朝ドラ『風、薫る』
第7週(31話、32話、33話、34話、35話)
「届かぬ声」
あらすじをご紹介いたします。
予習をして『風、薫る』をもっと深く楽しみたい方
『風、薫る』を観る時間のない方
あらすじだけ知りたい方
そんなみなさまのお役に立てましたら、幸いです。
朝ドラ『風、薫る』第7週(31話、32話、33話、34話、35話)放送日

朝ドラ『風、薫る』第7週(31~35話)放送日は
2026年5月11日(月)〜2026年5月15日(金)
です。
朝ドラ『風、薫る』第7週(31話)あらすじ

看護実習
1888年(明治21年)
紺色のスタンドカラーのロングドレスの上に胸当てのある白いエプロンをかけ、帝都医科大学付属病院での実習が始まります。
りん達は初めての看護婦見習い。りん達の肩に看護婦の未来がかかっています。
| 多田重太郎 (筒井道隆) |
帝都医大病院 院長 |
| 渡辺行成 (森田甘路) |
帝都医大病院 副院長 |
| 今井益男 (古川雄大) |
帝都医大病院 外科教授 |
| 藤田邦夫 (坂口涼太郎) |
帝都医大病院 外科助教授 |
| 黒川勝治 (平埜生成) |
帝都医大病院 外科助手 |
| 永田フユ (猫背椿) |
帝都医大病院 看病婦 |
| 三浦ツヤ (東野絢香) |
帝都医大病院 看病婦 |
| 柴田万作 (飯尾和樹) |
帝都医大病院 用務員 |
りんは、足の肉腫を手術したばかりの元警察署長・園部弥一郎と、うまくコミュニケーションがとれません。
直美は、疥癬でひと月入院している”学用患者”丸山忠蔵の薬が1日1回しか出ず、シーツ交換もされていないことに問題意識を抱きます。
病院には入院患者のお世話をする「看病婦」がいるものの専門的な知識はなく、「看護婦(トレインドナース)」とは一線を画す存在。
りんたち実習生は、看病婦たちに歓迎されていませんでした。
朝ドラ『風、薫る』第7週(32話)あらすじ
教授回診
りんは、園部弥一郎から「下女風情が」と罵られながらも、患部をさする園部を心配し今井教授に進言しますが、相手にされません。
今井は疥癬でひと月入院している”学用患者”丸山忠蔵のことも、ろくに診てもいませんでした。
バーンズは、悩むりんに「学びがいがある患者」と話します。

正しいこと正しく言われて腹がたった
と、りん。
朝ドラ『風、薫る』第7週(33話)あらすじ
ナースの見返り
患部が炎症を起こしていた園部は、出血し、倒れ込みます。
りんは、患者に嫌われているという理由で園部の担当を外されてしまいました。
再手術をして回復した園部に退院の挨拶さえできず、悔しがるりん。

患者は無事再手術をして退院した。
それの何が悔しいのですか?
どんな会話がしたかったのですか?
円満に?楽しく?
挨拶。さようなら、ありがとうと、感謝されたかった?
ごうつくばりですね。
バーンズは「欲深い」と話します。看護は見返りを求めるものではなく、たとえ罵られたとしても、患者が回復すればそれでいいのだと。
りんが、自分がすべきだった看護とは何かと考え込んでいると、直美がやってきました。直美から園部がりんの生けた花瓶の水を足を引きずってかえていたと聞いたりん。
槇村の評価とシマケン
その頃、シマケンの部屋では、シマケンと槇村が酒を酌み交わしています。
同人誌『黎明』に掲載された槇村の「つづれおり」の評判は上々。
シマケンは行き詰まっています。
朝ドラ『風、薫る』第7週(34話)あらすじ
直美の立ち回り
直美は、外科助教授の藤田邦夫に取り入り、丸山忠蔵の薬の回数を増やしてもらったり要領よく立ち回っています。

