こちらのページでは、
2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』の第4話「五節の舞姫」のあらすじ
をご紹介しています。
順次あらすじを公開していきますので、お楽しみいただけると幸いです。
※ネタバレ含みます
大河ドラマ『光る君へ』第4話 あらすじ
身分を明かすまひろ、明かさない道長
散楽が演じられている辻で 道長(柄本佑)と再会したまひろ(吉高由里子)は、絵師(三遊亭小遊三)を訪ねたという道長に
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わたしは官位も得られない藤原為時の娘。
藤原でもずーっと格下。
だから気にしないで
と告白します。
道長も自分について話そうとしますが、その時、父の友人・藤原宣孝(のぶたか・佐々木蔵之介)が通りかかり話は中断。
「家に送る」という宣孝に従うしかないまひろ は 、道長に届く声で
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6日後の散楽をまた見たい!
と呼びかけます。
その後、直秀(毎熊克哉) が道長に声をかけます。
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もう散楽には来るな 、娘の心を弄ぶのはよせ。
右大臣家の横暴は内裏の中だけにしろ
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そういうことは散楽の中だけで言え
とクールに言い放つ道長。
従者・百舌彦(本多力)はかっこいい!と思うのですが 、道長の心は沈んでいきます 。
まひろの屋敷では、下人(召使)の姿をしている道長を怪しんだ宣孝がまひろに忠告します。
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あの男には近づくな
師貞親王が帝になれば父・為時にも出世の道が開ける。
今は大事な時だ
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その父が自分を間者(スパイ)にしています
人の道を解く学者の父が、反対のことばかり
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それは 父上が人だからじゃ
嫌悪感を抱きながらも間者の務めを果たすまひろもまた人だからだな
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父上とわたしがこれからどうなるかと思うと、、
父との関係に悩みながらも、宣孝には本音を話せるまひろでした。
譲位に向けて
安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)の占いにより、天皇の譲位と新しい帝の即位の日程や次の東宮(天皇の後継者)が誰になるかが決まります。
実質、晴明に決定権があるということ。
宮中は、あんなに円融天皇に嫌われていた道長の姉・藤原詮子(吉田羊)との子ども・懐仁親王が東宮になるでことで ざわついています。
兼家にもへつらわない藤原実資(ロバート秋山)は、次の天皇・師貞親王(本郷奏多)から”蔵人頭”になってほしいと言われるものの頑なに固辞。
暴れる師貞親王。
土御門家
土御門(つちみかど)家では、左大臣である父・源雅信(益岡徹)が倫子(黒木華)に 次の帝への入内の話を持ち出すのですが、
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帝のお心を失って東三条殿に下がられた詮子様のようになりたくはありません
と言われては
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忘れてくれ、、
と答えるしかありません。
深夜。その土御門家に盗賊が入りました 。
その中には 直秀もいます。
後日、 倫子のサロンで「竹取物語」について語り合ったとき、
求婚する高貴な男たちに無理難題を出したかぐや姫について
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やんごとない(高貴な)人々への怒りと蔑みがあったのでは?
と大胆な見解を述べたまひろ。
すると倫子に
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私の父が左大臣で身分が高いってことお忘れかしら?
うふふふふ
と言われてしまいます。
倫子よ。。
東三条殿
結局、散楽の日に道長は現れず、
まひろは
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なぜ来ないの。。
としょんぼりしています。
道長はいったい何をしているのでしょうか?
道長は、一族の宴のため東三条殿から外に出られません。
屋敷では久しぶりに 3兄弟が揃って天皇の譲位を祝い、師貞親王の退位を即位前から画策しています。
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次は師貞親王(花山天皇)を引きずり下ろす番だ!
