こちらでは
2025年大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』
第17話以降のあらすじを
史実をもとに予想してまいります。
お楽しみいただけますと幸いです。
【月ごとのあらすじ】
1月あらすじ | 2月あらすじ | 3月あらすじ |
4月あらすじ | 5月あらすじ | 6月あらすじ |
7月あらすじ | 8月あらすじ | 9月あらすじ |
10月あらすじ | 11月あらすじ | 12月あらすじ |
全話あらすじ | |||||
1話あらすじ | 2話あらすじ | 3話あらすじ | 4話あらすじ | 5話あらすじ | 6話あらすじ |
7話あらすじ | 8話あらすじ | 9話あらすじ | 10話あらすじ | 11話あらすじ | 12話あらすじ |
13話あらすじ | 14話あらすじ | 15話あらすじ | 16話あらすじ | 17話あらすじ | 18話あらすじ |
19話あらすじ | 20話あらすじ | 21話あらすじ | 22話あらすじ | 23話あらすじ | 24話あらすじ |
25話あらすじ | 26話あらすじ | 27話あらすじ | 28話あらすじ | 29話あらすじ | 30話あらすじ |
31話あらすじ | 32話あらすじ | 33話あらすじ | 34話あらすじ | 35話あらすじ | 36話あらすじ |
37話あらすじ | 38話あらすじ | 39話あらすじ | 40話あらすじ | 41話あらすじ | 42話あらすじ |
43話あらすじ | 44話あらすじ | 45話あらすじ | 46話あらすじ | 47話あらすじ | 48話あらすじ |
2025大河『べらぼう』17話以降の史実(年表)
16話では、平賀源内が51歳で亡くなる1780年1月24日頃の様子が描かれており、
17話以降はその後の出来事が描かれることになります。
年表では太字の部分となります。
年 | 主な出来事 | 世の中の動き |
---|---|---|
1750年 | 東京・吉原で誕生 | 1751年徳川吉宗、没 1760年徳川家治、10代将軍に 1767年田沼意次、側用人に |
1773年(23歳) | 吉原大門前に貸本屋『耕書堂』を開業 | 1772年田沼意次、老中に |
1774年(24歳) | 遊女本評判記「一目千本」を出版 | 1774年『解体新書』刊行 |
1775年(25歳) | 吉原細見「籬の花」を出版 | |
1776年(26歳) | 北尾重政・勝川春章などによる「青楼美人合姿鏡」を出版 | |
1780年(30歳) | 朋誠堂喜三二の黄表紙を出版 | |
1782年(32歳) | 山東京伝の黄表紙「御存商売物」(ごぞんじのしょうばいもの)を刊行 | 1782年〜1787年「天明の大飢饉」 |
1783年(33歳) | 日本橋通油町に進出、洒落本をはじめとした本を出版 | 1783年浅間山大噴火 1784年田沼意知、刺殺 |
1785年(35歳) | 山東京伝の代表作「江戸生艶気樺焼」(えどうまれうわきのかばやき)を刊行 | 1787年松平定信「寛政の改革」 |
1791年(41歳) | 寛政の改革により、山東京伝の洒落本・黄表紙が摘発され、過料の処罰を受ける | 1790年出版物の規制強化 1792年ラスクマン来航・林子平処罰 |
1794年(44歳) | 執拗な弾圧のなか、東洲斎写楽の役者絵を出版 | 1793年松平定信、老中解任 |
1797年(47歳) | 脚気により、47歳の若さで亡くなり、番頭・勇助が二代目蔦重となる |
大河『べらぼう』17話以降のあらすじ予想|オフィシャル蔦重
蔦重の版元としてのオフィシャルな部分は、史実からかけ離れないと考え、史実に沿って予想してみました。
時代の寵児へ
①黄表紙(絵の大きい本)大ヒット
蔦重は鱗形屋とつながっていた戯作者や浮世絵師たちと親交を深め、当時人気の高かった黄表紙でヒットを飛ばします。
黄表紙とは大人向けの挿絵入り小説。
中心になるのは、朋誠堂喜三二、北尾重政、恋川春町。
②日本橋通油町に進出 (浅間山大噴火の2ヶ月後)
自信をつけた蔦重は、吉原の店はそのままに、日本橋通油町に進出。
これは、1783年7月に浅間山が大噴火した2ヶ月後のことでした。
