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『あんぱん』やなせたかしといずみたく(いせたくやモデル)の関係

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朝ドラ『あんぱん』の中で、北村匠海さん演じる柳井嵩は一人の作曲家と出会います。
それが、大森元貴さん演じるいせたくや。

いせたくやの実在モデルは、昭和の大作曲家いずみたくさんです。

こちらのページでは、朝ドラ『あんぱん』
柳井嵩といせたくやの実在モデル、
やないたかしさんといずみたくさんの関係と出会い、そして絆についてご紹介いたします。

お楽しみいただけましたら幸いです。

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やなせたかしといずみたくの関係

では、まずやなせたかしさんといずみたくさんの、関係と共通点、作品をご紹介いたします。

2人の関係

作詞家、絵本作家、漫画家として知られ、「アンパンマン」の作者として特に有名なやなせたかしさん。

いずみたくさんは、作曲家として、数々のヒット曲を生み出し、「見上げてごらん夜の星を」や「いい湯だな」などが代表作として挙げられます。

やなせたかしさんといずみたくさんの関係をひとことで表すと「名コンビ」。

2人はミュージカル「見上げてごらん夜の星を」での出会いをきっかけに、数々の曲を生み出していきます。

やなせたかし作詞、いずみたく作曲の「手のひらを太陽に」は、童謡として広く親しまれています。

その後、やなせたかしさんといずみたくさんは、「アンパンマン」のテーマ曲をはじめ、多くの作品でタッグを組んでいます。

2人の共通点

・名前がひらがな
仕事の際は、2人ともひらがな表記の名前です。
当時の流行りというのもあるかもしれません。

・中黒
姓と名の間に中黒を付けて「やなせ・たかし」「いずみ・たく」と表記される場合もありました。
こちらも当時、流行っていたようです。

・本名
柳瀬嵩(やなせたかし)
今泉隆雄(いまいずみたかお)
2人とも本当は「たかちゃん」だという話をされ、親近感を覚えておられたようです。

2人の作品

作詩:やなせたかし、作曲:いずみたくの作品をご紹介いたします。

【楽曲】

手のひらを太陽に
アンパンマンのマーチ
怪傑アンパンマン
勇気の花がひらくとき
すすめ!アンパンマン号
私はドキンちゃん
ドキン・ドキン・ドキンちゃんードキンのうたー
ずっこけ!ばいきんまん
いくぞ!ばいきんまん
生きてるパンをつくろう
おなじみしょくぱんまん
とべ!カレーパンマン
山育ちかまめしどん
DO YOU KNOW カツドン?
こむすびまん元気旅
てんどんまん自慢歌
ルンルンおむすび仁義
バナナダンス
シドロ アンド モドロ
海はふるさと
幸福のデュエット
タンゴおでん三姉妹
だれだって一人じゃない
アンパンマン音頭
ホラーマンメチャクチャチャ
星の炎に
おりがみの歌
とべ!とべ!ちびごん
あかちゃんまんのぼうけん
トナカイの鈴(赤鼻のトナカイ)
クリスマスの谷
アンパンマンのクリスマスナイト

【ミュージカル】

怪傑アンパンマン(1976年)
チリンの鈴(1982年)
チオバラニ(1983年)
アンパンマンの冒険(1988年)
それいけ!アンパンマン-**アラビアンナイト(1990年)
それいけ!アンパンマン-アンパンマンと勇気の花(1992年)

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出会い・初めてのタッグ

やなせたかしさんといずみたくさんの出会い、そしてその後の関係をご紹介いたします。

出会い|ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」

やなせたかしさんといずみたくさんは
1960年のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」で初めて出会います。

やなせたかしさんが舞台美術を、いずみたくさんは音楽を担当していました。

やなせたかしさんは、作・演出の永六輔さんからいずみたくさんを紹介されます。

「見上げてごらん夜の星を」(作詞:永六輔)は大ヒット。
やなせたかしさんは、次のように評されています。

このリリカルな歌は作曲家いずみ・たくの本質がよく出ていて、やはり彼の代表作の上位に入る。
(引用:『アンパンマンの遺書』やなせたかし著)

一方、いずみたくさんはこれをきっかけに仲良くなったことを回想されています。

やなせサンとは不思議な縁で一緒になった。つまり、やなせサンは、昭和三十五年に初演された「見上げてごらん夜の星を」の美術担当であったのだが、その後気が合ったというか、くされ縁なのかわからないが、一緒に作った「手のひらを太陽に」という曲が全国を風靡した。
(引用『新ドレミファ交遊録』いずみたく著)

初タッグ|「手のひらを太陽に」

1962年「手のひらを太陽に」は、やなせたかしさん作詞、いずみたくさん作曲で、宮城まり子さんに提供されました。

(当時、宮城まり子さんは、やなせたかしさんが構成作家だったニュースの司会者でした。)

歌詞について、やなせたかしさんはこのように述べておられます。

退屈だから仕事場にあった懐中電燈を自分の手のひらに当てて子どものときのレントゲンごっこを思い出して遊んでいたら、血の色がびっくりするほど紅くてきれいで見惚れてしまいました。
そのときに「手のひらを太陽にすかしてみれば」のフレーズを思い出したのです。
まさかそれが広く歌われる歌になろうとは、夢にも思いませんでした。
(引用:「人生なんて夢だけど」やなせたかし著)

