2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』の第41話のあらすじ
をご紹介しています。
順次あらすじを公開していきますので、お楽しみいただけると幸いです。
※ネタバレ含みます
※各話あらすじ公開中
第 1回 1月 7日 |約束の月
第 2回 1月14日 |めぐりあい
第 3回 1月21日 |謎の男
第 4回 1月28日 |五節の舞姫
第 5回 2月 4日 |告白
第 6回 2月11日 |二人の才女
第 7回 2月18日 |おかしきことこそ
第 8回 2月25日 |招かれざる者
第 9回 3月 3日 |遠くの国
第10回 3月10日|月夜の陰謀
第11回 3月17日 |まどう心
第12回 3月24日 |思いの果て
第13回 3月31日 |進むべき道
第14回 4月 7日 |星落ちてなお
第15回 4月14日 |おごれる者たち
第16回 4月21日 |華の影
第17回 4月28日 |うつろい
第18回 5月 5日 |岐路
第19回 5月12日 |放たれた矢
第20回 5月19日 |望みの先に
第21回 5月26日 |旅立ち
第22回 6月 2日 |越前の出会い
第23回 6月 9日 |雪の舞うころ
第24回 6月16日 |忘れえぬ人
第25回 6月23日 |決意
第26回 6月30日 |いけにえの姫
第27回 7月14日 |宿縁の命
第28回 7月21日 |一帝二后
第29回 7月28日 |母として
第30回 8月 4日 |つながる言の葉
第31回 8月18日 |月の下で
第32回 8月25日 |誰がために書く
第33回 9月 1日 |式部誕生
第34回 9月 8日 |目覚め
第35回 9月15日 |中宮の涙
第36回 9月22日 |待ち望まれた日
第37回 9月29日 |波紋
第38回10月 6日|まぶしき闇
第39回10月13日|とだえぬ絆
第40回10月20日|君を置きて
第41回10月27日|揺らぎ
第42回11月 3日|川辺の誓い
第43回11月10日|あらすじ
第44回11月17日|あらすじ
第45回11月24日|あらすじ
第46回12月 1日|あらすじ
第47回12月 8日|あらすじ
第48回最終話12月15日|あらすじ
大河ドラマ『光る君へ』第41話 あらすじ
三条天皇の人事
事情を聞き双寿丸(伊藤健太郎)にお礼を言うまひろ(吉高由里子)ですが、いと(信川清順)は言います。
姫様は越後守の御孫君。お前が親しくするようなおなごとは身分が違うのだから。
姫様って面でもないよな
その言葉に賢子(南沙良)は声を上げて笑います。
夜、まひろが
お前はあのような武者にも優しいのね。
あのように言われ方をされても怒ることもなく。
私は怒ることが嫌いなの。
私にはよく怒っていたわよ。
母上以外には怒っていません。
さすが道長(柄本佑)の子。気質を受け継いでいるとまひろは感じます。
藤原彰子(見上愛)は息子である敦成親王(濱田 碧生)が撫子で遊んでいるのを見て歌を詠んでいます。
見るままに 露ぞこぼるる おくれにし 心もしらぬ
なでしこの花
(いとしい我が子の姿を見るにつけても涙が、こぼれます。父に死に分かれた悲しい心も知らないで無心に撫子の花を手に持っている愛しい我が子よ)
三種の神器を受け継いだ三条天皇(木村達成)は、藤原公任(町田啓太)に内裏へ引っ越す手はずを整えるよう申し付けます。
藤原実資(ロバート秋山)の方が適任では、と固辞しますが、三条天皇は受け入れません。
公任は不安になり、道長に話します。
さきの天皇に重んじられた者は遠ざけたいとお考えのようにみえるが
振り回されないようにやってまいろう
さらに三条天皇は、