当時の日本橋界隈は、須原屋などの書物問屋や、鶴屋、西村屋、鱗形屋といった地本問屋が集結する江戸の出版界の中心地。
吉原もんが市中に。
耕書堂は一流どころの仲間入りを果たします。
一方で、噴火による火砕流でふもとの村は壊滅。
噴煙が成層圏まで達したため陽が当たらなくなり、低温・凶作の原因となりました。
日本は「天明の大飢饉」に突入していきます。
③若手の起用・育成
通油町に店を構えた蔦重は、まだまだ攻め続けます。
無名作家たちの才能を見抜き、積極的に若手を黄表紙の挿絵に起用していったのです。
この若者たちが、やがて 江戸の文化・芸術を牽引していくトップスターへと成長していきます。
中心になるのは、山東京伝(=北尾政演)・喜多川歌麿らです。
④狂歌ブーム到来、「狂歌本」「狂歌絵本」のトップに君臨
当時、狂歌がその敷居の低さから庶民に大流行。
(狂歌にかぶれた吉原の主人たちが駿河屋の2階座敷で詠み合っている姿も目に浮かびます)
そんななか、蔦重は狂歌の重鎮たちとも親睦を深めていきます。
自ら狂歌会を催したり、吉原にもてなしたり、飲みニケーションで人とのパイプづくりを図ります。
そこで狂歌+挿絵の「狂歌絵本」をつくることを思いつく蔦重。
狂歌絵本は、大ヒット。
蔦重は出版界のトップに君臨します。
注目の狂歌師:太田南畝・朱楽菅江ら
注目の狂歌絵本『虫撰(むしえらみ)』喜多川歌麿
また絵も単純な色摺ではなく、花弁と葉茎、あるいは野菜、虫とそのひげなど、それぞれの輪郭の色の使い分け、また無輪郭の色摺、空摺でふくらみをもたせたり、雲母(きら)をかけたりというさまざまな工夫が見られる。
引用『歌麿八華3 歌麿』 (平凡社)解説・吉田漱浮世絵で再起
⑤意知の死・意次の失脚⇨ 松平定信「寛政の改革」の規制に反発
蔦重が狂歌絵本を作った1786年
老中・田沼意次が 失脚します。
10代将軍徳川家治が薨去し、1787年、徳川家斉が11代将軍となると、松平定信が老中首座に就き「寛政の改革」を始めます。
その質素倹約・綱紀粛正を図った改革は、出版物にも影響を与えます。
規制は装丁や色味にまで及び、表現の自由も規制されていきます。
これに蔦重は猛反発。
黄表紙の中で文武、倹約を馬鹿にします。
すると弾圧はますます強化してゆき、蔦重のもとから太田南畝、朋誠堂喜三二、恋川春町といった武家出身の仲間たちが去っていきます。
⑥山東京伝手鎖50日、蔦重罰金⇨ 浮世絵に活路を見出す
1791年、発刊した山東京伝の洒落本が風紀を乱すとして、山東京伝に手鎖50日、蔦重に重い罰金刑が命じられます。
これは、世の中への見せしめ的な罰でした。
財産が半減したとも言われるこの制裁でも蔦重はへこたれません。
本がダメなら絵を売ればいいじゃねえか!
⑦ライバル西村屋とバチバチにやり合う
その頃、「美人画」と「役者絵」では西村屋がトップを走っています。
美人画がブロマイド的な役割を果たしていることから、蔦重はバストアップの美人画を採用してみてはどうかと考えます。
絵師は喜多川歌麿。
リアルな画風で町の看板娘など会いに行ける女性たちのリアルな日常を描きます。
この試みで蔦重と喜多川歌麿は大成功をおさめます。
『歌撰恋之部:夜毎二逢恋』喜多川歌麿筆(出典:ColBase)
役者絵では、謎の絵師を起用し、豪華な仕様で派手に売り出す蔦重。
『三代目大谷鬼次の江戸兵衛』東洲斎写楽筆(出典:ColBase)
江戸中の話題をかっさらいます。
【耕書堂】
美人画:喜多川歌麿・役者絵:東洲斎写楽
vs
【西村屋】
美人画:鳥文斎 栄之&鳥居清長・役者絵:歌川豊国
⑧東洲斎写楽、10ヶ月で消える
ただ、東洲斎写楽の絵は賛否両論を巻き起こします。
蔦重は種類、数ともにたくさんの役者絵を発行します。
話題性は抜群だったものの、写楽の加工無しのリアルさが歌舞伎ファンには受け入れてもらえず、大きな利益はあがりません。
美人画と役者絵は耕書堂の看板商品となっていきますが、役者絵の世界では蔦重は独占君臨することができません。
東洲斎写楽は謎のまま消えました。
以降、蔦重は役者絵の世界に戻ってきませんでした。
⑨新たな若手の育成
武家出身の作家がいなくなったことで、蔦重は滝沢馬琴や十辺舎一九といった次世代の作家を育成することになります。
