
第22回 6月  2日 |越前の出会い
第23回 6月  9日 |雪の舞うころ
第24回 6月16日 |忘れえぬ人
第25回 6月23日 |決意
第26回 6月30日 |いけにえの姫
第27回 7月14日 |宿縁の命
第28回 7月21日 |一帝二后
第29回 7月28日 |母として
第30回 8月  4日 |つながる言の葉

第31回 8月18日 |月の下で
第32回 8月25日 |誰がために書く
第33回 9月  1日 |式部誕生
第34回 9月  8日 |目覚め
第35回 9月15日 |中宮の涙
第36回 9月22日 |待ち望まれた日
第37回 9月29日 |波紋
第38回10月 6日|まぶしき闇
第39回10月13日|とだえぬ絆
第40回10月20日|君を置きて

第41回10月27日|揺らぎ
第42回11月  3日|川辺の誓い
第43回11月10日|輝きののちに
第44回11月17日|望月の夜
第45回11月24日|あらすじ
第46回12月  1日|刀伊の入寇
第47回12月  8日|哀しくとも
第48回最終話12月15日|物語の先に

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大河ドラマ『光る君へ』第45話 あらすじ

敦康親王の死

1018年(寛仁2年)10月。宴の翌日。
藤原道長(柄本佑)が詠んだ

このよをば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

という歌の解釈について、四納言メンバーが語り合っています。

源俊賢(本田大輔)は、栄華を極め何もかも思いのままだと歌い上げているのだろうという意見。
対して藤原公任(町田啓太)は、

道長は驕った歌をみんなの前で披露するような人となりではない。

藤原行成(渡辺大知)も同意します。

私もそう思います。
月は后を表しますゆえ、3人の后は望月のように欠けていない。
良い夜だということだと思いました。

その話題の後、源俊賢は職を辞す決意をメンバーに打ち明けます。

土御門邸。
太皇太后・藤原彰子(見上愛)の部屋に、弟の藤原頼通(渡邊圭祐)夫妻、敦康親王(片岡千之助)夫妻と3歳の娘が集まっています。

頼通が、摂政となっても父の指示がないと動けないし、怒鳴られてばかりだと話すと、敦康親王は亡き父・一条天皇(塩野瑛久)に叱られたことがないため羨ましがります。

傍に控えるまひろ(吉高由里子)には今の敦康親王が幸せそうだと感じられました。

彰子が部屋を出ていくと、敦康親王は胸の痛みを訴えます。
この年の暮れ、敦康親王は亡くなりました。享年21歳でした。

まひろは『源氏物語』最終巻「夢の浮橋」を完結します。

小君がいつ戻るのかとお待ちなされていたのですが、このように訳のわからないまま帰ってきましたのでがっかりした薫の君は、「却ってやらない方が良かった」などと様々思い、「誰かに隠し置かれているのではないだろうか」と思い込んでしまわれたのは、自ら浮舟を捨ておいたことがおありになったからとか元の本には書いてあったのです。

叙位の儀

叙位の儀。
叙位を受ける者たちの中に左大臣・藤原顕光(宮川一朗太)、道長の叔父で右大臣の藤原公季(米村拓彰)の姿が見えません。

頼通は道長に訴えます。

私には従わぬという当てつけにございます、これまでも事あるごとに

焦る頼通に、道長は冷静に指示を出します。

うろたえるでない。
左大臣と右大臣が来ぬなら、この度に限っては内大臣のお前がやれば良い。 嫌がらせなどに屈せぬ姿を見せよ。叙位の儀を止めてはならぬ。

賢子の自立、出生の秘密

為時の屋敷では、まひらの娘・藤原賢子(南沙良)が宮仕えをする決心をし、まひろに伝えています。

夫を持ちたいとは全く思わないし、21にもなって母上を頼りに生きているのもなんだか情けないゆえ、働こうと思うのです。

まひろは娘の自立を喜び、賢子を自分の代わりにすえ、自身は旅に出たいと家族に話します。

物語の中で書いた須磨や明石に行ってみとうございます。
それから亡き宣孝様(佐々木蔵之介)がお勤めになられていた太宰府や さわさん(野村麻純)が亡くなった松浦(佐賀県長崎県北部)にもまいりとうございます。

父・藤原為時(岸谷五朗)の許しを得、乙丸(矢部太郎)をともない旅に出ることとなりました。

賢子は彰子の女房として、土御門邸で働くこととなりました。
母娘で、彰子、道長、源倫子(黒木華)に挨拶をします。

藤式部、確かに娘は預かった。
されどそなたも必ず生きて帰って参れ。
そして私に土産話を聞かせておくれ。

と彰子は首にかける懸守(かけまもり)をまひろに手渡しました。

倫子はまひろが旅に出ることに驚き、

まあ 素敵なこと。
私と殿も2人で旅に行きたいわね、と語りあっておりましたのよ、ねえ

と道長を見ます。
道長は笑顔で頷き、

太宰府への使いの船があるゆえ、それに乗って行くがよかろう。
気をつけてまいれ。

と言葉少なに言いました。

挨拶が終わると、廊下で倫子は、道長の栄華を書いてほしいという依頼についての返事をまひろに促します。

 心の闇に惹かれる性分でございますので『枕草子』のように太閤様の栄華を輝かしく書くことは私には難しいと存じます。

あらま

賢子を土御門邸にあるまひろの局にも案内します。
『源氏の物語』『宇治の物語』を読んで感想を教えてほしいと賢子に話すと、道長が局に現れます。
賢子を帰らせるまひろ。

