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【ネタバレ】2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』第44話あらすじ

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2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』の第44話のあらすじ

をご紹介しています。

順次あらすじを公開していきますので、お楽しみいただけると幸いです。

 

※ネタバレ含みます

 

※各話あらすじ公開中

第 1回 1月  7日 |約束の月
第 2回 1月14日 |めぐりあい
第 3回 1月21日 |謎の男
第 4回 1月28日 |五節の舞姫
第 5回 2月  4日 |告白
第 6回 2月11日 |二人の才女
第 7回 2月18日 |おかしきことこそ
第 8回 2月25日 |招かれざる者
第 9回  3月  3日 |遠くの国
第10回 3月10日|月夜の陰謀

第11回 3月17日 |まどう心
第12回 3月24日 |思いの果て
第13回 3月31日 |進むべき道
第14回 4月  7日 |星落ちてなお
第15回 4月14日 |おごれる者たち
第16回 4月21日 |華の影
第17回 4月28日 |うつろい
第18回 5月  5日 |岐路
第19回 5月12日 |放たれた矢
第20回 5月19日 |望みの先に

第21回 5月26日 |旅立ち
第22回 6月  2日 |越前の出会い
第23回 6月  9日 |雪の舞うころ
第24回 6月16日 |忘れえぬ人
第25回 6月23日 |決意
第26回 6月30日 |いけにえの姫
第27回 7月14日 |宿縁の命
第28回 7月21日 |一帝二后
第29回 7月28日 |母として
第30回 8月  4日 |つながる言の葉

第31回 8月18日 |月の下で
第32回 8月25日 |誰がために書く
第33回 9月  1日 |式部誕生
第34回 9月  8日 |目覚め
第35回 9月15日 |中宮の涙
第36回 9月22日 |待ち望まれた日
第37回 9月29日 |波紋
第38回10月 6日|まぶしき闇
第39回10月13日|あらすじ
第40回10月20日|あらすじ

第41回10月27日|あらすじ
第42回11月  3日|あらすじ
第43回11月10日|あらすじ
第44回11月17日|あらすじ

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大河ドラマ『光る君へ』第44話 あらすじ

譲位したくない三条天皇

1015年(長和4年)10月。
やっと手に入れた帝の座を失いたくない三条天皇(木村達成)は、譲位を引き延ばすため、藤原道長(柄本佑)に縁談を持ちかけます。

自身の姫皇子・禔子内親王を、道長の嫡男・藤原頼通(渡邊圭祐)にどうというのです。

しかたなく頼通の説得を試みますが、当の頼通は断固拒否。

そのようなことを父上と母上が私にお命じになるなら、私は隆姫を連れて都を出ます。藤原も左大臣の嫡男であることも捨て、2人きりで生きてまいります。

道長は、若き日の自分自身が2人で遠くの国で生きていこうとまひろに言ったことを思い出していました。

とはいえ、帝の願い(=命令)に逆らうことは謀反のようなもの。
はぐらかす道長。
苛立ち、思案する三条天皇。
三条天皇は、自らの権限を手放しても帝という地位だけは守りたい一心で、道長を左大臣のまま准摂政にします。

道長の野望

道長は、3歳になる孫・禎子内親王と暮らしている娘・藤原妍子(倉沢杏奈)を訪ねます。

父上の道具として年の離れたれた帝に入内し、皇子も産めなかった私の唯一の慰めは贅沢と酒なのでございます。

道長は、孫の禎子内親王を敦良親王の后にすると妍子に告げました。

敦良親王様の后は、妹の嬉子なのでは?

嬉子も后にたてまつります

これには妍子も驚きあきれるしかありません。

譲位へ

道長は、三条天皇に頼通の縁談を諦めさせるべく画策します。
頼通の弟・藤原教通(姫子松柾)に命じて「頼通が怨霊により重病」という噂を三条天皇の耳に入るよう広めました。

落胆する帝に藤原実資(ロバート秋山)がアドバイスします。

東宮に敦明様を立てるなら譲位しよう。
それ以外の皇子なら譲位はせぬと仰せになればよろしゅうございます。

そういたそう。そなたは唯一の朕の忠臣であるな。

資平も忠臣でございますれば、お忘れなく。

言葉通り、三条天皇は、皇后・藤原娍子(朝倉あき)との息子・敦明親王(阿佐辰美)の東宮を条件に譲位を承諾します。

道長の娘・藤原彰子(見上愛)の第一子・敦成親王が9歳で即位することとなりました。
即位礼前日、土御門邸にあるまひろの局に道長が現れました。

お父上よりもお若くして帝の摂政になられ、誠にお見事でございます。

嫌味を申すな。お前の最も嫌うことであろう。

何かご用でございますか?