中心人物は、滝沢馬琴・十辺舎一九です。
全国展開
黄表紙などの娯楽本が規制されるなか、それ以外の本が売れ始めていました。
そこで蔦重は書物問屋の仲間入りをし、
名古屋・永楽屋と手を組み、京都や大坂を市場に考え始めます。
ただ、それが実現されることはありませんでした。
大河『べらぼう』17話以降あらすじ予想|プライベート蔦重
蔦重のプライベートな部分は不明な点も多く、ここは大きな創作が加えられると予想しています。
注目人物は誰なのか、整理してみました。
妻をめとり、子が生まれる
結婚相手についてはあまりわかっていません。
蔦重が亡くなった後で刊行された書籍『絵本吾妻抉』には、蔦の模様の着物を着た女性が蔦重の右横に描かれており、これが妻ではないかと推測されています。
ドラマでは橋本愛さんが演じられる妻「てい」。
蔦重の妻についてわずかに残っている情報によると、
「人のいふ事も聞きもしねへで、そんならどうとも好きにしたがいひ」
と吉原帰りの蔦重を咎めたというエピソードがあります。
瀬川とはタイプが違うキャラクターになりそうです。
また、蔦重臨終の際、「妻女と決別」とあることから、娘がいた可能性もあり、あらすじに登場するかもしれません。
唐丸との再会
写楽なのか歌麿なのか
どちらかが謎の少年・唐丸だという可能性があります。
唐丸が帰ってきたシーンや唐丸の過去についても伏線の回収がありそうです。
もし「唐丸=東洲斎写楽」なら、その後の写楽(唐丸)がどうなったのかも楽しめそうです。
誰袖と土山宗次郎(孝之)
吉原の「大文字屋」の禿(かむろ=遊女になる前の子供の見習い)から遊女となった誰袖(たがそで)が登場します。
演じるのは福原遥さん。
当代一の花魁となった誰袖は、老中・田沼意次の“懐刀”ともいえる勘定組頭を務める幕臣・土山宗次郎に祝儀を含めて1200両(現在の貨幣価値でおよそ1億2000万円)という莫大な金額で身請けされ、江戸中にその名を広めることとなります。
ですが、その身請け金の出所が問題となり…。
山東京伝作『奇事中洲話(きじもなかずわ=雉も鳴かずば撃たれまい)』という黄表紙などで、誰袖をモデルにした空想物語がつづられています。
“女流狂歌人”としても有名だった誰袖。
1783年(天明3年)に出された『万載狂歌集』にも遊女たが袖 としてその歌が選出されています。
わすれんとかねて祈りし紙入れの などさらさらに人の恋しき(恋12-489)
(忘れたいのに、あの人からいただいた紙入れを見るとますます人恋しい)
本歌:多摩川にさらす手作りさらさらに 何ぞこの児のここだ悲しき(万葉集・東歌)
この歌は、誰を想って詠むことになるのでしょうか。
大文字屋に禿のころからいたということで、すでに禿の誰袖が登場しているかもしれませんね。
お目付け役の「志げ」役、山村紅葉さんの活躍も見られそうです。
瀬川の行く末
五代目瀬川がどうなったかには、諸説あります。
「悲運」として語り継がれる瀬川の人生は、亡夫・幸次郎によく似た五郷と恋仲になるものの、周囲の邪魔にあって果たせず、ついには男児を残して死ぬというものなど。
1778年(安永7年)落籍後の瀬川をモデルに悲劇のヒロインとして描く、田にし金魚(たにしきんぎょ)の洒落本『契情買虎之巻(けいせいかいとらのまき)』が刊行。
1856年(安政3年)4月、江戸中村座での歌舞伎『一曲奏子宝曾我(ひとかなでこだからそが)』が上演。
(歌舞伎のタイトルに「子宝」とあるのは出産したと伝わっているから。また「曾我」は仇討ち噺という意味ですが、夫の仇討ちを遂げた2代目瀬川の伝説が混ざっていると考えられています)
事実譚・瀬川鳥山噺や脚色が加わった後日譚・瀬川五京噺などが生まれ、フィクションを交えて現在に伝えられています。
17話以降にどのような形で登場するのか気になります。
蔦重の最期
蔦重は江戸わずらいと呼ばれていた脚気にかかっており
1797年5月48歳でこの世を去ります 。
臨終の際
「自分は今日の午の刻 (正午)に死ぬ」
と予告して妻に別れの言葉を述べますが、昼になっても生きており
「命の幕引きを告げる拍子木は鳴らないな」
と笑いながら話したのが最後の言葉となり、夕方に息を引き取ったそうです。
もしかするとこのエピソードも描かれるかもしれません。