やなせたかしさん自身は、面白くない歌詞だと感じたそうですが、この曲は子供向けの童謡としてだけでなく、大人にも愛される名曲となりました。

2人の約束

「手のひらを太陽に」で息のあった歌を作り上げた2人は、継続してコンビで作詞作曲をしていくことになります。

このようなつき合いのなかで、とちらからともなく、「一ヵ月に一曲ずつ歌を作ろうよ」ということになった。「それは大人の歌でも子供の歌でもなく、みんな、、、が歌える歌」ということで、昭和四十五年から作り続けてきた。もちろん今でも作っているが、今では「どちらかが死ぬまでやめられないね」という状態である。
(引用『新ドレミファ交遊録』いずみたく著)

「大人の歌でも子供の歌でもなく、みんな、、、が歌える歌」
というこだわりを持ち、2人は同じ方向へと邁進します。

「たくチャン、ちょっといい詩ができたんだけど作曲してよ」
よくボクの家に彼から電話がかかってきた。
ヒューマニズムに溢れた、彼のマンガのような詩は、とても作曲しやすかった。
(引用『ドレミファ交遊録』いずみたく著)

お互いの才能を認め合い、2人でタッグを組むことで相乗効果があることがわかっていたのかもしれません。

しかし、それ以上に男の友情のようなものを感じられます。
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アンパンマン

絵本アンパンマンがミュージカルになった経緯、アニメ化した経緯をご紹介いたします。

アンパンマンのヒーロー像

「アンパンマンって何ですか?やなせサン」

ある日、いずみたくさんはそんな疑問を投げかけます。

「たくチャン、それはね、スーパーマンをはじめ、何とかマンというのは、皆、残虐で血ばかり流している。それが嫌いだから、ヒューマンなスーパーマンを考えたんだ」

ミュージカル「怪傑アンパンマン」

その言葉を聞いたいずみたくさんは
1976年、ミュージカル「怪傑アンパンマン」を作り、いずみたくさんの劇場で上演しました。

とても評判が良く、全国に巡業し始めると、やなせたかしさんは、ジャムおじさんやバタコさんなど、どんどん新キャラを生み出します。

2作目、3作目と続くうち、ドキンちゃんやおにぎりマン、テンドンマン、釜飯どんとさらにキャラクターが増えていきました。

その様子を間近で見ていたいずみたくさんは、

アンパンマンを作ったのは、ジャムおじさんではない、やなせたかしサンなのだ。
(引用『新ドレミファ交遊録』いずみたく著)

と断言します。

アニメ化

その後、ミュージカルの評判を聞きつけたTV局などから問い合わせが殺到すると、あっという間にアニメ化(1988年)の話が進みます。

アニメソングも担当したいずみたくさん。

いずみたくさんは、自身がこれまで作曲してきたどのヒット曲よりも有名になったことに驚くのでした。

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やなせたかしといずみたくの絆

いずみたくさんから見たやなせたかしさんを、著書から引用してご紹介いたします。

いずみたくから見たやなせたかし像

その旺盛な挑戦力というか、若々しさというか、純粋というか、とにかく馬鹿馬鹿しくいい人、、、である。そうとしかいいようのない童心である。
やなせサンはボクたちより大先輩であって、大正生まれであるが、なぜかとても若々しく青年のような感じがして、ボクなどは時どきくさってしまう。
やなせサンは始終ニコニコ笑いながら、優しく話す。しかし、その優しさの中に、時どきプロとしても厳しさを覗かせ、若いプロデューサーや、編集者をドギマギさせたりする。
いい仕事は断れず、また、多忙さを愛しているのかもしれない。
「ぼくは駄目なの、駄目なんだなあ。もう描けないよ」
と始終ボヤきながら、多くの作品を生み出す、青年のように挑戦していくやなせサン。ボクはとても尊敬するし、真似したい。

(いずれも引用『新ドレミファ交遊録』いずみたく著)

若者のように純粋で好奇心旺盛なやなせたかしさんの人間性や仕事への姿勢を尊敬されていたのですね。

最後のタッグ|「すすめ!アンパンマン号」

やなせたかしさんといずみたくさんは、数々の名曲を世に送り出したビジネスパートナーというだけではなく、深い絆で結ばれていました。

かねてより肝臓について医者から注意を受けていたいずみたくさん。肝炎を患っていました。

ライフワークとしてミュージカル「アンパンマン」に携わり、アニメ「それいけ!アンパンマン」の曲作りをしてきましたが、

「すすめ!アンパンマン号」(ミュージカル『アンパンマンと勇気の花』挿入歌)が遺作となりました。

やなせたかしさんによると、病状が悪化したため他の作曲家に依頼するプランもあったものの、いずみたくさんが引き受け、病床で妻に口述筆記させて完成させた曲なのだそうです。

編曲を担当したいずみたくさんの弟子・近藤浩章の話では、いずみたくさんが亡くなったのは、編曲作業が終了し録音に入る直後だったということです。

亡くなる直前まで作曲をされたいずみたくさん。

プロ意識、ライフワークであるアンパンマン、大好きなミュージカルという理由もあるかと思いますが、尊敬する盟友・やなせたかしさんの作品だという思いが、いずみたくさんをここまで突き動かしたのだと想像してしまいます。

 

【参考文献】
『人生なんて夢だけど』やなせたかし:フレーベル館
『アンパンマンの遺書』やなせたかし:岩波書店
『新ドレミファ交遊録ーミュージカルこそわが人生』いずみたく:サイマル出版会

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