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【ネタバレ】2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』第46話あらすじ

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2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』の第46話のあらすじ

をご紹介しています。

順次あらすじを公開していきますので、お楽しみいただけると幸いです。

 

※ネタバレ含みます

 

※各話あらすじ公開中

第 1回 1月  7日 |約束の月
第 2回 1月14日 |めぐりあい
第 3回 1月21日 |謎の男
第 4回 1月28日 |五節の舞姫
第 5回 2月  4日 |告白
第 6回 2月11日 |二人の才女
第 7回 2月18日 |おかしきことこそ
第 8回 2月25日 |招かれざる者
第 9回  3月  3日 |遠くの国
第10回 3月10日|月夜の陰謀

第11回 3月17日 |まどう心
第12回 3月24日 |思いの果て
第13回 3月31日 |進むべき道
第14回 4月  7日 |星落ちてなお
第15回 4月14日 |おごれる者たち
第16回 4月21日 |華の影
第17回 4月28日 |うつろい
第18回 5月  5日 |岐路
第19回 5月12日 |放たれた矢
第20回 5月19日 |望みの先に

第21回 5月26日 |旅立ち
第22回 6月  2日 |越前の出会い
第23回 6月  9日 |雪の舞うころ
第24回 6月16日 |忘れえぬ人
第25回 6月23日 |決意
第26回 6月30日 |いけにえの姫
第27回 7月14日 |宿縁の命
第28回 7月21日 |一帝二后
第29回 7月28日 |母として
第30回 8月  4日 |つながる言の葉

第31回 8月18日 |月の下で
第32回 8月25日 |誰がために書く
第33回 9月  1日 |式部誕生
第34回 9月  8日 |目覚め
第35回 9月15日 |中宮の涙
第36回 9月22日 |待ち望まれた日
第37回 9月29日 |波紋
第38回10月 6日|まぶしき闇
第39回10月13日|とだえぬ絆
第40回10月20日|君を置きて

第41回10月27日|揺らぎ
第42回11月  3日|川辺の誓い
第43回11月10日|輝きののちに
第44回11月17日|望月の夜
第45回11月24日|あらすじ
第46回12月  1日|あらすじ
第47回12月  8日|あらすじ
第48回最終話12月15日|あらすじ

 

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大河ドラマ『光る君へ』第46話 あらすじ

大宰府


太宰府天満宮(2024.10.6)

1019年(寛仁3年)春。
まひろ(吉高由里子)は大宰府に到着しました。
大宰府には宋の商人も多く集まっています。
政庁を訪れると藤原隆家に仕える平為賢(神尾佑)の若武者・双寿丸(伊藤健太郎)に再会しました。

こんなとこで何してるんだ?

大宰府を見に来たの

へえー!ただの女じゃないと思っていたけどすごいな

まひろは賢子が宮仕えを始めたことを伝えます。

大人になったのだな‥

そう言って去っていく双寿丸。

大宰権帥である藤原隆家(竜星涼)が通りかかります。
まひろが挨拶をすると、藤原彰子(見上愛)の女房であることを思い出した隆家。

太閤様からそなたを丁重にもてなし、旅の安全を図るようお達しがあった。
長旅で疲れたであろう、参れ。

平為賢も在室している権帥執務室で宋のお茶を振る舞われるまひろ。
隆家の目は、大宰府の腕の良い医者にかかり回復していました。
視力を取り戻すと世の中が変わって見えた、と語ります。

内裏のような狭い世界で位を争っていた日々を、実にくだらぬことであったと思うようになったのだ。ここには仲間がおる。為賢は武者だが信じるに足る仲間だ。

隆家様は、この地の力ある者からの賂(まかない:賄賂)もお受け取りにならず、何事も自らの財を用いられる身綺麗なお方で、それもみんながお慕いし、なついておる所以でございます。

富などいらぬ。仲間がおれば。

まひろは道長が出家したと知ります。

お体もかなり悪いらしい。いくら栄華を極めても、病には勝てぬ。
それが人の宿命だ。

隆家は、まひろのために部屋を用意し宴を開いてもてなしました。
宴には大蔵種材(おおくらのたねき)、藤原助高、藤原友近など武者も仲間として参加し、隆家と語らい、ともに酒を酌み交わしています。都では考えられない光景です。

亡き夫・藤原宣孝(佐々木蔵之介)の赴任先だった場所とはいえ、こんな遠くまで来るとはよほどの理由があるのだろうと隆家は言いました。

 

そのころ、 道長の嫡妻・源倫子(黒木華)は、赤染衛門(凰稀かなめ)に依頼した物語の冒頭を読んで戸惑っていました。

殿の栄華の物語を書いてほしいと申したと思うが‥これ、宇多の帝から始まっているわ。
殿がお生まれになるよりもはるか昔だけれど。

宇多天皇と源倫子
皇族の数が増えすぎると、「源氏」や「平氏」の姓を賜り、皇族を離れる「臣籍降下」が行われました。
936年(承平6年)宇多天皇は皇子のうち、後の醍醐天皇以外に源姓を賜り、これが宇多源氏となっていきます。
醍醐天皇の弟の子供が、倫子の父・源雅信。
つまり源倫子は宇多天皇のひ孫という血筋です。

『枕草子』が明るく朗らかであった皇后様の後宮を描き、『源氏の物語』が人の世の哀れを大胆な物語にして描いたのなら、私がなすべきことは何かと考えますと、それは歴史の書であると考えました。