用はない。お前に会いに来ただけだ。
いいとがめられてもお前と語るとなぜか安堵する。
不思議であるな。

 

後一条天皇誕生

1016年(長和5年)2月7日。
大極殿では後一条天皇(元敦成親王)の即位礼が執り行われました。
道長は幼い帝の摂政となり、いよいよ国の頂点に立ちます。

7月。
倫子の母・藤原穆子(石野真子)が86歳の生涯の幕を閉じます。
娘をのびのびと育て、夫・源雅信は左大臣、娘婿・道長は摂政、ひ孫は帝となり、誰からも愛された幸せな人生でした。

同じ頃、まひろの父・藤原為時(岸谷五朗)は家族に出家の決意を明かします。
亡き妻のちやは(国仲涼子)と息子・藤原惟規(高杉真宙)の菩提を弔いながら余生を過ごしたい、と4月に三井寺で出家しました。

 

道長は摂政になりながら、左大臣も兼務しています。
良い政を行うためにも、左大臣として陣定で公卿たちの意見を聞きたいと考えているからですが、公卿たちから権力が集中しすぎていると声が上がります。

藤原公任(町田啓太)は道長にそれを伝え、内裏の平安を思うなら左大臣を辞するべきだと助言します。

三条天皇に幾度も譲位を促していた道長ですが、今となっては左大臣の職を明け渡すことにを望まれる立場になっていました。

年末。
道長はまひろの局を訪ねます。

摂政と左大臣を辞そうと思う。
摂政まで上っても俺がやっておっては世の中は何も変わらぬ。

摂政におなりになってまだ1年にもなりませんのに。

道長は摂政の座を頼通に譲ると決めていました。

頼通様にあなたの思いは伝わっておりますの?

「道長の思い」とは「民を思う心」だと考えるまひろ。

俺の思いを伝えたところで何の意味があろう。

自らの人生を振り返り、虚しい気持ちになる道長。

頼通様に伝わらなくてもいずれ気づかれるやもしれません。
そして次の代、その次の代と。
一人で成せなかったことも時を経れば成せるやもしれません。
私はそれを念じております。

そうか、ならばお前だけは 念じていてくれ。

 

1017年(寛仁元年)3月。
道長を継いで後一条天皇の摂政となった頼通は、内大臣と兼務します。
空席となった左大臣の座には藤原顕光(宮川一朗太)、右大臣には道長の叔父・藤原公季(米村拓彰)が座ります。

頼通が摂政となったことを祝い、妻・隆姫、弟・教通(姫子松柾)、妹・威子と嬉子、母・倫子(黒木華)が高倉殿に集います。

威子に後一条天皇に入内してほしいと頼む頼通。
威子は19歳、後一条天皇は11歳。
9つの年齢差があるため威子は嫌がりますが、結局は翌年の春に入内します。

三条院は、藤原娍子(朝倉あき)と東宮・敦明親王(阿佐辰美)に見守られながら息を引き取りました。その後、敦明親王は東宮を降ります。

このよをば 我がよとぞ思ふ

1018年(寛仁2年)10月。
彰子が太皇太后、妍子が皇太后、威子は中宮となり、3つの后を道長の娘が独占すると、土御門邸では宴が催されます。

今日の佳き日を迎えることができ、これに勝る喜びはない。心より礼を言う。

父上と兄上以外 めでたいと思っているものはおりません。

と妍子。

頼通がよりよき政を行えるよう願っておる

彰子だけが返事をします。

宴も酣になってくると道長が歌を詠みます。

このよをば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

「このよ」は「この夜」と「この世」、「もちづき」は后となった三姉妹のこと。

道長は返歌を求めましたが、実資に、あまりに優美すぎて返歌は詠めない、みんなでこの歌を唱和しましょうと断られます。

藤原道長の娘たち
右大臣、左大臣の位に就き、3代にわたる天皇のもとに娘を入内させるなど天皇家の外戚として権力を思いのままにふるった藤原道長。
栄華を極めた時に詠んだ
”このよをば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば”という歌はあまりにも有名です。
この歌が詠まれたのは、1018年(寛仁2年)10月16日。
土御門邸で催された月見の宴でのことでした。
彰子は一条天皇の中宮。
妍子は三条天皇の中宮。
となったこともすごいですが、
この日は
彰子が太皇太后
妍子が皇太后
威子が後一条天皇の中宮になりました。
その後、末娘嬉子と妍子に大切に育てられた孫禎子も敦良親王(後朱雀天皇)に入内します。

次回のあらすじ

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