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小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の父|チャールズ・ブッシュ・ハーン

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こちらのページでは朝ドラ『ばけばけ』レフカダ・ヘブンのモデル・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)さんの父親・チャールズ・ブッシュ・ハーンについてご紹介しています。

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小泉八雲の父「チャールズ・ブッシュ・ハーン」とは

【名前】
チャールズ・ブッシュ・ハーン
(Charles Bush Hearn )
1818年〜

【国籍】
イギリス国籍アイルランド人

【出身地】
イギリス領アイルランド東部ダブリン

【家族】
父:ダニエル・ジェイムズ
母:エリザベス・ホームズ
叔母:サラ・ブレナン(母の妹)

姉:キャサリン・エルウッド
妹:ジェーン
弟:ロバート・トーマス
妹:アン・エリザベス
妹:スーザン
弟:リチャード・ホームズ(画家)

妻:ローザ・アントニウ・カシマチ

長男:ジョージ・ロバート(早世)
次男:パトリック・ラフカディオ(小泉八雲)
三男:ジェームズ・ダニエル

妻:アリシア・ゴスリン・クロフォード

長女:エリザベス・サラ・モード
次女:ミンニー・シャーロット
三女:ポジー・ガートルード

【職業】
イギリス陸軍の軍医補
(ギリシャ駐在歩兵ノッティンガム州第四十五連隊附の二等軍医正)

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小泉八雲の父「チャールズ・ブッシュ・ハーン」の人生

家庭環境

1818年ダブリンで
父ダニエル・ジェイムズと母エリザベス・ホームズの間に生まれたチャールズ・ブッシュ・ハーン。

チャールズは、プロテスタント(新教)のエリート家族に囲まれて育ち、トリニティカレッジ医学部を卒業します。

ダブリン、トリニティカレッジ図書館

恋人アリシア

若かりし頃のチャールズには、恋人がいました。
恋人の名はアリシア・ゴスリン・クロフォード(Alicia Goslin Crawford)。
近所に住む金髪美女です。

チャールズは、結婚を考えていましたが、彼女はチャールズより経済力のある、南オーストラリア、アデレイドの弁護士(または裁判官)ジョージ(George John Crawford)を選びます。

これは、アリシアの両親によって決められていた結婚だったとのこと。
チャールズはショックを受けますが、諦めざるを得ません。

ローザとの出会い

1849年、31歳のチャールズは、イギリス陸軍の軍医少佐として、赴任先のイオニア諸島レフカダ島リュカディア滞在中、ギリシャキシリ島出身のローザ・アントニウ・カシマチ(Rosa Antonia Cassimati )に出会いました。

当時、イオニア諸島の人たちは、イギリスの半植民地状態から独立したいと考えており、そのため地元の名士の娘であるローザの家族は結婚に反対。

2人は駆け落ち同然で次の赴任地であるレフカダ島へ移住し、
1つ上の兄・ロバート(ラフカディオが生まれた1ヶ月半後に病死)とラフカディオが誕生します。

この頃、チャールズは、アイルランド内陸部のリムリックに滞在しており、長男ロバートの死にも次男ラフカディオ(小泉八雲)の誕生にも立ち会っていません。

ラフカディオが2歳になると、父・チャールズは妻子を自身の故郷アイルランドのダブリンへと呼び寄せました。

結婚無効の申し立て

1853年、チャールズとラフカディオ父子は、初めて顔を合わせます。
ラフカディオ3歳の時でした。
黄熱病に罹ったチャールズが、アイルランドのダブリンに帰ってきたのです。

ただ、チャールズは、帰国の途につく船の中で、かつて自分を振った恋人が未亡人となっていると知り、そちらに夢中になっていきます。

夫を亡くし、娘2人を連れて故郷へ帰ってきたアリシア。
ラフカディオには、ブロンド美人との密会に連れて行かれ、口止めされた記憶が、はっきりと残ります。

1854年
黄熱病から回復した父は、前年から起きていたクリミア戦争に出征します。

この頃、妻ローザは身ごもっていました。
ラフカディオをアイルランドに残し、ギリシャで里帰り出産をしたローザに、チャールズは突然結婚の無効(つまり結婚をしていない、自分は独身だ)を裁判所に申し立てます。

ローザはこの申し立てに従い、生まれたばかりの弟ジェームズは、アイルランドに返され、ラフカディオとともにもう二度と母には会えませんでした。

アリシアとの結婚

1857年7月18日
独身としてアリシアと結婚。
エリザベス、ミンニー、ポジーという娘をもうけます。

チャールズは、インドから帰国する途中、スエズ運河の船内で、マラリア熱のため亡くなりました。

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小泉八雲と父「チャールズ・ブッシュ・ハーン」の関係

関係

チャールズ・ブッシュ・ハーンとパトリック・ラフカディオ・ハーン親子が初めて会ったのは3歳の時。

幼いラフカディオにとって初対面の無口な父に打ち解けることは難しく、アリシアとの密会に連れて行かれたことをにも動揺していました。

チャールズも、赤ちゃんの時代を一緒に過ごしていないことで、息子への感情が希薄だったのかもしれません。

感情

2人の間には距離があった上に、さらに離婚により、母を捨てた父に対して恨みを持つようになるラフカディオ。

母ローザに二度と会わせてもらえないこと。
チャールズがインドに赴任する際、アリシアと連れ子は連れて行ったのに、自分と弟が置いていかれたことについても、長い間悩んでいました。

もし私のあの酷いのパパさん私を訪ねて参りましょうならば、私、左様なら云います。私玄関から「往(い)んでくれ、もう来るなだい」(出雲弁)と叫びましよう。
(引用『父小泉八雲』小泉一雄)

チャールズがインドから送った葉書に、ラフカディオが返事を書くことは一度もありませんでした。

共通点

ラフカディオの母ローザは、アラブの血の入ったギリシャ人でした。
反対にも屈せず、駆け落ち同然に結婚したチャールズと、二度の異人種間結婚をしたラフカディオ。
情熱的な点が似ていたのではないかと推測されます。

相違点

父チャールズを反面教師としたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、家族をとても大切にしました。
息子の一雄への可愛がり方はひとしおで、セツにも子どもたちにも優しく接していました。

ヘルンは私共妻子のためにどんなに我慢もし心配もしてくれたか分かりません。気の毒な程心配をしてくれました。帰化の事でも好まない奉職の事でも皆さうでございました。
(引用:『思ひ出の記』小泉節子)

チャールズ・ブッシュ・ハーンは、ラフカディオ・ハーンにとって「母と自分を捨てた父」というレッテルで、生涯語られていくことになるのでした。

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