道長の兄・藤原道綱(上地雄輔)、道長の甥・藤原隆家(竜星涼)、道長と源倫子(黒木華)の次男・藤原教通(姫子松柾)を側近にしたいと言いました。
道長の長男・藤原頼通(渡邊圭祐)は、なぜ自分ではないのかと父に聞いてみました。
道長は答えます。
お前が先頭に立つのは、東宮様が帝になられる時だ
高松殿では、もう一人の妻・源明子(瀧内公美)の子・藤原顕信(百瀬朔)が、兄・藤原頼宗(上村海成)と自分はいつになれば公卿になれるのかと不満を道長に伝えてます。
倫子の長男・頼通が権中納言という位なので、納得いかない様子。
明子は、道長が考えてくれていることを諭します。
1011年(寛弘8年)8月11日。
一条天皇の四十九日にあたるこの日、三条天皇が内裏に入ります。
道長は、関白になるよう三条天皇から打診されますが、「重き慎みがある」と断りました。
予想していた三条天皇は、さらに要求をしてきます。
誠に残念なことであるが、泣く泣く諦めるといたそう。
その代わり朕の願いを一つ聞け。
娍子(すけこ)を女御とする。妍子(きよこ)も女御とする。
三条天皇から寵愛を受けている藤原娍子(朝倉あき)には後ろ盾がなく、位もないので女御にはなれないと道長は意見します。
藤原妍子(倉沢杏奈)は、道長の娘で藤原彰子(見上愛)の妹です。
娍子のことは断るでない。娍子も妍子も女御だ。
彰子とききょうと敦康親王
まひろは、局に来た道長に、敦成親王を東宮にして権力を示そうとした理由を問いました。
お前との約束を果たすためだ。
俺は常にお前との約束を胸に生きてきた。今もそうだ。
道長はこの先も娘・彰子(見上愛)を支えてほしいと付け加えました。
当の彰子は、自分の意に反して道長が敦成親王を東宮にしたことで、かえって父の言いなりになるばかりでなく自らの考えを持っていきたいと考えるようになっていました。
まひろはのその意志の強さを知り、彰子もまた道長の気質を受け継いでいると感じます。
秋。
藤壺では和歌の会を開かれています。
メンバーは、赤染衛門(凰稀かなめ)、和泉式部(泉里香)、頼通、頼宗、まひろら女房たち。
赤染衛門
誰にかは 告げにやるべき もみぢ葉を 思ふばかりに 見む人もや(赤染衛門集156)
(誰に告げたらいいのだろう この美しい紅葉を心ゆくまで一緒に見る人がいてほしい)
まひろ
なにばかり 心づくしに ながめねど 見しにくれぬる 秋の月影(紫式部集109)
(それほどの物思いを尽くして眺めたわけではないのに 見ているうちに涙に暮れてしまった秋の月影)
あかね
憂きことも 恋しきことも 秋の夜の 月には見ゆる 心地こそすれ (和泉式部集507)
(辛いことも 恋しいことも 秋の夜の澄んでいる月には映って見えるような気がするわ)
会の途中で、ききょう(ファーストサマーウィカ)の訪問を宮の宣旨(小林きなこ)が伝えます。
ききょうは敦康親王(片岡千之助)から彰子への椿餅を持っていました。
最古のお菓子として知られており、『源氏物語』でも蹴鞠の後に椿餅を食べる若い公卿たちが描かれています。
現在の椿餅は、冬から初春のお茶席などで出されます。
煎った道明寺粉と肉桂を混ぜて蒸した生地で御膳餡を包み、椿の葉で挟んでおり、独特の香ばしさが特徴だそうです。
昔は甘い小豆餡もなく、生地に甘葛 (あまづら:つたの汁を煮詰めたもの) が入っただけのもので、現在のものとは違ったお味のようです。
亡き院も皇后様もお好きであられました。
敦康様も近頃この椿町がお気に召して、中宮様にもお届けしたいと仰せになりまして。
もう敦康様のことは過ぎたことにおなりなのでございますね 。
このようにお楽しそうにお暮らしとは思いもよらぬことでございました。
ここは私が歌を詠みたくなるような場ではございません!
