2026年NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』
第31話「 これで、お別れにございます」
あらすじ
をご紹介しています。
お楽しみいただけると幸いです。
※ネタバレ含みます
大河ドラマ『豊臣兄弟!』第31話 あらすじ

三法師、岐阜城に
1582年(天正10年)8月。
清須会議の結果、首尾よく肥沃な山城の国を手に入れた秀吉は、自らの拠点となった山崎城に腰を据えていました。
しかし、天下の覇権へ向けて動き出した矢先、安土からただならぬ急報の書状が届けられます。
なんと、織田信孝が安土城に留まっていたはずの三法師を、独断で自らの本拠地・岐阜城へと連れ去ってしまったというのです。
「戦で焼け落ちた安土城の修繕が終わるまで、我が手元で安全に保護する」というのが信孝の表向きの言い分でしたが、信孝はこのまま幼い三法師を人質のように囲い込み、懐柔することで、織田家を意のままに操る魂胆なのだろうと秀吉は即座に推測しました。
一触即発の空気が流れるなか、小一郎は冷静に「三法師様を力づくで奪い返すのではなく、安土城の普請を総括している丹羽長秀に修繕を急がせ、引き渡しの正当な口実を作るべきだと進言しました。
一方、黒田官兵衛は「信孝様が単独でこれほどの大胆な挙に出るとは思えぬ。背後で糸を引く黒幕がおるはず」と、周囲の不気味な連動を警戒しています。
「だからわたしはここにいるのです」
同じ頃、秀吉の策略によって柴田勝家と夫婦になり、越前・北庄城へと移っていた市の元へ、秀吉からの書状が届いていました。
広げた書状に並んでいたのは、「信孝殿の行為は清須での取り決めに明白に反する。もしこの一件に柴田勝家が関わっているのなら、ただちに手を引くよう、妻として夫を諌めてほしい」という、尊大な警告の文面でした。
かつて秀吉は、この婚姻こそが織田家のためだと話していましたが、聡明な市は、秀吉の肚の底にある「織田信長に成り代わろう」という凄まじい野心をすでに見抜いていました。
市が勝家への輿入れを承諾したのは、秀吉に従うためではなく、秀吉の手から織田家を死守するため、あえて織田の宿老である勝家に我が身を預けた、決死の対抗策だったのです。
逆臣・秀吉を討つ。
市は怒りに震える手で、秀吉の書状を無残に破り捨てました。
秀吉への反発
一方、京を立った小一郎は、丹羽長秀が新たに居城とした近江・坂本城を訪ねていました。
長秀を動かし、一刻も早く安土城の普請を急がせようという目論見でした。
しかし、対面した長秀は冷たく小一郎を拒絶します。
そればかりか、長秀は清須以降の秀吉の専横と増長に対し、言い放ちます。

すっかり上様の後を継いだ気でおるのか。
筑前に伝えよ。
もはや共に三法師様をお支えることなどできぬと。
かつては好意的だった長秀からの、絶縁の言葉。
小一郎はそれ以上言葉を返すこともできず、城を追い出されてしまいました。
重い足取りで坂本城の門を出た小一郎は、そこで偶然にも、勝家陣営に属している前田利家と鉢合わせをします。
せめて利家から勝家の具体的な動向を探ろうと必死に声をかける小一郎でしたが、かつては親しかったはずの利家もまた、今の秀吉に対して剥き出しの敵意と冷ややかな視線を浴びせるだけでした。
信長の葬儀
味方だと思っていた織田の重鎮たちが、次々と秀吉包囲網を形成していくーー。
山崎城の一室で、孤立無援を予感した小一郎が、危機感を露わにして兄・秀吉に警告しています。
周囲に敵を増やしすぎた現状を打破するため、小一郎は勝家や長秀らとの「和解の場」を設けるための奇策を提案。
それは、織田家の正統な後継者である幼き三法師を喪主に据え、天下に羽柴の正当性を示しつつ、大々的に信長公の葬儀を執り行うというものでした。
ところが、その目論見は無残に打ち砕かれます。
織田家の諸将へ送った案内に対し、返ってきたのは一斉に参列を拒絶する書状の山でした。
ーーなんと、信長公の四十九日法要は、すでに市を喪主として、京の妙心寺で密かに営まれていたのです。
そこには織田信孝、柴田勝家、丹羽長秀、さらには池田恒興に至るまで、織田家の主だった面々がことごとく参列していました。
自分だけが完全に蚊帳の外に置かれていたという衝撃の事実。
それを知った瞬間、秀吉は、真に戦うべき恐るべき敵が、浅はかな信孝や無骨な勝家などではなく、織田の血を体現する「市」その人であることを、悟ったのです。
1582年(天正10年)10月
そのままでは終われない秀吉は、信長の血を引く自らの養子・秀勝(信長の五男)を喪主に担ぎ出し、妙心寺に対抗して大徳寺でさらに大規模な葬儀を強行するという、力ずくの報復措置を決断しました。
小一郎と市
一方、その頃の岐阜城。
市と勝家は、信孝に対して「三法師様をひとまず安土へお返しなされ」と強く促していました。
しかし、秀吉への激しい対抗心に狂う信孝は、頑として応じることはありません。
身内の足並みをも乱れ始めたその北庄城へ、小一郎が単身、決死の覚悟で乗り込んできました。
小一郎は市との面会を果たし、必死に言葉を紡ぎます。
自分たち羽柴家は、決して織田家をないがしろにするつもりなどないこと、どうか共に生きる道を模索してほしいと訴えかけました。
しかし、市は、もはやかつてのような関係には戻れないと冷酷に突き放します。
そして、真っ直ぐに小一郎を見据え、今の秀吉の暴走を支える覚悟が本当にあるのかと、その魂を試すように問いかけました。

この私を殺してみよ。
織田家を滅ぼすとはそういうことじゃ。
できぬのならお前らに勝ち目はない。
兄上の志は、この私が受け継ぐ。
そなたらなどに渡さぬ。
織田信長の生き写しのような、凄まじいまでの威風と殺気。
その言葉の重みに、小一郎は一歩も動けず、ただ圧倒されるしかありませんでした。
秀吉の調略
しかし、時代は市の執念をも超える速度で、秀吉の手によって裏から塗り替えられていました。
丹羽長秀の元を、前田利家が訪ねます。
長秀は「筑前(秀吉)につくことに決めた」と利家に明かします。
驚く利家に対し、長秀は秀吉から届いた一通の書状を見せました。そこには、秀吉の天才的な裏工作によりすでに調略され、羽柴側に寝返った諸将の名がズラリと連なっていたのです。
さらに秀吉は、黒田官兵衛の鮮やかな調略により、信孝の兄である織田信雄をも完全に味方に引き入れることに成功していました。
「信長公の次男・信雄様が、我が陣営におられる」
これ以上ない完璧な大義名分を手に入れた秀吉。もはや迷いはありませんでした。
秀吉と小一郎は、反旗を翻した信孝の立てこもる岐阜城へ向けて、ついに天下分け目の大軍勢を出陣させる決意を固めたのでした。

