2026年朝ドラ『ブラッサム』
木村家長男の実在モデル・藤村亮一さん
についてご紹介します。
『ブラッサム』木村家長男と藤村亮一の共通点・相違点

キャスト:ー
叔母・照子の長男であり、珠のいとこ。
『ブラッサム』木村家の長男は、ヒロインのおばの長男である点が、藤村亮一さんと共通しています。
一方で、ドラマの木村保はヒロインの実母の「妹」の子の子として描かれますが、史実の藤村亮一さんは宇野千代さんの実母の「姉」の子だとされています。
『ブラッサム』木村 モデル|藤村亮一とは
藤村亮一プロフィール
婚姻期間:10日(1911 )
従兄(母の姉の子)
宇野千代さん最初の結婚相手。
『ブラッサム』木村 モデル・藤村亮一と宇野千代
10日間の結婚

1911年(明治44年)藤村家長男・藤村亮一さんは、宇野千代という従妹と祝言を挙げました。
それは、家へ遊びに来た従妹(亡き叔母の娘)の帰りが遅くなり、送ったところ「夜に男と帰ってきた」という理由でまとめられたもの。
ですがその14歳の花嫁は、わずか10日間で実家に帰ってしまい、事実上の婚姻解消となっています。
千代さん自身、後に「なぜ気に入らなかったのか自分でも分からないが、とにかく嫌でたまらず逃げ出した」という趣旨のことを語っています。
親が決めた結婚で恋愛感情は皆無だったので、宇野千代さん自身の回想や一般的な伝記において、亮一さんとの結婚は「恋愛」としてカウントされていません。
弟と再婚した元妻
さてその6年後
1917年(大正6年)宇野千代さんが、亮一さんの弟・藤村忠さんと同棲し、上京してきました。
雄一はどこの学校へも行ってはいなかった。浅草の芝居小屋の裏手にある、ごみごみしたところで、女と一緒に二階借りをして暮らしていた。
(引用『生きて行く私』宇野千代)
すでに岩国から上京していた亮一さんは、元妻と弟に再会すると、海苔巻で歓待し、一緒に暮らす女性を「ちゃきちゃきの江戸っ子」と紹介しました。
いまになると、私がこの雄一の嫁であったことなぞ、考えることも無理であった。この雄一を頼って、私たちが東京へ出て来たとは、何という不思議なことか。
(引用『生きて行く私』宇野千代)
その2年後の1919年(大正8年)、弟と宇野千代さんは結婚し、そして1923年(大正12)に正式離婚。
結局、兄弟ともに宇野千代さんから離婚されてしまう形となりました。
その後
後年、藤村亮一さんは、肺結核になり八丈島で転地療養し、そのまま島で亡くなります。
宇野千代さんが見舞いに行ったところ、その傍らには東京で同棲していた女性が付き添っており、「これが江戸っ子というものか」と感心したそうです。