かな文字で書かれた史書はまだありません。
歴史を正確に踏まえながら、道長の生い立ちや政治手腕、栄華の極みを描ききれば、後世まで読み継がれる書になるはずだと赤染衛門は熱く語りました。

刀伊の入寇

まひろは大宰府を発ち、さわ(野村麻純)の暮らしていた松浦(まつら)に向かうことにしました。
船越の津から船に乗る予定です。

まひろが大宰府を出たころ、壱岐から常覚(じょうかく)という僧侶が隆家を訪ねてきます。

3月末。
どこの者かとも知れぬ賊が襲来し、壱岐の子供と年寄りが全て殺され、それ以外は連れ去られたと話す常覚。

壱岐では作物も牛馬も食い尽くされ、兵を率いた壱岐守・藤原理忠も大集団には敵わず殺され、生き残った常覚は、小舟で何日もかけて助けを求めてに来たのでした。

常覚が語る悲惨な状況に、隆家や平為賢ら武者たちは驚愕します。

襲ってきた者たちは異国の言葉を話し、多くの兵と船を擁していたとのこと。
武者たちは高麗が攻めてきたのではないかと推測しました。

博多に攻め入られてはまずい。

隆家は筑前、筑後、豊前、肥前の国守に使いを出し、博多に軍勢を集めようと決めました。
これが「刀伊の入寇(といのにゅうこう)」の始まりです。

 

このころ、敵は博多の西に位置する志摩を襲っていました。

4月8日。
隆家と武者の一団は、博多で敵の襲来に備えるべく、太宰府を出発します。
その中には双寿丸の姿もありました。

博多警固所では、先に到着していた大宰府の役人・平到行(むねゆき)が隆家を迎えます。

警固所には志摩の文屋忠光(もんやのただみつ)が、自ら討ち取った敵の首を持ってきていました。
島では100人が殺され、400人が連れ去られたものの、忠光らは賊に抵抗し、追い返していましたと話します。

賊は壱岐島に続いて能古の島に向かい、どんどん博多に近づいています。

4月9日。
博多警固所の見張りが敵の船団50艘が向かってくるのを発見。
各地からの兵はまだ到着していません。
隆家は出陣を決断します。

小勢でも今我らが打って出て食い止めねば。
陸に上がられては無辜(むこ)の民に害が及ぶ。

種材や到行らとともに崖の上から浜辺を監視する隆家。
敵の小舟の到着を確かめると、浜で待ち構えていた兵たちに鏑矢(かぶらや:射た時に鳴る仕掛けがついた矢)を放つよう命じます。
初めて聞く鏑矢の音に驚く敵。
統率が乱れます。
弓合戦になるなか、双寿丸たちが太刀で切り込んでいきました。
それに押された敵は、一旦能古島へと退却していきました。

隆家が博多警固所に戻ると、ようやく財部弘延(たからべのひろのぶ)、大神守宮(おおがみのもりみや)が兵を率いて到着しました。

敵は一旦立ち去りましたが、隆家は、戦船を用意し、こちらから能古島に打って出、敵を追い払おうと決断しました。

財部は、敵が次に進めてくるのは船越の津のあたりだろうと予測します。
種材は再び博多に攻めてくる可能性もあると言い、兵を分けることを提案します。

隆家はその進言を受け入れ、自ら船越に向かう一方 、博多にも兵を残、守りを固めるように命じました。

そのころ、何も知らないまひろは、船越の津に近い浜辺にたどり着き、異国人に追われて逃げる 村人と出くわします。
そこに財部弘延、大神守宮とともに双寿丸が現れ、敵を蹴散らします。

逃げろ!

双寿丸に言われたまひろは、斬り合いの中から逃げ出します。

刀伊の入寇(刀伊の来寇)とは
1019年(寛仁3年)3月末から4月にかけて「女真」の一派を主体とした海賊が壱岐・対馬、九州に侵攻した事件。
刀伊(とい)=東夷(とうい)= 되(トイ)
(女真とは、12世紀に金を、後の17世紀には満洲族として後金を経て清を建国する民族)
①対馬への襲撃
寛仁3年3月27日、刀伊は賊船約50隻(約3,000人)の船団を組み、対馬に来襲し島の各地で殺人や放火、略奪を繰り返す。
36人が殺され、346人が拉致。
この時、対馬守・遠晴は島からの脱出に成功し、大宰府に逃れている。
②壱岐への襲撃
対馬に続き壱岐で老人子供を殺害し、壮年の男女を船に連れて行く。
人家を焼き牛馬家畜を食い荒らした。
賊徒来襲の急報を聞いた国司の壱岐守・藤原理忠は、ただちに147人の兵を率いて賊徒の征伐に向かうものの、3,000人という大集団には敵わず玉砕。
僧侶や地元住民たちは、壱岐の寺の責任者・常覚の指示のもと、抵抗、応戦するも敵わず、常覚は1人で島を脱出し、事の次第を大宰府に報告。
寺に残った僧侶たちは全滅。
島民148名が虐殺。女性239人が拉致。。生存者35名。
③筑前・肥前への襲撃
4月9日博多を襲撃。
刀伊勢は博多警固所を焼こうとするが、大宰権帥・藤原隆家と大宰大監・大蔵種材らによって撃退された。
4月13日(5月20日)
肥前国松浦郡を襲うも、源知(松浦党の祖)に撃退され、対馬を再襲撃した後に朝鮮半島へ撤退。
④高麗への襲撃
藤原隆家らに撃退された刀伊の賊船一団は高麗沿岸を襲撃。
賊は高麗の水軍に撃退され、拉致された日本人約300人が高麗に保護され、日本に送還された。

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