道長は、手早くすべての御簾を下ろしてまひろに向き合います。

行かないでくれ。

これ以上手に入らぬお方の傍にいる意味は何なのでございましょう。
道長様には感謝申し上げてもしきれないと思っております。
されど、ここらで違う人生も歩んでみたくなったのでございます。
‥私は去りますが賢子がおります。
賢子はあなた様の子でございます。

まひろはその事実を初めて打ち明けました。

まひろの手をつかむ道長。

お前とはもう会えぬのか?

会えたとしても、これで終わりでございます。

まひろが去ると、道長は一点を見つめ、浅い呼吸をしています。

こうして旅に出たまひろ。

倫子は、まひろに断られた依頼を今度は赤染衛門(凰稀かなめ)に依頼します。

『枕草子』が皇后・定子様のお姿をキラキラと描いたように、殿の素晴らしさを輝かしき物語にしてほしいのよ

されど誠に私でよろしいのでございましょうか?

衛門がいいのよ♡

お方様‥!

赤染衛門は涙ぐみます。

賢子は土御門邸で「越後弁(えちごのべん)」という名で働き始め、賢子を見守る道長は、娘に何もせずいたことに罪悪感や切なさが込み上げ、息がつまります。

道長の出家

道長は体調が優れず、「頼通を独り立ちさせるためにも職を辞して出家したい、休みたい」と伝えますが、倫子は反対です。

お休みになりたければ 私の元で、現世でお休みくださいませ。

気持ちは変わらぬ。

藤式部がいなくなったからですの?

‥何を言うておる

道長の手を握る倫子の手を振りほどき、道長は出ていきました。

1019年(寛仁3年)3月、道長は涙を流しながら剃髪し、出家しました。

土御門邸に”四納言”メンバーが集います。
道長の剃髪姿に涙ぐむ行成。

昔も今も行成は道長一筋だからな

と藤原斉信。
道長は、行成の労をねぎらい、メンバーに頼通を支えてほしいと頭を下げました。

なかなか独り立ちできない頼通は、この日も父に相談に来ていました。
帝の前で居眠りをしたり、的はずれなことに固執したりと失態続きの顕光に、左大臣を辞めてもらいたいと言うのです。
大臣に辞任を強制することはできず、本人が申し出るか亡くなるかのどちらかを待つしかない決まり。
ならば公卿たちの前で顕光を非難し、いたたまれなくなった本人が自ら辞めるよう仕向けるというのが、道長の提案です。

そのようなこと、私には‥

それが政だ!
それくらいできねば何もできぬ。
お前は摂政だぞ。肝を据えろ!

道長は頼通を見据えて言いました。

1019年(寛仁3年)春。
まひろ(吉高由里子)と乙丸(矢部太郎)は大宰府に到着しました。
大宰府には宋の商人も多く集まっています。

そこにいたのは、周明(松下洸平)でした。

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三井寺(滋賀県大津市)

三井寺は、滋賀県大津市園城寺町にある寺院で、正式名称は園城寺(おんじょうじ)。

境内に、天智・天武・持統天皇の産湯に使われたとされる霊泉があることから、御井(みい)の寺、三井寺と呼ばれました。

この寺で、紫式部の父・藤原為時は出家しました。

寺の歴代の僧侶の名が書かれた書には、紫式部の母方のおじと、異母きょうだいの名が記されています。

為時出家後の寛仁2年・正月。 藤原頼通の摂政就任の宴に用意された屏風詩歌に、公任や斉信に並んで為時の漢詩も選ばれました。

紫式部を育てた藤原為時の名は、当時を代表する漢詩人としても、語り継がれているのです。

国宝の金堂をはじめとする数々の歴史遺産を有し、観音堂は西国三十三所観音霊場第十四番札所にもなっています。

石山寺と同じく、滋賀県の中ではアクセスもよく訪れやすいお寺です。

名称 円城寺(三井寺  )
営業時間 9:00~16:00
地図
住所 〒520-0036 滋賀県大津市園城寺町246
アクセス ■国道1号線から国道16号線経由約10分
■名神高速道路「大津I.C.」から湖岸道路経由約10分
■京阪石山坂本線「三井寺駅」から徒歩10分■京阪石山坂本線「大津市役所前駅」から徒歩約12分
■JR東海道本線(琵琶湖線)「大津駅」またはJR湖西線「大津京駅」から京阪バス「三井寺」下車すぐ
入場料 大人600円
中高生300円
小学生200円
TEL 0775222238
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