朝ドラ『風、薫る』
第3週(11話、12話、13話、14話、15話)
「春一番のきざし」
あらすじをご紹介いたします。
予習をして『風、薫る』をもっと深く楽しみたい方
『風、薫る』を観る時間のない方
あらすじだけ知りたい方
そんなみなさまのお役に立てましたら、幸いです。
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朝ドラ『風、薫る』第3週(11話、12話、13話、14話、15話)放送日

朝ドラ『風、薫る』第3週(11~15話)放送日は
2026年4月13日(月)〜2026年4月17日(金)
です。
朝ドラ『風、薫る』第3週(11話)あらすじ

日本橋「瑞穂屋」
日本橋「瑞穂屋」は、見たこともない洋書や舶来品が並ぶ不思議な店でした。
店主の卯三郎はりん親子を温かく迎え入れ、月給3円での採用を即決。さらに「環を店に連れてきてもいい」と言い添え、物置にしていた長屋の2階を住まいとして貸し出してくれました。

このご恩は決して忘れません。

忘れてもらっては困ります。私はリターンのない取引はしません。
卯三郎はそう言って、勝海舟と出かけていきました。
勝海舟さんは、清水卯三郎さんに洋書の輸入などを依頼しており、実業家として頼りにしていただけでなく、日常的な交流があったようです。
また、勝海舟さんは「開陽丸」の購入にあたり、黒羽藩藩主・大関増裕さんとも密接な関わりがありました。大関和さんは、その大関増裕さんに幼少期から可愛がられていた親戚です。
朝ドラ『風、薫る』第3週(12話)あらすじ
島田健次郎
ある日、店番をしていると、モーパッサンの詩集をもとめるフランス人が来店。
りんが困っていると、一人の青年が流暢なフランス語で応対してくれました。

俺は「何者」でもない、変わり者の?島田健次郎。シマケン。
そう話す島田健次郎に感化され、英語の勉強を始めたりん。
その姿を見た卯三郎は

人が「何者」であるかは、名前や肩書きより、その立ち居振る舞いに生き方ににじみも出るもんですよ。
と訳アリの家老の娘だと見抜いていました。
島田健次郎は、外国語に堪能な点が鄭永慶さん(大関和さんの女中時代の雇用主)とする説があります。
一方で、エピソードの端々に木下尚江さんとの共通点が見られます。
・鄭永慶(ていえいけい)
1858年(安永5年)〜1895年(明治27年)
鄭永慶さんは、外交官の父・鄭永寧の次男で、りんのモデル大関和さんが女中をしていた時の雇い主です。
教師から大蔵省に、屋敷が焼失した後は
『可否茶館』を設立。
・木下尚江(きのした なおえ)
1869年10月12日(明治2年9月8日)〜
1937年(昭和12年)11月5日
大関和さんより11歳年下の社会運動家、作家。
英語が堪能で記事を書きながら社会主義小説も書いています。
大関和さんに求婚したことでも知られています。
This is my life.
そのりんに感化されたのが、直美。
直美はメアリーから譲り受けたドレスに身を包み、鹿鳴館へと向かいます。
現れた大山捨松の馬車を狙い、直美はわざと貧血で倒れるふりをして接近すると、
駆け寄る捨松に、「通訳の父が病に倒れた」と嘘をつき、切実な表情で「ここで働かせてほしい」と直談判。

それはご苦労されてらっしゃるのね

But this is my life.
(ですがこれが私の人生。)
門前払いも厭わない直美の執念が、運命の扉を開きました。
朝ドラ『風、薫る』第3週(13話)あらすじ
鹿鳴館のメイドとして
英語混じりで接客できるようになったりんと、鹿鳴館のメイドとなった直美。
直美はある日、捨松を「欧風芸者」と揶揄する貴婦人たちの陰口を耳にします。
ですが捨松は意に介さず、12歳で渡米した過去を直美に語って聞かせました。
今の日本で自分の能力を活かせる場は、この鹿鳴館しかない――。
捨松は、鹿鳴館は使い方次第だと話します。

あなたもここをうまく使ったらいいわ
その晩、直美は、海軍中尉・小日向栄介に出会い、その実直そうで人懐っこい笑顔に引き込まれます。
朝ドラ『風、薫る』第3週(14話)あらすじ
美津と安の上京
ある日、亀吉に仕送りを止められ生活に困った美津と安が、上京してきました。
意気投合する卯三郎と美津。
小日向栄介
一方、直美は身分を偽り小日向栄介とデートし、交際を申し込まれます。

私とおつきあいしていただけませんか?
朝ドラ『風、薫る』第3週(15話)あらすじ
「私なのに」
自嘲気味な、乾いた笑いが直美の胸に突き上げます。

こんなに簡単なんだ。
お嬢様だと奥様になるのは…
私なのに…私なのに?
「婦人慈善会」
ある日、大山捨松から華族の婦人グループ「婦人慈善会」の炊き出しを頼まれた直美。
捨松は9歳の会津戦争で鶴ヶ城にひと月籠城した後、炊き出しのおむすびをもらった経験から、慈善活動への強い思いがありました。

私にとって結婚はgoalではなくその先の前my life、
私の人生を生きるための手段。
歳の離れた陸軍大臣の夫は、これ以上ないほど私の人生のsupportになっているわ。ふふ。
1868年(慶応4年)8月
幕府軍と新政府軍が日本の覇権を争った最終決戦、戊辰戦争。
板垣退助ら率いる新政府軍が会津若松城へと迫るなか、わずか「さき(=捨松)」も家族と共に籠城し、弾薬運びを手伝う日々を送っていました。
ある日、悲劇は突如として訪れます。
食事部屋で砲弾が炸裂し、長兄の妻・トセさんが瀕死の重傷を負って悶絶死。さきさん自身も首に傷を負ったのです。
皮肉なことに、このとき砲兵隊長として城を狙い撃つ務めを果たしていたのは、後にさきさんの夫となる薩摩藩の大山弥助(巌)さんでした。
ただ、大山弥助(巌)さんは初日に負傷し翌日後送されたので、実際に若松にいたのは2日間だったそうです。
りんの母・美津は箏の教室を開くことに。
りんは母を見て言いました。

貧しくとも誰の顔色も伺わず、己の働きで暮らしていくのはなんだか気持ちのいいもんだと
その後、直美はスリの子どもを逃がした小日向を見て、交際を「士族の娘」として受け入れました。
炊き出しの日、直美は捨松とともに貧民街に向かうと、牧師の吉江たちも炊き出しをしていました。焦る直美に声をかけたのは…

直美さん?

