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『ブラッサム 』葉野清重(三浦誠己)実在モデル|宇野千代の伯父・宇野政介

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宇野千代さんの伯父・宇野政介さんは、宇野家の家系において、そして宇野千代さんにとって、非常に重要な役割を果たした人物です。

こちらでは、宇野千代さんの伯父・宇野 政介さんについてご紹介します。

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「葉野清重」とモデル「宇野政介」の共通点・相違点

葉野清重(はの きよしげ)
キャスト:三浦誠己
清治の弟。兄の代わりに「葉野酒造」を継いだ。

三浦誠己さん演じる葉野清重は、ヒロインの父・葉野清治の弟で「兄に代わり本家を継ぎ、葉野酒造を守っていく存在」として描かれます。
史実の宇野政介さんは「兄で長男」。
本家の酒造を継いだ点は共通しているものの、順当な継承だったといえます。

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「葉野清重」モデル「宇野政介」とは

宇野政介
宇野政介さんは、宇野千代さんの父・俊次さんの兄(千代さんの伯父)であり、山口県岩国で代々続いた宇野家の本家を継ぎ、酒造業や地域で事業を手がけた人物です。実母を亡くした千代さんを一時、本家で預かり育てています。

宇野家は、山口県玖珂郡下久原村(現在の山口県岩国市)で代々に渡り酒造業を営む裕福な一族でした。
周防国鞍掛山城主・杉隆泰の家老・宇野筑後守正常を先祖に持ち、その三男の末裔が酒造業を営むことになったといわれています。

政介さんの生没年については、明確なデータが見つかりませんでしたが、弟の俊次さんが1855年(安政2年)生まれであり、政介さんは長兄にあたるため、1850年代前半以前の生まれであると推測されます。

「宇野酒造」継承者

両親である宇野茂吉・シン夫妻の間には、弟3人、妹2人を含む7人の子供がいました。
政介さんはその「長男」であり、俊次さんは「次男」にあたります。政介さんは長男として、莫大な資産を持った宇野酒造の跡を継ぎ、当主となりました。

この政介さんの代で宇野家の家運はますます隆盛になり、「分限者(資産家)」と言われるようになりました。

宇野千代さんの著書『残つてゐる話』には、「高森の宇野」=「分限者の代名詞」だったと書かれています。

姪・千代との関わり

1歳半〜2歳の頃に生母トモさんを肺結核で亡くした際、千代さんは高森村の本家の伯父政介さんの元へ預けられ、保護されました。

預けられていたのは短い期間ですが、その後も何度か本家に行く機会があった千代さんは、店を采配する政介さんの姿を見て、その仕事ぶりに驚いています。

※宇野政介さんの実際の身体状況(足が不自由であったか等)についての明確な歴史的事実・記載や、該当する信頼できるWeb上の引用元(リンク)を見つけることができませんでした。

弟・俊次への「経済的支援」

生涯一度も定職に就かず、競馬や博打、骨董品の買い漁りに明け暮れていた弟の俊次さんですが、なぜそれでも生活が成り立ち、川西に大きな家を構えていられたのかというと、兄の政介さんが本家から毎月多額の仕送りをし続けていたかもしれない、と宇野千代さんは回想しています。

私の記憶では、毎月の朔日と十五日とに、高森から状箱に入れた金が届いて来た。

政介さんは、本家の当主として、放蕩無頼な弟の暮らしと、その家族の生計を裏からずっと支え続けていたのかもしれません。

そして、太い本家を親戚に持っていた宇野千代さんは、父が無職であるにも関わらず「千代様」と周囲から呼ばれていたそうです。

宇野家の転機

ところが1913年(大正2年)に俊次さんが亡くなると、本家は仕送りをストップ。

政介さん側からの経済的自立を迫られたことで、分家の宇野家は一気に極貧生活へと突入し、千代さんが17歳で小学校の代用教員になって家族を養うという、人生の転換期を迎えることになりました。

これをきっかけに千代さんとリュウさん、弟妹たちの絆はより深まります。
その後、千代さんは岩国を出て作家として東京で大成功し、リュウさんたちに仕送りを続けたのでした。

政介さん自身は堅実に実家の商売を守った責任感ある実業家であり、結果的に分家の自立を促した人物、ひいて宇野千代さんの成功とも関わりがあるといえるのではないでしょうか。

ドラマの中でも兄弟の性格や生き方が対照的に描かれると考えられます。
奔放な兄に翻弄され、いかにして酒造の跡を継ぐことになるのか。経済的支援はどうなるのか、注目していきたい人物の一人です。

 

【参考文献】
『生きて行く私』角川書店
『おはん・風の音』中央公論社
『残つてゐる話』集英社

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