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『ブラッサム』藤川優子(松たか子)モデル|宇野千代秘書・藤江淳子

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2026年朝ドラ『ブラッサム』

こちらでは、松たか子さん演じる

藤川優子の実在モデル・藤江淳子(ふじえあつこ)さん

についてご紹介します。

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『ブラッサム』藤川優子と藤江淳子の共通点

藤川優子(ふじかわ ゆうこ)
キャスト:松たか子
葉野珠の秘書。
公私にわたり生活を共にし、彼女を支え続ける。

松たか子さん演じる藤川優子は、ヒロインの秘書である点、実の親子のように生活を共にし寄り添い続けた点が、藤江淳子さんと共通しています。

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『ブラッサム』藤川優子モデル・藤江淳子とは

プロフィール

藤江淳子(ふじえあつこ)
宇野千代と暮らしを共にし、最晩年まで公私にわたって支え続けた。
その後「株式会社宇野千代」の代表や「NPO宇野千代生家」の理事などを通して、宇野千代の文学やブランドを継承・管理。

藤江淳子さんは、作家・宇野千代の元秘書であり、千代の晩年を公私ともに深く支え続けた人物です。

出身地

宮城県仙台市

愛称

藤江淳子さんは、宇野千代さんから「淳(あ)っちゃん」の愛称で呼ばれていました。

生没

1929年(昭和4年)〜2023年(令和5年)

母娘のような関係だった藤江淳子さんと宇野千代さんとの年齢差は、32歳。

宇野千代さんが長寿だったことは有名ですが、藤江淳子さん自身も、昭和一桁から平成、令和と3つの時代を駆け抜け、94歳で永眠されています。
宇野千代さんの没後27年経った頃のことです。

家族

不明ですが、宇野千代さんの自伝的エッセイ『生きて行く私』の中の

私はうちの藤江広と淳子あつことつれ立って出発した。

という一文から、藤江広さんというご家族がおられた可能性があります。

宇野千代を支えた期間

36年間
1960年(昭和35年)〜1996年(平成8年)

私が仙台から上京し、この青山のお宅で宇野先生のお世話をする仕事に就いたのが昭和三五年。そのとき、先生は六三歳でした。北原武夫先生とは、同じ敷地内で母屋と離れとに別居していました。

藤江淳子さんは、31歳頃から67歳頃、つまり宇野千代さんが亡くなるまで、同居し寄り添い続けられました。

なお、藤江淳子さんが理事を務めた「NPO宇野千代生家」公式サイトでは
「藤江は昭和33年(1958)、北原武夫の縁で千代のもとへ来た。」
とあり、それ以前に2年ほどスタッフとして仕事をし、一緒に暮らし始めたのが1960年(昭和35年)ということでしょうか。

先生は一緒に暮らしていて本当に飽きない人。私と相性が良かったんでしょうね。尊敬だけではもちません。そう相性だけと言っても過言ではないと思います。

実の家族以上に気が合い、宇野千代さんが亡くなった後もブランドを守り続けたことを考えると、いかに気が合ったか、その寄り添った時間は大変な長さでした。

葬儀では喪主を務め、1997年(平成9年)の一周忌には、納骨の際、藤江淳子さんの抱える骨壺に一匹の白い蝶がとまったという逸話も残されています。

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『ブラッサム』藤川優子モデル・藤江淳子の語る宇野千代

藤江淳子さんは、宇野千代さんの日常を語っておられます。
その宇野千代像がすてきですので、少しご紹介させていただきます。

食生活

私が来た当時、先生はスタイル社(昭和11年に創立)が倒産したばかりでとても貧乏でした。食事といえば鮭とご飯。(中略)うちは大威張りで粗食です。粗食だから先生長生きしたのでしょうね。

宇野千代さんが貧乏でなくなってからもずっと鮭をおかずにご飯を食べていたため、鮭が好物だっただけかも?と回想されています。
宇野千代さんは、アジの干物やほうれん草の胡麻和えといった、どこの家庭でも食べているような素朴な食事をずっと続けておられたそうです。

また、宇野千代さんは大きな瓶にらっきょうを漬けており、それは尾崎士郎さんと暮らした時代から続いていたとか。

時代が変わっても、お金持ちになっても、宇野千代さんの食生活や習慣は変わらなかったそうです。

これは生活を共にした方でないと語れないリアルなお話ですね。

「おしゃれしないのは泥棒よりひどい」

お化粧も昔から同じで、ほんの5分。
顔洗ってオリーブオイルを塗り、お白粉をちょちょっと叩いて、頬紅に少し眉をかいて口紅をつけておしまい。

宇野千代さんは、急な来客の際には親戚であっても絶対に素顔では会わないと決めていたそうです。
周囲から見ればそのままでもまったく問題ないようでも、ご本人は素顔を見せることを恥ずかしいと考え、「おしゃれしないのは泥棒よりひどい」と言っていたとのこと。

「最高ですよ」

私が「おはようございます、ご気分はいかがですか」と挨拶すると、どんな時でも必ず「最高ですよ」と返ってきました。入院している時ですら「最高ですよ」って。

周りもハッピーにさせる、「最高ですよ」という言葉同様に、宇野千代さんは、他にも「幸せだなあ」など前向きな言葉を普段から口に出されていたそうです。

「才能は情熱でカバーできる」

人間は何でもできると思えばできる才能は情熱でカバーできるというのが先生の口癖でした。

藤江淳子さんは、文学志望でもデザイン経験もありませんでしたが、宇野千代さんに教えてもらい、着物のデザインができるようになっていました。

「自分を褒めてくれる人のそばに寄りなさい」

それから「自分を褒めてくれる人のそばに寄りなさい」と言われ続けていましたね。何でもケチをつけるような人からはすぐどきなさいと。

褒められると誰でも嬉しくなり、より一生懸命取り組んだり工夫したりする、そんな褒め上手の宇野千代さんのおかげで、藤江淳子さんたちスタッフはみな、素直で前向きな気持ちになれたそうです。

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『ブラッサム』藤川優子モデル・藤江淳子まとめ

藤江淳子さんは、宇野千代さんの最晩年までを支え、没後もその意志とブランドを護り続けた唯一無二の存在でした。

「最高ですよ」と笑う千代さんと、それを温かく支え続けた淳子さん。日常のリアルな素顔を知ることで、宇野千代作品や『ブラッサム』がより深く、温かく心に響いてくるかと思います。

お二人が築いた36年間の絆と、日常の素顔。
朝ドラ『ブラッサム』のなかでどのように描かれるのかが楽しみです。

 

【参考文献等】
「或る日記」宇野千代
「「あっちゃん」が語る普段着の先生」藤江淳子
『生きて行く私』宇野千代
新潮社(https://www.shinchosha.co.jp/writer/8037)
宇野千代顕彰会(https://unochiyo-kensyoukai.com)

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