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大関和の一人娘・大関心(しん)|母の背中を追いかけた少女の生涯

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日本初の看護婦・大関和さんが、その背中を見せて育てた愛娘、大関心(おおぜき しん)さん。

母と同じ道を志しながらも、わずか20歳という若さで新緑のように散っていった生涯は、残された家族の心に深い傷跡と、消えない面影を残しました。

こちらでは大関和さんの一人娘、大関心さんについてご紹介し、ドラマでは描ききれない背景に迫ります。

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大関和(おおぜき ちか)|家族一覧

生家
父:大関弾右衛門増虎だんえもんますとら
母:大関てつ
姉:大関八千代やちよ
弟:大関復彦ふくひこ
弟:大関まもる
妹:大関こく
婚家
夫:渡辺福之進豊綱
子ども・子孫
長男:大関六郎
ろくろう

長女:大関しん
孫:大関一郎(六郎の子)
嫁:大関(澤本)操(息子・六郎と結婚)
親戚
姪:志村よしえ(姉・八千代の子)
甥:大関増博(弟・復彦の子)
姪:大関ノブ(弟・衛の子)
姪:大関美千代(弟・衛の子)
甥:川原さとし(妹・釛の子)
甥:川原博巳ひろみ(妹・釛の子)
その他:川原(鹿内)貞(甥・博巳と結婚)
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母の背中を追った少女:大関心の短くも清らかな20年の生涯

大関心(おおぜき しん)
1880年(明治13年)〜1900年(明治33年)

近代看護の先駆者・大関和さんには、二人の子供がいました。
一人は長男の六郎さん、そしてもう一人が長女の大関心(おおぜき しん)さんです。
母が仕事に捧げた人生の傍らで、心さんは何を思い、どのような夢を描いていたのでしょうか。

 誕生と同時に訪れた、父との別離

1880年(明治13年)、
大関心さんは黒羽藩の大地主・渡辺福之進豊綱さんと名門・大関家の和さんの間に誕生します。しかし、その誕生は波乱の幕開けでもありました。
母・和さんは心さんを出産するために東京の実家へ里帰りした際、すでに夫との離婚を固く決意していたのです。
心さんは産声をあげたその時から、父の顔を知ることなく、母の一族とともに歩む運命にありました。

祖母・哲の慈愛に包まれた幼少期

離婚後、母は自立の道を求めて邁進します。
心さんと兄・六郎さん、そして叔母(大関和さんの妹)のこくさん、祖母・哲さんとの暮らしが始まりました。
1887年(明治20年)
母は全寮制の桜井女学校付属看護婦養成所へ入学し、その後は東京大学医学部附属病院での勤務、新潟県高田への単身赴任など、家を空ける日々が続きました。

現代のシングルマザーの先駆けとして家計を一手に支えていた大関和さんに代わり、心さんの育ての親となったのは、祖母の哲さんでした。多忙な母に甘えたい盛りの心さんを抱きしめ、慈しみ育てたのは、家庭を守り続けた祖母の温もりだったのです。

憧れの母と同じ道へ:看護学校への入学

母・和さんと共に過ごす時間は決して多くはありませんでしたが、心さんにとって母は、自立して社会に貢献する憧れの象徴でした。
成長した心さんは、桜井女学校の後身である女子学院を卒業。そして、迷うことなく母と同じ職業である看護婦を志します。

慈恵看護専門学校の前身である「慈恵看護婦教育所」に入学。
看護学生として、病に苦しむ人々に寄り添う未来を夢見て、熱心に勉学に励む日々を送っていました。

 20歳の早すぎる幕切れ:結核という無情な宣告

しかし、神様はあまりにも残酷な運命を用意していました。
1900年(明治33年)
講義を受けていた心さんは、ふと身体の異変を感じます。
最初は「少し長引く風邪」だと思って受診した病院で下された診断は、当時不治の病と恐れられていた「結核」でした。
宣告からわずか4ヶ月。看護の技術を学び、これから誰かの命を救おうとしていた心さんは、自身の命を繋ぎ止めることは叶わず、20歳という若さで帰らぬ人となりました。
あまりにもあっけない最期でした。

母・和の慟哭と、面影を求めて

娘の死に接した大関和さんの悲嘆は、言葉に尽くしがたいものでした。

心の死からひと月ほど経った頃、ふさぎ込んでいた和が、突然俥に乗り込み、一番町協会へ向かったことがあった。なぜ心が二〇歳の若さで逝かなければならないのか、なぜ熱心に信仰してきた自分がこんな目に会わなければならないのか、この世には神も仏もいないのか、和は正久にいくつもの疑問を投げつけ、食ってかかった。(中略)
自分は心の髪をすいてやったことがあっただろうか。着物を選んでやったこともなければ、一日の出来事をゆっくりと聞いてやったこともなかった。和が自宅から看護学校の寮へ戻るときの、あるいは東京から高田へ発つときの心の寂しそうな顔が浮かび、あふれる後悔を抑えることができない。自分は一生、この後悔を抱えて生きていくに違いない。
(引用『明治のナイチンゲール 大関和物語』田中ひかる)

「仕事にかまけて、あの子と過ごす時間を後回しにしすぎた…」
母・和さんは、娘と共に過ごせなかった歳月を激しく後悔し、育ての親である祖母の哲さんも、心さんの死から一気に物忘れがひどくなってしまいます。

その後、心さんの兄である六郎さんが「東京看護婦会」の優秀な看護婦である澤本操さんと結婚した際、大関和さんは操さんの快活で有能な立ち居振る舞いに、亡き娘・心さんの姿を重ね合わせずにはいられませんでした。

「心が生きていれば、きっと操のように立派な看護婦になっていたはず——。」

大関和さんの胸の中で、心さんは理想の看護学生として生き続けました。

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