もう忘れてもかまいませんと言い放ちました。
「清少納言は得意げな顔をしたひどい方になってしまった」
まひろはそう日記に記しました。
光る君のようなことはいたしませぬ。ただお顔が見たかったのでございます。
恐れながら、左大臣様は敦康様から多くのことを奪い過ぎでございます
お前は私に説教するのか
左大臣様がおかしくおわします
帰ってきたらまた家に夕餉においでなさい
まひろも一緒に食事をしていると双寿丸が、書物がたくさんあることに驚きます。賢子が書物を貸すと言うと、字は読めないと答える双寿丸。
足で書くの?
実は高貴な生まれではない?
母上、大丈夫かよ‥
賢子が文字を教えると申し出ても必要ないと断ります。
人には得手不得手がある。
俺らは体を張って戦うのに向いている。
それゆえ武者であることに誇りを持てってうちの殿様が言っていた
楽しそうに話を聞く賢子を微笑ましく見つめるまひろでした。
彰子は父の言いなりにはなりたくないとまひろに話します。
中宮様には 弟君が大勢おられましょう?
みんなで手を結べば、できないこともできます
そなたらが困った時は私もできる限りのことをするゆえ、東宮の行く末のために皆、力を貸してほしい。
父上のよりよき政のためにも、我らが手を携えていくことが大切だ。
妍子と娍子
す、き。
おやめくださいませ。
だって敦明様も延子様より私のほうがお好きだもの。
そこまで!
止めたのは、三条天皇の愛妻・娍子です。
娍子は我が息子を叱り、妍子に非礼を詫びました。
この一件から、妍子は遊びをやめ、いっそう買い物に励むようになります。
顕信の不満爆発
12月の除目が迫り、三条天皇は娍子の弟・藤原通任を権中納言に次ぐ参議に引き立てることを決めました。
半年前に蔵人頭になったばかりなので時期尚早だと道長は意見しますが、三条天皇は道長と源明子の息子・顕信を空いた蔵人頭にしてやるからと引きません。
三条天皇に借りを作りたくない道長は、これを断ります。
それを知った顕信。
道長にまた不満をぶつけます。
わけを聞いても納得がいきません。
私は父上に道を阻まれたのですね !
私はいなくても良い息子なのでございますね!
帝との力争いにこの子を巻き込んだあなたを、私は決して許しませぬ!
今回は、明子も激怒。
年が明けた1012年(長和元年)正月。
土御門邸に顕信が比叡山で出家したとの知らせが入ります。
大堰川(京都府京都市)公任ゆかりの地
桂川の「嵐山渡月橋付近から桂橋まで」の部分を大堰川(おおいがわ)と呼びます。
その名は京都遷都より前に大きな堰が作られたことに由来したと言われています。
舟遊びでも有名な大堰川。和歌、漢詩、管弦の三つの舟を浮かべ、その道を得意とする人を、それぞれの舟に乗せるのですが、何でも得意な公任は、道長にどの舟に乗るか選んでもらいました。
すると、公任は和歌の舟を選び、美しい紅葉を歌にしたといいます。
「小倉山 あらしの風の 寒ければ 紅葉の錦 着ぬ人ぞなき
(小倉山や嵐山から吹きおろす風が寒いので、落ちてきた紅葉の葉を、誰もが錦の衣のようにまとっていることだよ)」
と詠み称えられたそうです。
漢詩・和歌・管弦に堪能な才のことを「三舟(さんしゅう)の才」と呼びますが、まさに公任のことですね。
ちなみに「漢詩の舟に乗ればよかった。同じくらいの出来の漢詩を作れば、もっと名声が上がっただろう」と悔しがったと『大鏡』に記されています。
【アクセス】JR「嵯峨嵐山」下車、徒歩11分
岩倉長谷朗詠谷の碑(京都府京都市)公任ゆかりの地
出家後の公任は、現在の岩倉長谷(いわくらながたに)で余生を静かに暮らしました。
最終話あらすじの中でも書いた通り、出家後も藤原斉信などさまざまな人が訪れ、慕われていたようです。
(近くには、狩野派の絵で有名な実相院もあります。)
【アクセス】叡山電鉄「岩倉」からバス「上長谷」下車、徒歩10分