正しいことを正しく言うだけじゃ、人は動かない。
月餅などで知られる「新宿中村屋」創業者。
17歳早稲田入学直前に疥癬に罹り帝大医科大学第一医院に入院しました。
相馬愛蔵さんが入学までに退院したいと伝えると、直美モデル・鈴木雅さんではなく、りんモデル・大関和さんが、人の嫌がる硫黄の塗り薬を率先して塗り、他のナースにも指示してくれました。
その献身的な姿に感激し、大関和さんのことを友人で小説家志望の木下尚江さんに話した相馬愛蔵さんは、大関和さんの人生に大きく関わる人物です。
勝海舟
日曜日。
瑞穂屋を訪ねたりんは、卯三郎から勝海舟に帝都医大病院の看護実習生と紹介されます。
りんの去った後、勝は
「ああ、帝都医大病院っていやあ、園部っていう、前に海軍で面倒見た奴がこの前まで入院してたらしくてね」と語りました。
洋服を着た女中がえらくハイカラだったと自慢してたというのです。
1867年(慶応3年)38歳
パリ万国博覧会に日本人商人として唯一の参加・出品。檜造りの茶店を造り、3人の芸者に給仕や芸をさせ、大人気を博し、ナポレオン3世から銀メダルを授与されたそうです。そして、ヨーロッパに日本ブーム(ジャポニスム)を巻き起こしました。
「瑞穂屋」清水卯三郎さんと勝海舟さんは、「旧知の仲」。勝海舟さんは、卯三郎さんに洋書の輸入などを依頼しており日常的な交流があったようです。勝海舟さんの日記には、卯三郎さんの名前がたびたび出てきます。
また、勝海舟さんは、下野国黒羽藩の第10代藩主・大関増裕さんとも深い信頼関係で結ばれていました。初代陸軍奉行として勝海舟さんの「開陽丸」の購入を実現させ、勝海舟さんはその卓越した才能を高く評価していたそうです。
大関和さんは、その大関増裕さんに幼少期から可愛がられていた親戚です。
励ましあうシマケンとりん
一方、帰宅したりんは、美津に頼まれ玄関を直すシマケンに遭遇しました。
同人誌で評判を呼ぶ槇村に焦りを感じているシマケンを、りんは「無理してるんじゃありませんか?」と気遣います。互いのモヤモヤを打ち明け、励まし合う二人。
美津の作った苦いカレーライスを一緒に食べながら、すっかり一家に馴染んでいるシマケンでした。
朝ドラ『風、薫る』第7週(35話)あらすじ
直美のお守り
休みに長屋に顔を出した直美。
行方知れずになっていた親子の再会を知り、少し考えて母からもらったお守りを開けてみました。
侯爵夫人・千佳子
病院。
和泉侯爵夫人の千佳子が、乳がんの乳房切除手術のため入院してきます。
手術の成功率は2割程度。
数日後に手術を控えるも、千佳子は何もかもが気に入らず、退院すると息巻くばかりです。
病院の評判を気にして必死に引き止める医師たちは、なすすべもなく困り果てていました。
そんななか、りんと直美が院長室に呼び出されます。
三宮八重野(Alethea Rayno)
1846年〜1919年
イギリスのキングストン・アポン・ハルの生地商ウィリアム・レイノア(William Raynor)の娘、アレシーア(Alethea Raynor )、日本では八重野と名乗ります。
1874年(30歳)、ロンドンのハムステッドの教会で蜂須賀茂韶や岩倉具経を立会人に、2歳上の尊王攘夷派活動家で外交官の三宮 義胤(さんのみや よしたね)さんと結婚し、
1880年(36歳)に来日。
日本では、皇族の妃や華族の女性たちに、西洋の服装や社交上の慣習を助言する役割を果たしました。
りんのモデル大関和さんは、実習中、三宮八重野さんが乳がんで入院した際に泊まり込みで献身的に看護を行います。病室は特別仕様で銀食器が持ち込まれ、皇后の名代がお見舞いに訪れることもあったそうです。
入院中、心中未遂の花魁が運び込まれると、八重野さんは果物籠と聖書を大関和さんに託し、花魁のもとへ届けたというエピソードが原案に描かれています。
外科部長・佐藤三吉(さとう さんきち)
1857年〜1943年
東京帝国大学で 医科大学長や名誉教授を歴任し、ドイツ留学で学んだ最新の「無菌法」を日本に広めた「権威」佐藤三吉さん。
俳人・正岡子規の脊椎カリエスの手術を執刀したことでも有名で、東京大学の本郷キャンパスに胸像が設置されています。
大関和さんの第一医院(東大病院)看護婦取締役を罷免した人物としても知られており、看病婦たちの睡眠を削っての激務を見かねた和さんが、改善の建議書を佐藤三吉さんに提出したエピソードは有名です。
ところが、医局の頭越しに行われたこの建議を医師たちは許さなかった。佐藤三吉は和の看護婦としての能力を高く買っていたものの、医師たちと反りの合わない和を看病婦取締に就けておくわけにはいかず、解任する。頭を下げれば一看護婦として働き続けることができたのかもしれないが、和は第一医院を去ることにした。
(引用『明治のナイチンゲール 大関和物語』田中ひかる)
すなわち諸先生は『大関は仕事の上では立派な対象だが、あの伝道には弱らされる』と互いに苦笑しあったという。果たして佐藤三吉博士も辟易、女史のあまりに熱心な伝道、それに注がれる烈々の情の避退策として、ちょうど知命堂病院長瀬尾先生から話のあるを幸い、女史をそちらへ推薦したのだとのこと。
(引用:『相馬愛蔵・黒光著作集1穂高高原』)
この話が新聞に掲載されたことで、第一医院の看護婦の待遇が改善されたともいわれています。
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