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「源氏物語」七帖:紅葉賀(もみじのが)あらすじ

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大河ドラマ『光る君へ』のなかで、ついにまひろが源氏物語をしたため始めます。

こちらでは、まひろの描いた「源氏物語」の内容・あらすじを一帖ずつご紹介します。

桐壷きりつぼ 帚木ははきぎ 空蝉うつせみ 夕顔ゆうがお 若紫わかむらさき 末摘花すえつむはな
紅葉賀もみじのが 花宴はなのえん あおい 10賢木さかき 11花散里はなちるさと 12須磨すま
13明石あかし 14澪標みおつくし 15蓬生よもぎう 16関屋せきや 17絵合えあわせ 18松風まつかぜ
19薄雲うすぐも 20朝顔あさがお 21少女おとめ 22玉鬘たまかずら 23初音はつね 24胡蝶こちょう
25ほたる 26常夏とこなつ 27篝火かがりび 28野分のわけ 29行幸みゆき 30藤袴ふじばかま
31真木柱まきばしら 32梅枝うめがえ 33藤裏葉ふじのうらば 34若菜上わかなじょう 35若菜下わかなげ 36柏木かしわぎ
37横笛よこぶえ 38鈴虫すずむし 39夕霧ゆうぎり 40御法みのり 41まぼろし 42匂宮におうみや
43紅梅こうばい 44竹河たけかわ 45橋姫はしひめ 46椎本しいがもと 47総角あげまき 48早蕨さわらび
49宿木やどりぎ 50東屋あずまや 51浮舟うきふね 52蜻蛉かげろう 53手習てならい 54夢浮橋ゆめのうきはし

『光る君へ』を深く理解するためのご参考に、また、「源氏物語」の古文を読まれる際にもお役立ていただけましたら幸いです。

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「源氏物語」七帖:紅葉賀(もみじのが)

七帖:紅葉賀(もみじのが)ポイントです。

ポイント:禁断の恋とコンプレックス

「紅葉の賀」には父帝の最愛の妻・藤壺や幼い若紫が出てきます。

「源氏物語」は手当たり次第に色を好む光源氏の武勇伝と思われている方も多いかもしれません。
実際、物語には多くの女性達が登場します。
その中でも 源氏が心を惹かれる傾向があるのは「好きになってはいけない相手」です。 いわゆる” 禁断の恋”に惹かれている傾向がとても強く、その代表格が藤壺です。

父の桐壺帝が寵愛し中宮(正妻)にした女性で、源氏からは義理の母に当たります。光源氏と藤壺が密通して生まれた子は、後に帝となります。

なぜそうなってしまったのか。
それは光源氏が天皇になれなかった皇子だということと関係しているという研究があります。
「臣籍降下した第2皇子」という不遇。
幼くして母を失った後ろ盾のなさ。
類まれな美貌と才能。

光源氏のコンプレックスと強い上昇志向が禁断の恋に関わっているのかもしれません。

 

では七帖:紅葉賀(もみじのが)あらすじ紹介です。

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「源氏物語」七帖:紅葉賀(もみじのが)あらすじ

光源氏18歳の秋から19歳の秋まで。

世間は紅葉賀に向けての準備で騒がしくなっています。

源氏の父・桐壺帝は、最愛の藤壺が懐妊した喜びに酔いしれ、臣下たちも舞楽の準備で浮き立っています。

ですが、藤壺のお腹にいるのは桐壺帝の子ではなく源氏の子。
源氏は藤壺に手紙を送り、親しい女官を通して面会を求め続けていました。

一方で、藤壺は立后を控え狂喜する帝の姿に罪悪感を覚えながらも、一人秘密を抱え通す決意をし、源氏との一切の交流を持とうとしません。

遠ざけられた源氏の唯一の慰めとなっていたのは、藤壺の姪の少女・若紫(後の紫の上)が無邪気に人形遊びなどする姿でした。

帝は式典に参加できない藤壺のために試楽(リハーサル)を宮中で催すことに決めました。
源氏は、親友・頭中将と青海波の舞を舞いながら御簾の奥の藤壺へ視線を送り、藤壺も一瞬罪の意識を離れて見惚れますが、言葉少なに褒めただけでした。

源氏を憎む弘徽殿女御(父・桐壺帝の妾で第一皇子の母)は、舞を見て

まことに神が愛でて、さらわれそうな美しさだこと。
おお怖い。

と皮肉り、同席していたほかの女房たちは「なんて意地の悪いことを」と噂します。

翌日、源氏はこっそり藤壺に文を送ると思いがけず返事が届き、胸を躍らせます。

 

見事な舞を披露した源氏は正三位に、頭中将は正四位下に昇格し、
弘徽殿女御は「偏愛がすぎる」と不満をこぼします。

翌年二月、藤壺は無事、男御子(後の冷泉帝)を出産。
桐壺帝は、源氏に生き写しの美しい皇子を再び得て喜ぶのですが、源氏と藤壺は罪の意識に苛まれます。

 

さて、その頃、桐壺帝に仕える年配の女官で、血筋、人柄の申し分ない源典侍には、希代の色好みという評判がありました。
源氏と頭中将は冗談半分で彼女に声をかけます。
あからさまに媚びを売る老女に辟易しながらも2人は源典侍のもとに通い、冗談のネタにします。

 

その年の秋、藤壺は中宮に立后。
一番早くに入内し、今東宮の生母である弘徽殿女御は、

長年仕える自分を差し置いて、なぜ藤壺が中宮に

と激怒。

源氏も宰相(参議)に進むものの、ますます手の届かなくなった藤壺への思慕はやむことがありません。

 

六帖 末摘花

八帖 花宴

 

 

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