朝ドラ『風、薫る』
第6週(26話、27話、28話、29話、30話)
「天泣の教室」
あらすじをご紹介いたします。
予習をして『風、薫る』をもっと深く楽しみたい方
『風、薫る』を観る時間のない方
あらすじだけ知りたい方
そんなみなさまのお役に立てましたら、幸いです。
朝ドラ『風、薫る』第6週(26話、27話、28話、29話、30話)放送日

朝ドラ『風、薫る』第6週(26~30話)放送日は
2026年5月4日(月)〜2026年5月8日(金)
です。
朝ドラ『風、薫る』第6週(26話)あらすじ

「This is not nursing!」
来日したバーンズの英語は直美が通訳します。
「ナイチンゲールの精神は私のなかにある」と話すバーンズは、まず、寄宿舎のシーツ交換、校内の掃除や換気を指示します。
「Stop it! This is not nursing!」
何度もダメ出しされ続けること1ヶ月。
ようやく合格が出るようになりました。
朝ドラ『風、薫る』第6週(27話)あらすじ
「みなさん自身が不潔です」
「You yourselves are uncleaned.
(みなさん自身が不潔です)」
次は、日本髪の廃止。
日本髪は一度油で固めると、ひと月は洗うことができません。生徒も教師も三つ編みをまとめた清潔な洋髪に変更させました。
りんの可愛いぱっつんが出来上がります。
「看護婦は医者ではありません」
これのどこが看護なのか多江が問うと
「Everything I’m having you do is nursing.
A nurse is not a doctor.
We do not treat.
(私のしていることすべて看護です。
看護婦は医者ではありません。
治療はしません。) 」
と答えるのでした。
休日。
りんと直美、トメは東京見物に出かけ、日本橋「瑞穂屋」の前で美津が箏を演奏しているところに遭遇。実は直美と美津は初対面ではなく、5年前、美津が上京しスリに遭ったところを助けてもらったことがありました。
美津からりんの父親の死因を聞かされた直美。
少し見ぬうちに「かか」から「お母さん」と呼び方が変わっていた環にりんは驚きます。
和たちきょうだいに「母上」と呼ばせていた哲は、「お母様」を下品だと嫌うが、和は相応な呼び方だと思っている。
(引用『明治のナイチンゲール 大関和物語』田中ひかる)
朝ドラ『風、薫る』第6週(28話)あらすじ
感染しないことの重要性
ある日の学校。
コロリ患者の着替え授業が行われます。
患者役のトメを優しく覗き込むりんを
「あなたは今、大勢の人を見捨てたのと同じです」
とバーンズが叱ります。

教えてください。
私、看護婦を見たことがないんです。
ここにいる誰も。
初めてだからわかんないです。
なんでシーツにこだわんのか、何が看護で、何が看護じゃないのか。
「Think. Think for yourself.」
バーンズは自分で考えるようにと言い残し去っていきました。
次の授業。
自分が感染しないことに気を配るりんにバーンズは合格を出しました。
「あなたが病に倒れてしまえば、その患者をあなたの看護を受けられません。
あなたが看護婦になれば、家族を失いあなたと同じ思いをする人を減らすことができます。」
その言葉にやりがいを感じ始めたりんでした。
朝ドラ『風、薫る』第6週(29話)あらすじ
シマケンとの再会
入寮から半年後の日曜。
自宅に戻る道中、りんはシマケンと再会しました。
シマケンは新聞社で「活字拾い」つまり「活字工」の仕事をしていますが、実は小説家志望なのだと明かします。
何者でもないと語るシマケンを励ますりん。
シマケンはすっかり母や近所に馴染んでいました。
1887年(明治20年)から24年にかけて、金港堂から『新編 浮雲』のタイトルで、第一篇から第三篇に分けて刊行されました。
『新編 浮雲』は、明治時代の作家・二葉亭四迷(ふたばてい しめい)の処女作であり、日本初の近代小説です。
当初、二葉亭四迷はこの作品に自分の名前を出さず、師事していた坪内雄蔵(坪内逍遥の本名)の名義で発表しました。
自分の名前ではなく逍遥の名前を借りて本を出した自分自身を「くたばって仕舞え」と罵ったことが、「二葉亭四迷」という筆名の由来になったという説があります。
日本で初めて「言文一致体(話し言葉に近い文章)」で書かれた画期的な写実主義小説です。
物語は主人公・内海文三の葛藤が続く中で、第四篇が書かれないまま未完で終わっています。
玉田多江
同じ頃、医者ファミリーの多江が帰省すると、医学生との見合いの日取りが知らないうちに決まっていました。
かつて家族と同じように医者を目指した多江ですが、合格できませんでした。
この時代、女医はまだ2人。
多江の気持ちは聞き入れられず、父は子を産み跡を継がせるよう迫ります。
朝ドラ『風、薫る』第6週(30話)あらすじ
患者の視点
休み明け、寮で倒れた多江。
寮生たちが看病しますが、声の出ない多江のストレスは増すばかり。
数日後、回復すると、多江は喉の渇きが伝わらなかったことやシーツのシワで背中がもぞもぞしていたことなどを伝えました。
「患者の表情を読み取る」という看護の基本ができていなかったことを実感するりん。
多江の決意
そこへ多江の父・仙太郎がやってきました。
今日は見合い当日。
結婚のため退学させるという仙太郎に、看護婦の決意を表明する多江。

私、看護婦になります。
看護婦には大したことはできません。
診断、治療は医者の仕事です。
でも、病に苦しむ患者を近くで観察して、シーツを替え、窓を開けて換気をして、回復する環境を整えて、水を飲ませ、時に手を握ってそばにいることは、医者なんかにやらせてあげられない仕事です。
私が看護婦として働くのを認めてくれない人とは、結婚はしません。
父は納得し、多江の決意を認めて帰っていきました。
それから半年。
病院での実習が始まりました。
1885年(明治18年)医術開業試験に合格されました。
自身の病気治療時に男性医師の診察を「恥ずかしい」と感じた経験から、女医の必要性を痛感。
当時は女性に受験資格がありませんでしたが、何度も嘆願して門戸を開かせたそうです。
東京の湯島で「荻野医院」を開業。後にキリスト教に入信し、北海道の開拓地でも医療活動を行いました。
りんのモデル大関和さん、直美のモデル鈴木雅さんは、看護学校修了後に慈恵医院の看護婦取締役・松浦里子さんを訪ねています。
荻野吟子さんが医術開業試験に合格した時、松浦里子さんも男子のための医学校に引き抜かれ女医を目指しましたが、不合格。無理がたたったのか、結核に罹り、療養をした後、看護婦になった方です。控えめな松浦里子さんは「白衣の天使」というイメージだったと原案に書かれています。
大関和さん達が会った3年後、30歳で亡くなりました。
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