父や兄の画策を知らない詮子は、 夫である円融天皇(坂東巳之助)にいたわりの言葉を届けようとするものの
「毒を盛った鬼めが!」
と罵られ、扇を投げつけられてしまいました。
円融天皇の体調不良は、兼家たちの謀略でした。
父・兼家の宴に乗り込み 怒り狂う姉の言葉を聞き、 道長は自分が恐ろしい 一族の一員だと思い知らされます。
花山天皇の緊縛プレイと「五節の舞」
師貞親王は即位し花山天皇(本郷奏多)となり、藤原忯子(よしこ・井上咲楽)が入内します。
初夜でしょうか、忯子を見つめながら緊縛プレイに及ぶ花山天皇。
うなずく忯子。
花山天皇は、帝として政治に意欲を示すものの関白の言葉に耳を傾けません。
また、思いつきのような発言も多く、困ると駄々をこねる性格も相変わらず。周囲を困惑させます。
そんな折、「五節の舞(ごせちのまい・天皇即位の際などに唯一女性の舞う雅楽)」の舞姫の話が土御門家の倫子に舞い込みます。
倫子は
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女狂いの帝の目に留まったら大変!
と舞を拒否。
代わりに
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目に留まらない自信があるわ!
と自虐するまひろが舞姫を引き受けることになりました。
当日。
稽古を積み、初めて宮中に上がったまひろですが、舞のさなかに 道長の姿を発見し、またその隣に母の憎い 敵・道兼(玉置玲央)の姿を見つけてしまいます。
その時初めてあの三郎が右大臣家の三男であり、母の敵の弟だと知るのでした。
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大河ドラマ『光る君へ』第4話|『光る君へ紀行』
えさし藤原の郷
(出典:『えさし藤原の郷』公式ホームページ)
第四話の『光る君へ紀行』では「五節の舞」のロケ地でもある「えさし藤原の郷」が紹介されました!
岩手県奥州市にある歴史テーマパークです。
映画やドラマの撮影にもよく使われていて「みちのくのハリウッド」ともよばれています。
しっかりと時代考証された史実に厳密な建物などを再現しており、奥州藤原氏の軌跡を巡ることができます。奥州藤原氏といえば源義経を平家から匿って養育したことでも有名ですね。
平安貴族の屋敷など大小約120棟の建物を見ることができます。
寝殿造と呼ばれる平安時代や鎌倉時代の貴族たちが暮らしていた住宅の建築様式が素晴らしいと口コミ評価も高いです。
(出典:『えさし藤原の郷』公式ホームページ)
また、桜、藤、紫陽花、睡蓮、萩など四季折々の花も目を楽しませてくれます。源氏物語のテーマである「藤」もきっと「光る君へ」を彩っていそうですね。
(出典:『えさし藤原の郷』公式ホームページ)
時代衣装・鎧の着付けや、トリックアート体験など大人から子どもまで広い年齢層が楽しめる場所のようです。
「えさし藤原の郷」定休日・開園時間・アクセス情報
住所 | 岩手県奥州市江刺岩谷堂字小名丸86-1 |
---|---|
定休日 | 無休 |
開園時間 | 9:00〜17:00 |
料金 | 入園大人1000円、高校生800円、小・中学生500円 |
アクセス | JR水沢江刺駅→車15分東北道水沢ICから県道8号経由15分 |
駐車場 | あり |
大河ドラマ『光る君へ』第4話の舞台
土御門邸跡(つちみかどていあと):源倫子の邸宅
第四話では宇多天皇の血筋をひく源倫子の一族”土御門家”が登場します。
(赤い紐でつながれた可愛いネコが飼われていますね♪)
その邸宅は「土御門邸」と呼ばれ、後に道長も暮らすことになります。
右大臣、左大臣の位に就き、3代にわたる天皇のもとに娘を入内させるなど天皇家の外戚として権力を思いのままにふるった道長。
栄華を極めた時に詠んだ
”この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば”
という歌が詠まれたのは、寛仁2年(1018年)10月16日。
土御門邸で催された月見の宴でのことでした。
長女彰子は一条天皇の中宮、次女妍子は三条天皇の中宮。そしてこの日は道長の三女威子が後一条天皇の中宮になった日です。
3人の娘を天皇に嫁がせた道長にとって、すべてを手に入れた万感の思いがあったのでしょう。
このあたりは当時いわゆる高級住宅街で、さぞ華やかな宴が開かれていたと思われますが、現在の土御門邸は、現在の京都御苑の界隈に駒札が立っているだけです。
京都御苑の中、仙洞・大宮御所の北側にあり、まひろ(紫式部)の家のあった廬山寺ととても近いことがおわかりいただけるかと思います。
住所:〒602-0881 京都府京都市上京区京都御苑